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本を読もう!!VIVA読書!

【絵本から専門書まで】 塾講師が、生徒やご父母におすすめする書籍のご紹介です。

『学校が自由になる日』 宮台真司、藤井誠二、内藤朝雄

2006年09月12日 | 教育関連書籍

著名なお三方が、学校について語っています。

宮台真司氏は、若者に絶大な支持を得ている社会学者。本書では、時に過激に、現在の教育行政や教員組合を非難し、東大教授の 佐藤学 氏、心理学者の 林道義 氏、漫画家、小林よしのり 氏らを無教養とののしります。

藤井誠二氏は、最近ラジオのパーソナリティーをされていて、意見を聞く機会が多いのですが、ここでは、個々の犯罪や校内問題などを徹底的に調べ上げた上で、その問題行動に至るように仕向けている学校システムを批判します。

内藤氏は『 ニートって言うな 』 でご存知の方も多いでしょうが、独自の教育システムを提案し、結果の平等ではなく機会の平等を貫徹できるシステムを追及します。


本書では、宮台氏が中心的存在でしょうか。私は、宮台氏が痛烈に批判する“共同体主義者” 佐藤氏、林氏、小林氏の著作、いずれもどちらかといえば、興味を持って読んでいますので、宮台氏の考えとは異なります。

宮台氏は別の著作でも、“論争には負けない” というようなことを豪語していましたが、確かに、豊かな知識に裏打ちされた理屈になかなか反論できないなと思っていたところ、『 不自由論 』 の仲正昌樹氏が、本書に言及し、以下のような趣旨で矛盾を突きました。

“宮台氏は、右も左も日本の論壇は「共同体主義者」に支配されていると批判するが、宮台氏こそ、その本でリベラル主義者たちの共同体設立を宣言しているではないか” 

その通り、なるほどと思った次第で、それが私が感じた違和感だったかもしれません。


お3人はフィールドワークや個人的経験から、学校が嫌悪の対象となっていますが、学校や共同体(集団)というものをあまりにも“本質的な悪”のようにとらえ過ぎている印象を持ちます。また、この3人の提示する(別々ですが)マクロの教育システムは、抽象的なものにとどまっており現実味に欠けます。

が、それでも、本書は多くの人々にぜひ読んでいただきたいと思います。3人のミクロの問題に対する調査力、原因分析能力はすばらしく、決して後付けの説明ではありませんし、歴史的背景も踏まえており刺激的だと思います。

そして、その対策として示されている案はリアリティーにかけるとは言っても、教員や教育行政担当者が見れば、自分の考えを疑う良いきっかけになると思うからです。現在、学校を語る上で、右、左の対立軸だけではとても済まない状況に陥っていると痛感します。


先日も『 学校が泣いている 』 をご紹介しましたが、確かに、ひどい学校もあります。しかし、よほど安心できるシステムがない限り、学校を無視するのではなく、再生するしかないと考えていますが、いかがでしょうか。
学校が自由になる日

雲母書房

詳  細


http://tokkun.net/jump.htm 


『 学校が自由になる日 』  宮台真司、藤井誠二、内藤朝雄
雲母書房:333P:1890円


■■ やっぱり公立校 ■■
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『学校が泣いている』 石井昌浩

2006年09月06日 | 教育関連書籍


これは許せませんね。岐阜の話から…

岐阜県の裏金問題、最初は、お役所体質のひとつぐらいに思っていたのですが、その受け皿の一部が、“教職員組合”というではありませんか。労組というのは、本来弱者が集まって、権力者に対抗するチェック機能を果たすのが目的で存在しているはずです。

それが、こともあろうに、生徒を教育するはずの教職員が、県(権力者) と一緒になって、一般市民から税金泥棒を働いていたという構図です。しかもばれたあと、“裏金は焼却した” と子どもじみたうそまでつく。あきれます。


岐阜県の公立高校と養護学校は合計85校、そのうち何と30校が、裏金つくりに参加。多い年は年間3600万円というではないですか。この数と金額はどうですか。“一部の不心得者が…”という言い訳じゃすまないでしょう。完全に組織ぐるみだと思いませんか。

これまでも、さまざまな問題を起こしているのに、なぜしっかり教員組合に、監査が入らないのか。税金ですよ、税金。総裁選にからめて、消費税UPを取り上げる前に、どうしてマスコミは、税金横領撲滅キャンペーンを張らないのでしょうか。不思議でなりません。当然、岐阜県だけの問題ではないはずです。


そして、こういった役所の裏金事件の不可解なところは、いつも、それがバレてもお金を返すだけ。(行儀悪いけど、)“ざけんなよ~!”と言いたくなります。なんで関わったもの全員クビにしないんですか、なんで逮捕しないんでしょう。

どこから見ても、立派な横領とか背任でしょう。飲み食いやタクシー代に使っていたというのですから。役人の組織ぐるみの裏金作りは、外務省でもありましたし、北海道庁他、いろいろありましたよ。いつも、せいぜい、とかげのしっぽ切りで終わります。


私は今でも、小・中学校の恩師と年賀状のやりとりをさせていただいており、学校の先生が好きでしたし、実の姉とその子どもは岐阜県に住んでおります。ですから、ここまで書く気はなかったのですが…、

