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気まぐれ読書・映画・音楽の記録。本文に関係のないコメントについてはご遠慮させていただきます。

角田光代「しあわせのねだん」

2009-08-11 | エッセイ

最新の電子辞書にえいやと24000円を払ったら、品物と一緒にうたぐりぶかい自分がついてきた。アジアン定食8NZドルで寛容に触れた。人助けにと出した1000円には今も怒りが収まらない。生きていれば自然とお金は出ていって、使いすぎればサイフも気持ちもやせるけれど、その全部で私は何を買ったことになるんだろう。家計簿名人のカクタさんが、お金を通して人生の謎に迫る異色エッセイ。

読むと言うより…少しだけ、活字に触れたい。バックに何かしら本を忍ばせますが、この本は数分時間があったら目を通すことが出来る。はっきり言って男性は、面白くもなく、ムダに感じる本でしょうが。

角田さんの感覚。一般女性と違う、独特の感性?

化粧はしない、風呂が嫌いとか、食べ物に対する執着。短気でありながら小心、泣き顔なために、怒っても怒っているように見えないところとか、なんとなく親しみを感じます。

だいたい風呂上がりのスキンケアなんて、2分当然でしょ。どうしたら30分1時間かけられる女性というものがわからない。

~好むと好まざるにかかわらず、私たちは一生お金と付き合っていかねばならない。ものすごく好きだった恋人と別れることがあるのに、さして好きではないお金とは付き合い続けなければならない。

~二十代の頃は、一生懸命、自分の自分だけの見地を探していたような気がする。恋愛、仕事、未来、全部、考えて自分なりの答えを出さなければ気が済まなかった。友人達と飲んでいた膨大な時間は、その考えの交換会であったような気がする。こう思う。それは違うたとえばそれはこういう事だと、熱く語り合ったような気がする。語り合ったって本当の答えは出ないとわかりつつそうしていた。

もうそういうこと全部、考えない。二十代の頃と今思っていることは微妙に変わってきているが、その変化は随分とふわふわしていて、そのふわふわを捕まえて言葉で考えるようなことを、私はもうしない。ふわふわなものはそのままふわふわさせている。しかし考えないぶん忙しくなった。

二十代を貯金に費やせば、それだけのことはある。というか、それだけのことしかない。数字は積み上がるが、内面に積み上がるものは何もない。ゆたかであるというのは、お金がいくらあると言うことではけっしてない。

~私たちはお金を使うとき、品物といっしょに、何か別のものも確実に手に入れている。大事なことは品物より、そっちの方かも知れないと思う。

 

たしかに!でも、その使い方や価値観は人それぞれ。何にどれだけの価値があって、なにを節約し、何に浪費するかは、言うなれば、その人の生き方なのかも知れない。改めてそう思う。

御母様の誕生日に毎年二人旅に行かれていた彼女のエッセイは、別の本で読んだものと同じだったと思うが。また、改めて母と娘のじわーんと…その距離感。両方の思いを感じるわけである。自分の中の娘と、母親としての私。

角田さんも今40代。私は、20代を子育てと仕事に割り振って自分の時間がなかったし、お金も使う一方でしたが…。そうして、なにか手に入れた貴重なものは、その人それぞれに大切な時間であったような気がします。だから、今さら、考えなくてもよいことに時間を使うのも惜しい気もするし。ふわふわと、そう考えないぶん、今しなければならないこと、今をしておきたいこと、今を大切に生きることかなあ~と感じる。

 



 



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