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僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

(11/30)仕事のこと、義母のこと

2013年11月30日 12時38分00秒 | 日常、仕事、認知症
2ヵ月半ぶりに
この職場に復帰して
一週間に3回から4回出ている。
何の違和感もなく、今のところ
スムーズにこなしている。
戻ってきた、というのを驚く人がいて
顔を見て数十秒経ってから
「アレ~?」と声を出す人。
そう、「久しぶりです。」というよりも
前からいた感覚で挨拶をしてから
アレ~?が出る。

副社長にすぐに挨拶に行くべきだったが
時間が合わず
つい先日廊下でバッタリ会った。
「副社長からの直接の電話にかなり動揺しました。」と正直な気持ちを言った。
これがなければ
もっともっと逃げていた私だったと思う。
あまり逃げてばかりいるのも得策じゃないと思い直して
引き受けた。
「私(副社長)もね、トモロッシさんが辞めるときの最後の挨拶が
なかったら、あの(復帰の)電話をしなかったと思うの。」

このブログにも以前書いたが
私が6月ごろに辞める決心をしたときに
彼女に相談せずに決めたことにおそらく立腹していたと思う。
その表れが
廊下で会っても、無視される視線を感じていた。
明らかに、避けているというより、怒っているという表れだった。
しかし
けじめとして
私は最後に手土産を持って
「お世話になった。」と家庭の事情を説明しつつ挨拶。
その話の流れで
今後縁があったらまた会いましょう、という
円満退職になった。
Iさんがまさかその直後に辞めるとは想定されていなかったので
社交辞令のような挨拶が
際めて早い段階で現実になってしまった。
傍にいた総務のSさんが
「センセイ、よろしく。」と言った。
彼は震災後の私の面接をしてくれた人。
こんな冗談を言えるほどの距離だったか。
以前の職歴を知っているから言った言葉だ。
やっぱり不満があったにせよ
最後はきちんとした挨拶をして離れたほうが後々にいいね。
以前の仕事のときもそうだ。
元の職場から10年ぶりに「手伝ってくれないか」と言われて復帰したことを思い出す。
今回もそうだ。
「皆、来てくれることを望んでいたのよ。」と言われて悪い気がしない。
人手不足だから来てくれということだが
Eさんが
「トモロッシさんでなくてはダメなんです。」と強く言っていたようだ。
他の方々も、ぜひに、と言ってくれた。
だからその分、一生懸命働くつもりで。

でも
やはり自分のどこかに
「正月もない職場」がある。
辞めたときに
「来年の正月はのんびりと箱根駅伝が観られる。ゴロゴロできる。」なんて
考えていたのに
1年も経たないうちに
また
「正月もない職場」である。



今朝
義母が珍しく二階に上がって私を呼んだ。
いつもなら階段下でドアを開けて呼ぶのだが
奥の私の部屋にいたので聞こえなかった。
「ちょっと気味が悪いの、下に来て。」と言う。

昨夜
母が寝るころ(7時半ごろ)

ベッドのある部屋で電灯を暗くして横になったら
その部屋の窓の外で
カチカチと何かをつける音(義母は懐中電灯のようだと言う)と
パッパッと灯りがつく、窓の向こう側に人影のようなものが見える、
以前もそんなことがあって、隣の奥さんに相談した、
警察に言おうかと思う、とのことだった。

義母の部屋は西側。
西側は隣のマンションの駐車場がある。
マンションが建ったときに
目隠し、防犯を兼ねて
2メートル強の塀をつけた。
隣とうちの地面の高さは段差があり、こちらからは更に高さが増す。

義母の窓の内側の半分は
義父の仏壇(あ、今日命日だ!)があり
片側から光が入るようにしている。
窓ガラスは二重、障子の三重になっている。
外側の雨戸を閉めれば四重である。
しかし雨戸を閉めずに
義父のかつて作った防犯用の金網を固定してつけている。
金網や簾(これも固定)などをはずすのに容易でない。
その他にレースのカーテン等を取り付けて
光は入るけれど、中は覗かれないような状況。
駐車場の灯りをバックに人影が見える、ということで
以前は
おそらく駐車した人がちょっと覗いたのだろう、という見解で収まった。
しかし
今回は
塀の内側に来て、窓のすぐ傍で覗きをしている、ということだった。


で、それは大変だ、警察だ、というふうになるか。
まず検証。

塀を乗り越えて、音も立てずに
こちらの敷地に入るということが可能かどうか。
塀の高さは
こちらからすると3メートル近い。
背伸びして手を伸ばしても塀の上に届かない。

