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挿絵が大橋さんの銅版画というのは、雰囲気良いな~っとお得な気分です。
そして、小説とはちがって、エッセイの村上さんは、ぼそっと呟く感じが。可愛らしい感じだし、そうそう、私も一般大衆からはずれちゃって、大声では言えないけど、内心そう感じますって共感する部分が沢山あって、嬉しいです。
素直に受け止める事もあるけど…。おやっ、違うよなとか、こうじゃないかなとか思うことしょっちゅうですから。
それと、今週の村上って、一行か2行の一口コメントが、なかなか、気に入りました。
ふと、目にした看板についての感想や、エッセイについての備考のようなものだったり、言葉遊びのようなものだったり。
文末が大抵は。まっいいか。どうなっていくんでしょうね。とか、~な気がするんですけど。困ったな。~なんだけど。かもしれないですね。
ラフなつぶやき感が、ふにゃっとしていて、そこが心地よいのかもしれません。
ほとんどは、ジョークもあり、どうでもいいことなんだけどのようなつぶやきですが(でもね、これらのエッセイの脱力感が、疲れた日常を癒してくれる感じに仕上がって。ああ~エッセイを読むってこんな感じでリラックスするためだったのかななんて思います。…最後のエッセイは、まじめことでしめくくってますけど。
~この人生においてこれまで、本当に悲しい思いをしたことが何度かある、それを通過することによって、体の仕組みがあちこちで変化してしまうくらいきつい出来事。言うまでもないことだけど、無傷で人生をくぐり抜ける事なんて誰にも出来ない。でもその度にそこには何か特別の音楽があった。というか、その度にその場所で、僕は何か特別の音楽を必要としたという事になるのだろう。
人はときとして、抱え込んだ悲しみやつらさを音楽に付着させ、自分自身がその重みでばらばらになってしまうのを防ごうとする。音楽にはそういう実用の機能がそなわっている。
小説にもまた同じような機能が備わっている。心の痛みや悲しみは個人的な、孤立したものではあるけれど、同時にまたもっと深いところで誰かと担いあえるものであり、共通の広い風景の中にそっと組み込んでいけるものなのだということを、それらは教えてくれる。
あと、アメリカ、オレゴン州ユージーン郊外にあるNIKE本社の「究極のジョギングコース」一周3km、鳥の声を聞きながら美しい森を抜け、なだらかな給料を上下し、路面には柔らかいおがくずがみっちり敷き詰められてある。…実際に走ってみて。こんなコースが毎日自由に使えたら、人生はどれほど心安らかなものになるだろう。距離も勾配もカーブも理想的だし、麗しい自然に囲まれ、空気も新鮮。途中に整備された400mトラックがあり、そこでタイム練習することも出来る。
ふうん。400mトラックはないけど、ウッドチップのクロスカントリーコースを一度走ったことがある。コースは最高で、森林浴も出来たけど、川の側だから、ヤブ蚊が多くて大変でした。自然が多すぎても、駄目なんだなあ~。
京都の鴨川沿いもよさそうですね~。皇居のまわりをぐるぐる行くより。ずっとよさそう。
あとは、食べ物の話も好きですね。
時々、アタマの中に出てくるこびとさんも。。
思い巡らして、じゆうな空想の中で、遊べるのはすてきなことだと思う。