goo blog サービス終了のお知らせ 

僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

(2/7)懐かしき札幌時代①

2010年02月07日 09時23分39秒 | 思い出を紐解く
昨日の夜は
夫は11時半に帰宅。
すぐに食事。
ちょっと咳をしていたので
風邪が心配。
吹雪の中、仕事をしたんですって。
ちょっと北のほうに行くと
中央とは違う天候。
滑って転んで、右足が腫れていた。
湿布をしてやる。
頑張れ、夫。





今日は夫の好きなカレーを作ろう。
カレーを食べたい、と言っていたので。



土曜日とか日曜の朝、家事をしながら
テレビをつけているとき
NHKをつけていることが多くなった。
前ならNHKなんてほとんど観なかったのに。
今朝は
札幌の藻岩山のエゾリスの生態をやっていた。
都会の中に
自然の森があり、いろんな生き物が生息しているのは
珍しいという始まりだった。
たくさんの種類の鳥たちが
冬の間に、樹木の皮の中に身を潜めている虫を捕って
食べるのは、樹木を守ることにもつながるし
エゾリスが秋のうちに
土の中に隠した胡桃などの実を取り忘れ
それが芽を出し
樹木として育っていくのが
森を生かしていることにつながると
教えてくれる。
自然てそういうものだ。
サイクルがしっかりしている。
役目をしっかり持っている。
それをじっと見守ってやるのが人間の役目なのだが
人間はどんどん
森を切り開いていく。
冬の森は鎮まっているように見えるが
エゾリスは自由自在に樹木間を走り跳んでいる。
その姿が可愛らしい。
冬眠をしないからじっとしているのも寒いので
この時季、繁殖期でもある。
いっしょに番(つがい)となって走るほうが
血の巡りが良さそうだ。
うまくできたものだ。
そういえば
ノラ猫もこの時季
寒いのに、じっとしておれず
相手を求めてさまようのも納得できる。
寒さなんか吹き飛ばせの気持ちで
雪が降ろうと、相手を探しに出かける。
冬眠しているカエルたちは
醒めてからの行動である。
ホント、よくできている。

エゾリスの番組は15分ほどであったが
身近な都会の森の動物たちが
朝から楽しませてくれた。

 思い出を紐解く


私は札幌には1年ほど住んでいた。
両親の元に養子縁組としてやってきたのが
6歳の冬12月。
そしてその家庭に慣れないうちに
翌年の春
小学校に入学と同時にある病院に入った。
いわゆるベッドスクール(死語?)だ。
入院しながら学習して、遅れての義務教育にならないようにというシステム。

先日
日本の代表曲は何かについて書いたが
「ふるさと」という歌を刷り込まれたというのは
校歌がないので
この「ふるさと」が代用されていた。
何かの集会のときにはよく歌わされた。
良い歌である。
広い北海道のあちこちの町からこの病院に
入院してきた子たちにピッタリな歌だ。
自分のふるさと。
それを思い出して歌う、ということなのかもしれない。
しかし
7歳の私には意味はわからない。
うさぎとか
川とか
の単語はわかっても
つつがなしや、などをいつになって意味を知ったことだろう。

その病院はいわゆるサナトリウム(これまた死語か?)で
小児結核だった私は
その治療のために入学入院する。
両親は小学入学のために洋服を新調してくれた。
ベレー帽をかぶって
上靴袋を持って
緊張のため肩に力の入った
純白の心を持った私の写真を写真館で撮ってもらった。
もしも
生母の元で小学を入学するとなっても
このような形で写真を残すとか服を買ってもらうとかは
なかったろう。
お金のなかった生母は
栄養失調になり、結核になった私をあのあと
どうしようとしていたのだろうか。


その病棟は
大人の病棟と義務教育の子どもたちの病棟で分かれていた。
私たち入学組数人が一番若い。
皆からいろいろと教えられ、可愛がられる立場である。
比較的軽い症状(安静度という段階で決まる)だった私は
10人くらいの大部屋のベッドだった。
そういう人数の部屋が幾つもあり、
症状の重い子は個室だった。

ここには生活があった。

普通の小学生のように
学校に来る数時間だけが「社会」ではなく
勉強後の時間も皆いっしょだから
生活そのものを共にしていた。
10人部屋には当然皆年上のお姉さんたちばかりだ。
私たち同学年の女の子は3人ほどだったと思う。
小学6年生の人は
自分にとって大人である。
ましてや中学3年のお姉さんは母親のような役割を果たしている。