私は自転車に乗って
隣のマンションに行き
実際に塀を手をかけてみた。
こんなことしていたら通報されそうだが
近所の人や隣のマンションのオーナーは知っている人たちなので
何かうちとトラブルがあったに違いないと見るくらいだ。

仮に塀を乗り越えたとして
この塀を乗り越えるには
白い壁に靴跡が残っていなければならない。
簡単によじ登れる塀じゃない。
うちの壁側にも靴跡がない。
それでも靴跡を残さず乗り越えようとするなら
何か踏み台のなるもの(それもかなり高いもの)が必要となる。

しかし場所を見ると
そんなものを用意して塀をまたがっていれば
駐車場なので
誰かに見られる可能性あり。
人に見られないように侵入するなら
マンションの陰になるようなところを選ばなければならない。
そこから入ったとすると
うちの方は樹木があり
ガサッガサッ、バリッバリッと音がするはず。

駐車場を眺めると
義母の部屋に向けた車が止まっている。
塀の隙間がないので(昔の塀と二重になっているので)灯りが入ることはない。
ただし、横の方には古い塀がなく今の2メートル強の塀の下は隙間がある。
その辺りにバイクが止まっている。
カチッカチッという音はバイクの灯りの消したりつけたりの音か。
それがパッパッと灯りが見えたということか。
しかし
もう一つの
人影が見えた、というのは解決になっていない。

よって
今夜
私が検証することにした。

そして
私は言った。
「お義母さん、私、時々夜に
懐中電灯を持って、このカエルの寝床を見に来ているの知っている?」と。
あの傷カエルのことは義母にも話していたし
冬眠に向けて北西側のカエルの寝床の補強をしていたのも知っている。
そしてよく夜に
義母の部屋の外側を通って懐中電灯を持って見に行っていた。
夜といっても
8時前だから、義母が寝付くころ。
義母は
「知らない。」と答える。
「私、しょっちゅう見に行っているのよ。でも昨日の夜は見ていないけれど。
それにその時刻、私まだ下にいたでしょ。不審者が高い塀の危険を冒して
その時刻に来るかどうかを考えてみて。」と言った。

カチッカチッ
パッパッ
人影

この3つが義母のキーワード。
何回も言っていた。

義母はまもなく84歳になる。

不審者の心理になってみること、忖度してみること。
結構、こういうの、好きな私である。

雨戸を閉めなさい、と言っても
防犯の金網のほうがいいから、と言う。


ところで
あの傷カエル
姿を消していました。
いったんは冬眠に入ったのですが
あのあと
暖かい夜に雨が降り
これはうちのカエルたち起きるな、と思っていたら
あの傷カエルも移動したのでしょう。
数日前に見たらいませんでした。
元気になったようです。
移動できるということはそういうことね。





(11/30)Mステ、「青春アミーゴ」ありがとう

2013年11月30日 10時39分10秒 | 山P
昨日の夜
Mステで
レディガガが出るということで観ていた。
が、私は
いつものように、8時過ぎには眠くなってしょうがない。
録画をして、その時刻
眠ってしまった。
今朝4時ごろに起きて
録画を観ることにする。

すると
レディガガの前に

修二と彰の映像。

甦る2005年の今頃。
そう、山Pのことを好きになったきっかけの
ノブタをプロデュースのテーマ曲。

あのころ
ドラマを観ていて
最後に流れるこの曲の
「誰?誰?歌っているのは誰?」
修二と彰が亀ちゃんと山Pのことだとさえわかっていない状態の私。

あのメロディ
あの踊り
最高に最高に出来が良い。
日本人好みの哀愁がある。
だから若い子だけではなく
大人も飛びついた。
これがホントのヒット曲ね。
夫も朝から
歌っていた。
「この曲のようなものがあといつ出るかわからないね。」と言っていた。
それほどに名曲ですね。

年内限定のユニットということで
修二と彰はひっぱりだこ。
格闘技のコメンテーターにまで引っ張り出されていた。
普段格闘技なんて観ない私も
修二と彰目当てでずっとテレビつけていたもんね。
あまりの人気に
翌年の3月に
NHKの歌謡コンサートのようなものにまで
特別に出ていたっけ。
紅白に出してくれたらよかったのに。
こんなに大人にも受け入れられていたのに
特別枠で出してもよかったのにねえ。

Mステの
その年の年間一位の曲の中で
このアミーゴ
ワンコーラス分映してくれた。
長く映してくれたのも
人気だった証拠。
亀ちゃんと山Pが誇れる名曲よ。

その亀ちゃん、カトゥーンで出場。
亀ちゃん、頑張れよ、と言った私。
夫は
亀ちゃんの今のドラマ、好きで観ています。
私は眠くなる時刻なので観ていないけれど
玉置さんとのデュエット曲も良い。
亀ちゃん頑張れ。
山P、いつかセニョのようなアミーゴのような曲が
またヒットできるように
末永く頑張れ。

(11/30)(遅ればせながらの)楽天日本一おめでとう!