この岐阜県教員組合のブログを見て、大人げないけど、“切れました”。じっくりお読み下さい。

→ http://gifukyoso.blog58.fc2.com/blog-entry-49.html


おかしくないですか、この理屈?批判覚悟で書かせていただきます。

外から客観的に見れば、自分たちが積極的に関わってきた犯罪行為を、全く反省していないばかりか、最後は

『とりわけ、修学旅行の下見や自主的な研修に行けない実情を改善するため、旅費を増額すること』 と要望しています。 

本気で反省し、書いた人物が潔白なのなら、この卑劣な事件に関わった教員の氏名公表や、辞職を要求するのが先ではないですか。そもそもあなた方は、生徒のほうを向いているのか!仲間をかばう気しかないのではないか。


怒りを通り越して、絶望感さえ感じます。でも、遠慮していたらますますまじめな納税者がバカを見ますし、教員組合はつけ上がる。自分の子どもを学校に預けていらっしゃる親御さんは、直接、言いにくいでしょう。そう思い、あえて書かせていただきました。

乱文お許し下さい。


そういう訳で、前置きが長くなりましたが、ひょっとして教員組合が支配する学校現場の問題を、ご存じない方もいらっしゃるのかと思い、ためらいましたが、本書をご紹介します。もう数年前のできごとですが、この本を読んだ時の衝撃は、いまだに覚えています。

東京国立市で起こった『 校長土下座要求事件 』 をご記憶でしょうか。ごく普通の公立小学校のできごとでした。卒業式当日、屋上に国旗を掲げた校長先生を一部の児童が取り囲み、「土下座」して謝ることを要求したとされる事件ですが、その真相を当事者がまとめたショッキングな内容です。

国立のある学校では、日の丸の赤は血の色、白は骨の色と教え、紅白の幕は日の丸を連想するからだめ。運動会での玉入れは、紅白の玉の代わりに青と黄色の玉入れをさせた、などという話もきいたことがあります。

こういうことは、過去のことだと思っておりましたし、私の友人にも学校に立派に勤めている人間が何人もいるのですが、岐阜県の事件を聞くにおよび、やはり、本質が変わっていない、本書しかないかなという一冊です。

(ホントに長くてすいません。)


さて、この本のレビューを実は、同僚の “genio” が書いております。私と違って、彼は学校の教師を経験し、実態を知っていますので、私なんかよりずっと本書紹介の適任です。私も言いたいことはたくさんあるのですが、今日は、尊敬する genio さんの書評を、了解を得て以下に掲載させていただきました。お読み下さい。

■■■■■

『理念先行の危うさ』 

文教都市・国立での「土下座要求事件」当時の教育長石井昌浩氏が、なんと現職という立場のままで、事件のいきさつについて明らかにした 『 学校が泣いている(扶桑社) 』が先般出版されました。このような形で、児童を含めた一連のやり取りや教職員集団の教育に対するかかわり方などを公にしたのは例外的な出来事です。

長年にわたり国立市では「子ども中心主義」の理念のもとで、人権教育・平和教育・ジェンダーフリー教育などの「進歩的」取り組みが行なわれてきました。確かに子どもが主体的に考え、意見表明すること自体は悪いことではありません。でもそれが過度な権利意識を育て、政治的に偏った教育が行なわれていたとしたらどうでしょうか。

たとえ国旗・国歌を好ましくないものと考えたとしても、子どもたち自身が自らの判断で「土下座要求」するのはあまりに不自然です。これを子どもの意見表明として肯定的にとらえる大人がいたということは何を意味しているのでしょうか。

また国立市は中学生の不登校の数が東京都で一番多く、全国平均の二倍にも上るということは一体何を意味しているのでしょうか。

国立市は「新左翼の解放区」と言われています。体罰や学級崩壊をマスコミに公表するような管理職は、教員の身分を危うくするものとして裏切り者扱いされ、つるし上げにあうそうです。

一方、ジェンダーフリー教育の一環として男女混合名簿が全国に先駆けて導入されたり、権威を徹底的に否定するために卒業証書授与式が排除されたり、強い党派性を感じさせる教育が行なわれてきました。

詳細な情報は公にされず、教育内容に関するチェックは一切行なわれず、閉鎖的な環境の中で一部の教員が主導する反権力を旗印にした過激な教育理念が実践されてきたといえるのです。

教育委員会の職員が学校に来るのは、監視であり、昔の特高警察と同じだから教室には入れない。校長の授業視察は、管理体制の強化のためだから教室には入れないそうです(都議会議事録)。石井氏の著作はそのような教育行政に風穴を開ける画期的なことだと思います。

公教育として税金で運営されている以上、偏向教育は論外ですし、それを包み隠すような理念先行型の教育論争は無意味であるどころか有害です。個性を育てるという教育目標は、言葉は美しいですが評価のしようがありません。

少なくとも将来の社会の形成者として要請される基礎学力を身につけさせることが何より大切で、それが定着しているかどうかを数値として公表することによってはじめて、納めた税金が適正に使われているかどうかを正当に評価できるのだと思います。

