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気まぐれ読書・映画・音楽の記録。本文に関係のないコメントについてはご遠慮させていただきます。

マーク・ヘルプリン「白鳥湖」

2011-04-06 | 児童文学

原典の寓話の香気をそのまま残しながら、あの有名なバレエ『白鳥の湖』の意義をさらに深め、現代人にも通じる示唆に富んだ物語となることに成功している。マーク・ヘルプリンの語り口は村上春樹の翻訳を得て、チャイコフスキーの音楽の優美な調べを奏で、クリス・ヴァン・オールズバーグの光彩を放つ挿絵は、若き王子とみなし児の王女オデットの人物像に、バレエにはない微妙な陰影を添える

 

美しい文章を読むと。心が落ち着く。何度も読み返しながら、洗練された言葉の宝石を1つ1つ見つけ、想像力を膨らませ。お話の世界に身を置くことができるのは幸いだと思う。

優れた児童文学と称されるが、私は、村上氏訳のこの本を読んで、心が洗われる。もしくは、救われる。浄化したような気がするのだ。煩雑な日常の世界から。頁をひとたびめくっただけで、そのような感性を自分が持っていることに喜びを感じる。それはとても、有難いことだ。

 

その昔、白金に輝く山なみの壁に抱かれるように、ひとつの森があった。森はあまりにも高く浮かび、あまりにも優美に人目から隠されていたので、峻険な山頂に時折手をかけ、楽の音を奏でるがごとくたなびく、目にも鮮やかな白雲にも負けぬほど楽々と、世間の煩雑さから遠く離れていた。緑の中に散在する冷ややかな湖の底は測ることもかなわぬほどに深く、森が途切れる線に沿って続く草原は、光の中にぽっかりと浮かび上がって、ますで翡翠の板のような滑らかな緑色に輝いていた

冒頭分を読み始めてすぐに、その美しい世界を共有できるのは、私が、自然に恵まれた空と海と湖や川の美しい環境がまわりにある生活にいるからだろうか。言葉によって、脳裏に思い描かれる世界にすいーっと引き込まれれます。

心の中ではちゃんと分かるはずだ。本当に大事なことというのは時代によって簡単に変化したりはしないんだということが。そしてたとえ君がどんなに幼くても、どんなに幸せな日々を送っていたとしても、君には何故か彼らのことが分かるのだ。何故かその悲しみが分かるし、何故かその場所にいたことがあるのだ

おおざっぱな言い方をするならば、人間はふたつの世界で生きていると言うこともできるだろう。1つは神と自然のつかさどる世界であり、もうひとつは自らが作り上げた世界だ。もし前者の世界だけに生きて、その中で充足することができるなら、それは結構なことだ。それはまさに楽園と言ってかまわんだろうな。その世界については人間の誰よりも、動物たちの方がよく知っておる。そしてその世界をまったく抜きにしてしまったならば、人間というものは自らが設計したただの機械にすぎなくなってしまう。しかし人為的な世界だけで生きるのが耐えがたい事ではあるといっても、まったくそれを排除して生きるというものも、ある意味ではやはり同じくらい耐えがたいことなのだ。~人間の世界というのは確かに不完全さの上に不完全さを重ねていく営為に過ぎんかもしれん。しかしそうであればこそ、世の中は面白いのだ。いろんな予期せぬことが起きたり、いろんな間違いがあったりしてな。

人間が笑って動物が笑わないのは~人間がねじくれた不完全な世界に住んでいるから。そこにはつじつまの合わないことやら、矛盾する事やらが溢れておる。動物たちが笑わんのは、笑う必要がないかラサ。自然というものは完全無欠なものだ。それに比べて我々は、笑わなくてはやっていけないんだ。自分たちが作り上げたものやら、我々の緻密に計算された野心の中から生み出されたものやらを目にしたときなんかにはな。笑うことによって我々のプライドと、我々のあるがままの姿とは和解し、そこに救いというものが生じるんだよ動物たちは-猫を別にすれば-そんな必要性をもたないんだ

音楽というのは、たとえようもなく高貴にして誉むべき陶酔を生み出す泉なのだ~聴くものを床から持ち上げてしまうのだ。そしてそのまま何の苦もなくずっとそこに、空気より軽くうかばせてしまうのだ。完全無欠にして喜びに満ちた神の言葉を思い描くに当たって、おそらくそれにもっとも近いところにあるものが音楽だったのだ

 

おじいさんが娘に静かに語りかける言葉が心に染み入ります。

 

 



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