多くの友人たちの記憶は、今の私を励ましてくれる。
書くこと。詩人の暮らしを支えたすべてのものに、
愛をこめて真摯に向き合った珠玉のエッセイ集。
「詩は地球上のさまざまな言語の違いさえ超えて、私たちの意識に風穴をあけてくれるものだと思う。そこに吹く風はこの世とあの世を結ぶ風かもしれない」こう語る谷川俊太郎にとっての詩とは、言葉の力とは、そして友の記憶とは。さまざまな文章について語った「読む・書く」。河合隼雄や寺山修司ら友人について綴った「人」。そして大切な思い出「武満徹」。の3部構成
谷川俊太郎の絵本、詩集は、好んでよく読みますがエッセーを読むのは初めてです。
画家、カメラマン、シナリオライター、詩人、作家、音楽家…。谷川さんから見た、友人達の思いはやっぱり、洗練されていて、知らなかったその人物の素敵なところを引き出して、また、あらためて、そういった角度から読み直したい本があることを思い知らされる。
~私は子どもが嫌いです、だけど子どもを愛さずにはいられません。子どもは憎たらしいのにかわいい、自分勝手なくせに無垢で、残酷なくせに優しい、とてつもなく明るいかと思えば、途方に暮れるほど暗く、偽善者なくせに率直で、エネルギーに満ちあふれながら、怠け者。
子どももまた大人と同じように、或いはそれ以上に矛盾のかたまりです。どうにかしてそういう子どもの心を体をとらえようとしても、子どもはするりと大人の手の中から逃げ出してしまいます。
かといって今の子ども達が夢中になっているもの、例えばゲームやマンガを全面的に肯定できるかと言えば、そうも言えません。子どももまた大人と同じように、目先の快楽に走りますし、今のマンガの世界がどんなに豊かなものであろうとも、それだけで人生が分かるようになるとも思いません。知らず知らずのうちに子どもに媚びてしまうこともまた、大人の陥りやすい罠のひとつだと思います。子どもを一個の他者として大人と対等に見るところに、大人の知恵と経験が生きてくるのではないでしょうか。
~詩を書こうとするとき、人はひとりで裸で何も持たずに世界と自分に向き合わざるえない。少なくとも僕にその時必要なのは、絶対的な「閑」だ。僕は、恐ろしくて「快活」にも「愉快」にもなれない。特にこの時代に、この現代世界に生きていては。
~日常的な現実より観念の世界に生きることを好み、勝を沢山取ることに執念を燃やしながら鐘には頓着せず、実際に生きることには不器用なくせに文章の上ではいくらでも論じることが出来、恥ずかしがり屋であると同時に厚顔無恥でもあり…寺山修司回想
~「希望」は持ちこたえていくことで実体を無限に確実なものにし、終わりはない。…武満徹
~愛は他への心からの働きかけ 死ぬまで…和田夏十
~年をとっていくにつれ、削ることが大事になってくる。いわゆる情報はその量が苦痛だから、必要最小限度に留めておきたいし、マスメディアよりももっと小さいメディアのほうに感心が移ってきている。じかに顔が見える付き合いから得るものを、大切にしたい。
~記憶は削ることが出来ないが、それは情報とは違うから苦痛では無い。…あとがきより