理想論だけで教育を語ることに胡散臭さを感じるのは私だけでしょうか。理念先行の教育がもたらす弊害は次々と明らかになっています。教育の荒廃が叫ばれる昨今、理念に酔うのではなく、公教育の中で子どもたちが何を身につけることが出来るのかを具体的に語るべき時ではないのでしょうか。

本書は、勇気ある著者が、この事件をもとに、教育を世に問いかける、記憶すべき一冊であると思います。

■■■■■
学校が泣いている―文教都市国立からのレポート

扶桑社

詳  細



genio さんのブログです。ぜひご覧下さい。→ 『 入試に出る!時事ネタ日記 』

http://tokkun.net/jump.htm 



『 学校が泣いている  』 石井昌浩
扶桑社:209P:1500円


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『一人の父親は百人の教師に勝る』フィリップ チェスターフィールド

2006年08月26日 | 教育関連書籍
  

『1774年、今から200年以上も前に書かれた名著です。本書の原題は『Letters To His Son(息子への手紙)』 ですが、この邦題はいかがでしょうか、そのままでいいと思うのですが…』

と、実は3年前に当教室のメルマガの書籍紹介で、本書を取り上げました。今、改めて、確認してみると、何と、邦題が 『わが息子よ、君はどう生きるか』 に変わっていました!そちらはノーベル賞学者の小柴先生が推薦されております。

チェスターフィールド2


もしご覧いただけるなら、こちらの方が入手しやすいでしょう。こんなことあるんだな~と思っておりましたら、そもそも『わが息子~』の方が元だそうで、もう一度元に戻したということらしいです。ホントにややこしいし、題だけ変えて売ろうということをよくやるのでしょうか。なんかセコい、という気がしますが。

それはともかく、
300年前のイギリスは、訳者の竹内均氏によれば
『重商主義の時代で、裕福な市民や近代的な地主を基盤として議会制度を確立し、外国との条約を結ばず戦争をせず、大国フランスとの協調を第一とし、こうして浮いた金のことごとくを経済発展に注いだ』状況ですが、これフランスをアメリカに変えると日本の状況に似ていないでしょうか。

国会議員でもあるチェスターフィールドが、息子に対し、豊かさの中で、努力を怠らず、人格を磨き、どう教養を身に付けるのかというアドバイスをします。礼儀から、学問、読書、友人、健康、身なり、振る舞い、様々な分野に及びます。暖かく、そして厳しい指摘が続きます。

以下のような一節で始まります。

『怠慢-これについて君に言っておきたいことがある。私の愛情は、君も知っての通り、やわな母親の愛情とは違う。私は、子供の欠点から目をそらすようなことはしない。その反対だ。欠点があれば、それを目ざとく見つける。それが、親としての私の義務であり、特権であると思っているからだ。

一方、その指摘された点を改めようと努めるのが、息子としての君の義務であり、権利であると思うのだが、どうだろう。(後略)』 

“紳士の教科書” と呼ばれているそうですが、なぜ、こんなに長期に渡って、世界中で読み続けられるのでしょうか。フリーター、ニートなど、いかにも現代特有の社会現象だと、とらえがちですが、昔から、いったん豊かになったあとの社会で、人がどう生きるかという難しさがあったのではないでしょうか。

“衣食足りて礼節を知る”とも言われますが、衣食はあまり、平和で低成長の社会が長く続くと、皮肉なことに、若者は刺激を求めて、社会に反抗するでしょうし、大人はその対処に迷うのでしょう。本書にその時代の答えを求める人々が、昔からいたのだと思います。

日本のお父さんたちは、自分の子どもに、こんなにストレートに話をしたり、手紙を書いたりすることは苦手でしょうが、参考になる、目からうろこが落ちるといったアドバイスが多く含まれていると思います。

“紳士の教科書” というより、“お父さんの参考書” と言った方が良いかもしれません。
一人の父親は百人の教師に勝る!―親にしかできない人生教育 この絶対不可欠なこと

三笠書房

詳 細


http://tokkun.net/jump.htm


『一人の父親は百人の教師に勝る』フィリップ チェスターフィールド
三笠書房:234P:1575円
『 わが息子よ、君はどう生きるか 』フィリップ チェスターフィールド
三笠書房:236P:1575円


■■ 生きにくい時代であろうと、なかろうと、お父さんにかかる期待は大! ■■
最後までお読みいただきありがとうございます。参考になったと思われましたら、クリックしていただけると大変ありがたいです。 

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『男の子の脳、女の子の脳』 レナード・サックス (谷川漣 訳)

2006年08月16日 | 教育関連書籍
  

数年前、上智大学の英語入試問題で、 『男女は本質的に学習の仕方が違うのだから、男女を一緒に教えるときは、それを考慮して、指導方法を工夫しなければならない』 という趣旨の長文が出題されました。

私も “うちの塾 は個別指導だけど、確かにな~” と強く印象に残りました。

一方、学校教育におけるジェンダーフリー教育は、是正されつつありますが、それでも、“男らしく”、“女らしく” というのは、依然としてタブーに近いのではないでしょうか。

