今少し前に帰宅した。
私にしては遅いほうだ。
いつもなら自分の時間が終われば
即帰宅、なのに。
仕事を少しやっていたのもあるが
連絡不十分の件について
話し合ってきた。
地位が人を作る
というのがあるが
地位が人格を変えるということでもある。
権威とか官僚的とか
あるポストにつくと
その仕事を長い間しているうちに
すっかり変貌してしまった性格。
それをヒシと感じる人。
まあ
私の頭が
10数年前と変わらないから
その辺も問題なのだが
いつのまにか、乖離された心、とでも書くべきか。
皆、怖くて近づけないとは。
私は以前と同じように接していったつもりが
かなり拒絶的な態度を感じた。
驚いた。
いつのまにそうなった、彼女よ。
昔から
いつも追い詰められているような感じだったが
余裕の気持ちを持たないと
ただ恐れられるだけだ。
さてもう一人の同僚。
彼女は今日は出張で大きな研修を終えてきた。
大変だったけれど
勉強になった、と帰ってきた。
その話をずっと一方的にしていく。
私は思わず
「Kちゃん、えらいねえ。逃げないねえ。」と
感想を言う。
それは私自身への戒めの言葉として口から出たものだ。
彼女はいろいろあった。
毎年、やめることとの闘いだった。
でも今年の彼女は見違えるほど頑張っている。
落ち着きを取り戻していると思う。
本人は、まだまだだ、相変わらず、自分はダメだと
口にするが
以前と比べて、それが払拭されるほど
傍目に、頑張っていると思っていた。
その証拠に
私の所に来てのグチがない、どうしょう、という言葉がない、
長いメールもない。
夏に元上司と会ったときの、二人の同じ感想
「最後に笑うのはKちゃんですよ。」は当たっていると思う。
逃げない者が最後に笑う、と見本を見せられている。
この私は
重大な局面において
ずいぶんと逃げてきた。
逃げるとチャンスが遠のく、とわかっていても。
今あのまま自分が果たして
この職場で続けられていたか、と自問すると
?が出る。
もしも、という仮定で
語ることのできない人生。
人生は一度しかない。
その日も一度しかない。
人生が二度あれば、あの日やめないで続けていた自分の
未来を見てみたいと思った。