2013年11月30日 10時27分49秒 | 東日本大震災
ほぼ一日置きに出勤して
しかも休日には業者が入ったり(今日も)で
休みらしい休みを取れていない。
今日と明日連休になったが
今日の業者(スカパーの機種交換)
明日の実家(夫がタイヤ交換しに)行きと
落ち着かない休日である。

慌しい師走に入るね。

今日は何回かに分けて更新しよう。
書く内容がごっちゃまぜになるのはいやなので。

まず。
遅ればせながら
本当に遅ればせながら

楽天日本一おめでとう!

このお祭りムードにブログがついていけなくてごめんなさい。
でもちゃんと
私自身、この興奮した空気を楽しんできました。



楽天が勝った翌朝のスポーツ新聞をコンビニに買いに。
どこかの運転手も複数買いしていました。
これは地元の新聞の見出し。
一番気に入ったので写真を撮っておきました。
さすが地元の新聞。

そして
11月24日のパレードの日。
この日は
私はまだ今の仕事再開の決定をしていなかったときに
既にパレードの日にちが決まっていたのでとても楽しみにしていた日だった。
その後急遽、仕事再開が決まり
それでもこの日は絶対に休みを取るつもりで
Eさんに伝えておいた。
しかし
しかし
例年にない忙しさが予測され。
このパレード絡みで。
とても私以外の2人でこなせない仕事量。
それを知って
私はこの日、仕事に出ることにした。
その代わり
絶対に11時で帰ることを厳守。
なにしろ11時からパレードなので。
幸い職場からはすぐに近いので
走ってでもパレードに間に合う時間帯。
急いで職場を出たら
どこも人、人、人、人。パレードに向かって皆小走り。
私も走りました。
既に並んでいる時刻なのでどのくらいの距離で眺められるかほぼ不可能に近い。
しかし
パレードの進む方向に流れていって
下の写真のところで観ることにした。

これじゃ、遠い。
だめか・・・と思っていたら
流れが動いて結構前の方に行くことができた。
でも人の頭の山でなかなか観ることができない。
これは人々の頭の上にカメラを高く持ち上げて撮った写真。

どこにマー君がいるか全然わからない。
持っていった双眼鏡なんて役に立たないポジションの私。
でも歓声で最後のバスにマー君がいた。
肉眼で見えた!
マー君、わかるように何かを目印のように持っていてくれたね。
下の写真がマー君の乗っているバスだと思う。

老若男女、皆キャーキャー、ありがとう!の歓声。
私も「アリガト~!!」って叫んだよ。
マー君というスターのいる地元の球団。
来年にはいなくなるし
来年がV2になるかどうかもわからないし
初日本一という快挙に地元、ずいぶん盛り上がりました。
テレビで航空写真を観たけれど
ホントにたくさんの人がいたのですね。

私の横に
うずくまる小学生の男の子。
見えなくて(大人も見えないくらいだから、小さい子はなおさら)
すっかりスネてうずくまっていた。
この群衆の中でうずくまっていたら危ない。
男の子のパパも子どもそっちのけで背伸びして見ている。
子どもをかかげて見せようなんていう余裕、ないらしい。
楽天田中のユニホームを着ていたその子に
「危ないから立ってね。ホラ、これが田中の乗っているバスだよ。」と
カメラを見せた。
「皆も見えないからね。後はテレビで、大きく映るから見ようね。」と言った。
子ども、バスの写真を見せたらようやく笑顔になった。
そう、全然見えないの、大人でさえ。
でも、この雰囲気の中にいられただけでも幸せですね。
ありがとう、楽天。
あとは、ベガルタ仙台の優勝だね。

街はこの日
いろんな所からやってきた人たちで溢れていました。
喫茶店もいっぱい。
皆、興奮気味に、足早に帰ろうなんて思わず
お祭りムードの街の中で過ごしたようです。

遅れての
優勝おめでとうの記事でした。