「男の子だけでサッカーをしたり、女の子だけで縄跳びをしたりしているのはよくない。男女が混ざってやっているとよい」 これは神奈川県の男女共同参画室の提案。

「家事、育児、介護などに対して経済的評価(=カネ)を与える家族をつくろう」 これは水戸市の条例。

「男女混合名簿というのは、男が先で良くないから、女男混合名簿と書いて、ヒト名簿と読む」 
これは日教組だと言われていますが、ちょっと信じられませんね。

おじいさん(男)が山へ柴刈りに(仕事)、おばあさん(女)が川へ洗濯に(家事)といった昔話は、性別役割意識を刷り込んでしまうので、読ませてはいけないという主張を大真面目にしている連中もいます。


実際、男女混合名簿は公立小学校や全日制高校では8割くらいが実施していますし、男子も女子も「さん」付けで呼ぶ学校の先生も、いまだに珍しくありません。そして、ついに体育の際の着替えや合宿での男女同室の扱いに至り、さすがに東京都は怒り、少し前、ジェンダーという言葉を教育現場で使用禁止としましたね。

ネットで検索すれば、ジェンダーフリー 論者の信じられないような教育実例が、いくらでも見つかります。実に気味悪く、恐ろしいと思っていたのですが、それらすべてのもとになる考えが、 

『男女の違いは、生まれつきではなく、社会的に作り出される』 という誤解です。

内田樹氏の著作 『 女は何を欲望するか 』 は、フェミニズム理論が広く受け入れられなかった理由を、社会学的、哲学的に考察した刺激的な本でした。

本書では、“医学的、科学的に裏付けられた証拠のあるものだけ” を用いて、男女は “生まれつき脳のしくみが根本的に違う” ということを明確に主張しています。赤ん坊の時から、男女では、ものの見え方や、聞こえ方、感じ方など、何もかも違っているのです。

『ほら見ろ!やっぱり男はもともと、闘争心旺盛で、数学や科学が得意で、女は男よりも情緒的で、協調性が高いんだろう』 と言いたいところですが、これはウソだそうです(笑)。そのわけは、本書をお読み下さい。

そして、これが大事なところですが、いずれにしろ、特に低年齢の子どもの場合、教師や親がそのことを、はっきり認識して、教育、指導をしないと、“うつ”や“ケガ” “登校拒否” など、子どもに大変不幸な事態を招きかねないとして、実例を挙げています。

男の子を、“さん”付けで呼ぶ先生に教わっている生徒のおやごさん、また、男女平等という崇高な価値観から、ついつい性差に対して否定的な見解をお持ちの先生方、すぐにでも読んでみて下さい。出色の一冊でした。
男の子の脳、女の子の脳―こんなにちがう見え方、聞こえ方、学び方

草思社

詳  細


P.S. 本書は、すかいらいたあさんのブログ 『無秩序と混沌の趣味がモロバレ書評集』 から、“おもしろそうだ” と思って、物色してきた一冊です。おもしろいというレベルを超えて、大当たりの一冊でした。ありがとうございました。みなさんも物色しに出かけてみては(笑)。



『男の子の脳、女の子の脳』レナード・サックス (谷川漣 訳)
草思社:238P:1365円



■■【男女七歳にして席を同じゅうせず】は正しかった。流行の浅はかな思想より、古人の知恵は勝っていたわけです。男女は当然平等であっても、互いの違いをきちんと認め合わなりと、子どもが犠牲になり、住みにくい社会になりそうだと思いませんか。そうだなという方、クリックしていただけると大変ありがたいです。■■
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『アメリカ最強のエリート教育』 釣島平三郎

2006年08月10日 | 教育関連書籍
 
格差社会が、時代のキーワードのようですが、生徒たちが知らないのは、韓国や中国はもちろん、“自由” “平等” “博愛” などのスローガンで登場する、民主主義のチャンピオン、西欧諸国の方が、日本よりずっと学歴社会が浸透しており、格差が大きいということです。

もちろん、だからといって日本の格差拡大に賛成するのではありません。このブログでも、『封印される不平等 (橘木俊詔) 』をご紹介しました。また、『街場の現代思想 (内田樹) 』で描かれるようなフランス社会に比べれば、日本のほうがずっと良いと思います。

ただ、常々授業で、子どもたちの “勝ち組、負け組” という発言を聞くたびに、日本が世界有数の平等な国家だということ、人によっては社会主義じゃないかというほど階層がないしくみを日本が作ってきたということを知ってもらいたいと思います。

誰でも、必死に勉強すれば、今の格差が広がっている日本とはいえ、まだまだ欧米に比べれば、勝ち組(あまり好きな言葉ではありません) と呼ばれる層に入る可能性はいくらでもあるという事実です。

本書は、アメリカ社会では、エリート層がどういう道筋を通るのか、そのしくみや、格差の実態を紹介します。筆者の主張は、アメリカは個性を伸ばし、日本は画一的であるという、割と単純な意見ですが、どう思うかは別にして、さまざまなデータが満載されていますので、興味のある方には貴重な一冊だと思います。

一番わかりやすいのが、下世話ですが、大学院卒の初任給の比較でしょう。日本では仮に東大などの一流大学の大学院卒で、一流企業に入っても、せいぜい月給25万円前後でしょうか。

一方アメリカのハーバードやスタンフォード大学などのMBA (経営学修士)取得者はいきなり初任給で、年収1000万円を軽く越えます。しくみが若干違うので、一概に比較するのはどうかと思いますが、そこらあたりの説明など、ランキングなどを多数紹介し、非常に丁寧です。

また、そういうアメリカのトップエリートたちが、激烈な競争社会(学歴社会)の中で、どれほど勉強しているか、どういう思考方法や行動様式が代表的なものなのかを、筆者の感想を交えて描きます。

数年前、当教室のHP で、ゴーマンレポート という、世界中の大学ランキングを、海外のHPからカタカナにして、簡単に紹介しただけだったのに、多くの大学院生や、テレビ局からまで問い合わせがあり、驚いた覚えがあります。

そういう意味では、本書一冊あれば、アメリカ限定ですが、また、それを良いと思うか、悪いと感じるかは別にして、かなりの情報が得られると思います。



P.S.  ついでに申し上げれば、日本のゆとり教育は、“生きる力”だの“個性を伸ばす”だのという美名の下に、実は、こうしたアメリカ風のエリート教育をめざしているものだとにらんでおります。

ゆとり教育元年の2002年に書きました拙文 

 ゆとりよりも夢を!衣の袖からエリート教育の鎧(よろい)が見える 』 をUPしておきました。ご覧いただければ幸いです。


http://tokkun.net/jump.htm

アメリカ 最強のエリート教育

講談社

詳  細

『アメリカ最強のエリート教育』 釣島平三郎
講談社:206P:880円


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読書小説書籍・雑誌ニュース

『教師 大村はま96歳の仕事』 大村はま

2006年07月22日 | 教育関連書籍
          
さまざまな教育関係の書籍の中で、勉強になったものはもちろん数知れずありますが、本書はそれを通り越して、圧倒された一冊です。『 教えることの復権 』 大村はま/苅谷剛彦・夏子著もすばらしい本ですが、本書は迫力が違います。

昨年、98歳でお亡くなりになる前、はま先生が96歳の時で出されたものですが、その当時、子どものために依然として新しい教材を作っている、だけでなく、現役として、みなの前で子ども相手に授業を実践して見せておられます。

先生は指導をする際、生徒一人一人を心をつかむため、全員の誕生日を頭に入れてあります。さらにさらに、彼らをやる気にさせるために、いつでも疑問に答えられるように、学校の図書館にある本、すべてを読んだというのです。ちょっと想像を絶します。

今、世界レベルで グーグルがやろうとしていること を、はま先生は何十年も前に、すでに自分ひとりの頭で発想し、実践したわけです。生徒の興味が沸いた瞬間をのがさない、という意味です。

ゆとり教育に伴う『学力低下』は当たり前である。その原因はシステム以前に“教師が教えることをしないからである” といった指摘、総合的学習を有効に活用するための教員の心得など、学校・塾に関係なく、教師には示唆に富む一冊です。

そして、大村氏に薫陶を与えたのが、あの 『 武士道 』 の 新渡戸稲造先生(東京女子大学、卒業写真) です。こんな超人的先生に比べられたら、私のような塾講師は、ごみ、ホコリのようなものです。従って、本当は親ごさんに読まれると、ちょっとまずいかも(笑)。

一人でも多くの教師や、教師を志す学生に読んでもらいたい一冊ですし、私も日々、特に 夏期講習 など大きなイベントの前に強く意識するのが本書です。少しでも近付きたいと…。

教師大村はま96歳の仕事

小学館

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『アメリカの歴史教科書が教える日本の戦争』 高濱賛

2006年07月10日 | 教育関連書籍

本当に教科書問題はいつのまにか、国際問題になってしまいましたね。相変わらず、扶桑社の教科書に対しては、読みもしないで中国や韓国が反論してくる。内政干渉だ!と言いたいんですが、その前にちょっと待って…、せめて読んで(笑)。一方新しい教科書を作る会の方は、最近は内紛が云々と報道されました。

教科書の内容ではなく、完全に、政治問題化してしまったので、取り上げたくてもちょっとひるみます。こちらでは以前、『教科書採択の真相』 と、『「新しい歴史教科書」の絶版を勧告する 』 と一冊ずつ公平に取り上げました。

(このブログが参加している“人気ブログランキング”の読書のカテゴリーでも、1位、2位の方々は、読書というより、政治ランキングのようになっています。→ (押すと投票になります))


本書は、日本の教科書問題を取り上げつつ、では、日本に原爆を落とし、パールハーバーなどという映画を作って喜んでいるアメリカでは、日本やヒロシマについて、どう教えているのかを紹介します。

非常にユニークな一冊で、私は本書を読んで、教科書事情が、かくも違うものかと驚き、なぜそうなのかという説明に、なるほどと感心しました。

筆者によれば、そもそも歴史教育とは 「国家の死活的問題」 であり、歴史教科書はその 「秘密兵器」 で、何でもオープンなアメリカでさえ、外国人である著者が、長年アメリカに住んでいても、アメリカの歴史教科書を手に入れることは、困難を極めたそうです。

“乱暴者のアメリカ” から想像されるより、はるかに公平な見方でした。ただ、そうなったのは割と最近のことで、当然、現在権力を持っている層の年代の受けた教育とは異なることもきちんと説明してくれます。ブッシュ大統領が子どもだったころの教科書の解説などまであります。

田原総一朗氏は本書をこう推薦しています。

『なぜ、これまでこの巨大な穴を誰も埋めなかったのか?アメリカの原爆投下を、正当化しようと努め、77年以降それがなくなった。なぜなのか?こうした事実が次々に出て来る。面白い、というより、アメリカ人を知る上で、必読の書である』

絶賛していますが、私も、教科書に関心のある方にとっては、本書はかなり良い本だと思います。

アメリカの歴史教科書が教える日本の戦争

アスコム

詳  細

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『アメリカの歴史教科書が教える日本の戦争』高濱賛
アスコム:294P:1785円



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■特集!教育に関する本■

2006年06月14日 | 教育関連書籍

先月は、当教室メルマガの 『入試に出題された本』 の特集をお伝えしました。今月は『教育に関する本』 がテーマです。やはり私以外に、いろいろな先生方が書かれておりますので、無記名とさせていただきます。なかなか良書がそろったと思います。



■ 『崖っぷち弱小大学物語』 杉山幸丸著(中央公論新書 756円)206p
 

崖っぷち弱小大学物語



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筆者はかの京都大学霊長類研究所の所長、日本霊長類学会の会長を歴任、世界的にも優れた研究を残しています。輝かしい経歴を引っ提げた筆者が、定年後、いくつかのオファーの中から選んだのが、本書の舞台となる、ある大学の人文学部長の職です。崖っぷち弱小大学とは、よくも言ったものですが、生徒を集めるのに四苦八苦している大学のこと。そこで、筆者が、やる気のない学生、問題意識の低い教師や職員を目の当たりにし、学校改革に乗り出していく物語です。底辺といわれる大学で何が行われているか、良くわかります。少子化がますます進むこれからの時代は、大学も中身で勝負するしかないということも実感します。非常におもしろいだけではなく、実際の大学選びにも役立ちそうです。
大学 学校選び 霊長類



■ 『学力を育てる』 志水宏吉著(岩波新書 735円)224p 
 
学力を育てる



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知識の詰め込みで獲得できる学力を『葉』思考力や判断力、論理構成力、考える力、表現力を『幹』そして、意欲や関心、態度といったものを『根』とする一本の木に学力を例え、どのように木を育てていくのか解説しています。木を大きく育てるためには学校と家庭と地域の支えが必要であり、それは連携よりも協働が望ましい、と様々なデータや調査、取材により、著者は結論付けます。最近度々目にし、耳にする学力格差についても詳しくデータから分析し、克服の成功例を挙げ、今後の公教育のあり方や可能性を説得力に満ちた説明がされており、教育関係者や保護者の方には有意義な一冊となるはずです。 学力 格差



■ 『カリスマ体育教師の常勝教育』 原田隆史著 (日経BP社 1400円)260p
 
カリスマ体育教師の常勝教育



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「生活指導の神様」とあだ名される体育教師の指導理論書です。松虫中学という荒れた学校で陸上部を指導し、7年間で13回の日本一という偉業を成し遂げています。さぞかし優秀な人材がいたのだろうと考えがちですが、氏の指導は家庭や学級での生活態度を正すことで心を強くし、どんな勝負にも平常心で臨んで勝つというやり方にその特徴があります。優勝した選手が「毎日皿洗いをしたら優勝できました」というほどです。子どもの教育だけでなく、企業の社員教育にも通ずるものがあるでしょう。 カリスマ 社員教育 陸上部 平常心 



■ 『子供の潜在能力を101%引き出すモンテッソーリ教育』 佐々木信一郎著(講談社+α新書 840円)186p
子供の潜在能力を101%引き出すモンテッソーリ教育



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 ある能力が最高に発達する時期(発達の旬=敏感期)を逃さず、独特の教育を施していくモンテッソーリ教育の方法がわかりやすく紹介されています。幼児期における学習についての方法論のため我々学習塾から考えますと、関わる以前の年代の話になりますので授業で実践できることはありません。しかし本書で示される”学びのスパイラル”は学習指導においても根本であると思いますし、”学びのスパイラル”により癒されるという記述などは非常に興味深いものです。正解が分からない幼児期の教育において、どうすれば良いのか悩まれている親御さんは一度読まれてはいかがでしょうか 。モンテッソーリ 幼児教育



■ 『叱らない教師、逃げる生徒』 喜入克著(扶桑社 1575円) 253p 
叱らない教師、逃げる生徒―この先にニートが待っている



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 今学校では何が起きているのか。実際に聞いた話のなかに、“授業中でも生徒同士で話をする”“学校でお菓子を食べる”“授業中に立ち歩く”といったことがある。これらのことは当たり前になり、この本にもあるように、教師も注意しなくなり教育現場のレベルが下がってきた。ニート・フリーターは基本的には自分の責任が大きいとは思うが、これだけ大量に増えてしまった理由として、教師の責任も大きい。生徒に指導する立場として、今何をするべきか・考えるべきかを与えてくれる本でした。 学校 教師 フリーター


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サッカーのことはしばらく忘れて、読書で心を落ち着けましょう。   

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『社会的ひきこもり~終わらない思春期~』斎藤環

2006年05月12日 | 教育関連書籍
  
サブタイトルに惹かれて買ってしまいました。筆者は精神科医で、これまでの研究や臨床経験から、『社会的引きこもり』の症状が発症しやすいのは、中流以上の高学歴家庭の長男だとしています。

又不登校についても言及していて、不登校だから引きこもりになるのではなく、引きこもりが“思春期の問題”であるが故に、発症するきっかけが不登校であることが多いというのです。

専門的な言葉で説明もされていましたが、思春期の子どもが“あるべき自分”と“現在ある自分”とのギャップに苦しみ、消極的になり、対人関係を上手に作ることに失敗して引きこもるケースが多いと言うことが分かりました。

そう言えば高学歴の両親を持ち、しかも長男であれば、周囲からのプレッシャーも他に比べれば強いだろうなと想像しました。筆者によれば、女子の引きこもりが少ないのは、早くから「女の子」として育てられ、社会的な枠組みの中である程度行動が制限され、諦めることを早くから覚えるからだそうです。このあたりは今ひとつ理解できませんでした。自分自身に対する期待値が高くないということでしょうか。

そして本書では、ひきこもりの対応策として、子どもを突き放したり、逆に甘えさせたりすることは百害あって一利なしとしています。『社会的引きこもり』の子どもたちはすでに自分が「ダメ」な事を痛いほど自覚しており、だからこそ苦しむからだとしています。

引きこもりを「贅沢病」と一蹴するのは簡単です。 確かに筆者が接触したタイの精神科医によれば、途上国では経済的に引きこもりなど成り立たないとしています。 一方先進国でもフランスではひきこもりなどという事例は存在せず、これを日本独特のものとしています。

ところが、別のフランスの精神科医は『社会的引きこもり』はフランスでは中1ぐらいから発症して、彼らの多くはホームレスになるために実態の把握が出来ていないのだといいます。

突き放した先に見えてくるのは引きこもりのホームレス化なのではないでしょうか。また逆に甘えさせるのは「共依存」になり、ダメな子どもを支えられるのは親(多くは母親)である自分しかいないと決心することで、逆に自立を遅らせてしまう危険性もあります。アルコール中毒の夫を持つ妻も同様の問題にはまり込むということを聞いた事があります。

出口の見えない問題ですが、誤解や偏見を解き、早い段階で精神科医のもとに相談に来なければ自立を遅らせるだけだという結論でした。以前ご紹介した、諸富祥彦氏の『生きるのがつらい。』は主に“うつ病”“自殺”について考察していますが、精神的な追い込まれ方が似ているなという印象を持ちました。

社会的ひきこもり―終わらない思春期

PHP研究所

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PHP研究所:222P:690円

『「ドラゴン桜」わが子の「東大合格力」を引き出す7つの親力』親野智可等

2006年05月05日 | 教育関連書籍
 
自分の子育てを振り返る時、本書にはヒントがたくさん詰まっています。“子どもの将来は親力で決まる”というのが親野智可等(本名:杉山桂一)先生の主張です。本書が出た時点で(昨年10月)、『ドラゴン桜』はすでに450万部売れていたそうで、テレビドラマにもなっていますから、一つの“社会現象”です。

ご存知のように、ドラゴン桜は東大合格を目指す物語ですが、親野先生とどうつながるのか、そう思って本書を読みました。結論から申し上げれば、やはり『東大』と、本書は全く関係ありません。

親野氏のことをまったくご存じない方が本書を手にしたとすれば、書名から、東大合格のハウツーもの、とカン違いされ、憤慨するかも知れません。どうしても『東大合格』と入れたかったのでしょう。本書で親野氏は、東大入試の分析はしませんし、『東大合格力』という言葉や『受験』ということに関してすら、ほとんど触れていません。

学習習慣、勉強方法(九九や百マス計算、漢字など)に関して、種々の工夫が紹介されますが、むしろ、食事、排便、おこずかいなど、しつけ、生活の部分、家庭の『親力』が将来、学力を養う基礎となるという、これまでの考えを強調します。

そういうわけで、私は本書の書名には納得いきませんが、内容は『親力で決まる』同様、示唆に富んでいました。ドラゴン桜にも勉強のテクニックがたくさん出ていますが、それだけでなく、桜木健二や他のカリスマ講師によって語られる、人生観、教育観が人々にアピールするからではないでしょうか。

親野氏は、精神論においても、ドラゴン桜と通底する部分があり、ところどころでドラゴン桜の絵とセリフを引用しながら、自分の主張を補強するような書き方です。

めずらしいですよね。『勉強(成長)とはこういうものだと思います。ドラゴン桜にこんなシーン(セリフ)があります』。と進んでいくのですから。従って非常に読みやすく、わかりやすいです。主に小学生のご父兄にお薦めします。

P.S. どうしてももう一言
 『本を書名で判断するな』『書名で選ぶやつはバカだ』など、昔からよく先輩に言われましたが、やはりミスリーディングな書名は避けていただきたい。誠に僭越ながら、親野先生には(出版社にはムリでしょうから)こうした“マナー”を期待したい。せっかくの良い内容なのに、信憑性を疑われかねません。

「ドラゴン桜」わが子の「東大合格力」を引き出す7つの親力

講談社

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『「ドラゴン桜」わが子の「東大合格力」を引き出す7つの親力』親野智可等
講談社:254p:1470円

『転機の教育』朝日新聞教育取材班

2006年04月27日 | 教育関連書籍

産経が変えた風をご紹介し、朝日新聞の猛烈な批判のされぶりを述べ、朝日の反論本のご紹介をお願いしましたが、教育に関してはお薦めの本がありますので(バランスを取る意味でも(笑))一冊挙げておきます。

本書は朝日新聞での連載をまとめたものです。「ゆとり教育」導入の背景説明から、この間の論争、そして実際にその方針に対応した自治体や、学校の新しい取り組みを紹介するものです。

すばらしくうまくいく実例などが載っていますが、それを成功させるためには、学校単独の力だけでは難しく、数多くの地域ボランティアや、多額の予算などが必要で、どこでもすぐに導入できるものではないことがわかります。『これうちの子の学校にできるかなぁ』などと考えてしまいます。

また自治体や学校に自由度を与えたのは良いのですが、指導要領は最低基準だから、それ以上やっても良いと言いながら、授業時間は削られてしまうのですから、これまでと同じ水準の教科学習をすることさえ難しくなっていくのは当然です。

ある程度予想された事態だとはいえ、ここまで各自治体、学校間で格差が広がれば、同じ税金を負担していて、低いサービスしか受けられない人々にどう対応するのかが大きなテーマになってくると思われます。満足しているのは自分の選んだ私立校に通える裕福な層だけで、私立校はおろか、公立校の選択さえままならないような、多くの地方都市に住む人は単に行政からの教育サービスが低下しただけです。

本書にはそういう状況にもめげず一念発起した首長や、校長の力で克服している例がありますが、やはり予算を付けないままの改革ですから、相当な苦労がともないます。文科省は、いろいろとモデル校を選び予算をつけましたが、まだまだ目が向けられていない多くの公立校が存在していることは想像に難くありません。 

ゆとり導入当時の話題性がなくなって、教育に関する報道量は、新聞もテレビも大変減ってしまいましたが、まだ問題は何も解決していない状況です。小泉自民党政権でも文部科学大臣のポストは考えの違う人が就任しています。教育問題、教育格差を重視していない証拠だと思っております。一方、民主党の小沢一郎党首も、教育について『日本改造計画』で簡単に触れている以外、その主張を聞いた記憶はありません。

読み終えると日本の教育界は本当にがらっと変わってしまい、混乱の時期に入ったという印象を持ってしまうのですが、とてもよくまとめてあり、特定の制度や組織を批判するものではありません。(読者の声ということで批判の声は紹介していますが)バランスの取れた構成になっています。

転機の教育

朝日新聞社

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『転機の教育』朝日新聞教育取材班
朝日新聞社:252p: 525円

『教えることの復権』大村はま/苅谷剛彦・夏子

2006年04月14日 | 教育関連書籍
 
戦後の教育のあり方に対して今から30年前に問題提起した大村氏とその教え子であった苅谷夏子氏、夫である苅谷剛彦氏との共著です。苅谷氏の著作は、何冊か読み、格差の指摘など、多くの点で感銘を受けたのですが、大村氏とこういうつながりがあったとは驚きでした。大村氏はこの本を書かれた時点で90歳くらいでしょうかね?

「教師が教えなくなった」という問題は大村氏が提起した後30年経った今でも大きな意味を持っています。いや、ますます大きくなっているといえるでしょう。自由に表現しなさいと言われても、表現するテーマについての基本的な知識や表現方法を指導されることなしに自由な表現などありえないという問題です。

昨今の総合的な学習の時間については、やり方次第では豊かのものを育てられるとしながらも、大村氏は単元の目標やノウハウがなく、そして何より詰め込みや押し付けと履き違えて「教えること」そのものを否定してしまった現代の教育現場には多くは期待できないとしています。

本書ではこのように「教えなくなった」教師に対する鋭い批判とともに、大村氏の30年にわたる教育実践を紹介しながら、「教えること」の意味や大切さ、教師の役割について述べています。

大村国語教室では、30年間一度も同じ授業をしなかったということです。同じ単元を繰り返し行なうことによる「慣れ」が、授業に向かう緊張感をそぐという理由で一度たりとも同じ授業をしなかったというのです。正直、耳が痛い話しで反省させられます。教えるということに対する教師の側の気迫を十二分に感じさせてくれる一冊です。

残念ながら大村氏はすでに故人ですが、本書など、大村氏の著作が長く長く読まれ続けることを願わずにはおられません。

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教えることの復権

筑摩書房

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『教えることの復権』大村はま/苅谷剛彦・夏子
筑摩書房:231p:756円

『今、日本の大学をどうするか』日下公人他

2006年04月11日 | 教育関連書籍

日下氏の他、野田一夫、西島安則、中嶋嶺夫、田中一昭、佐藤禎一の各氏が“虎ノ門DOJO(道場)”での講演を収録したものです。それぞれ立派な経歴の持ち主で、大学改革や行政改革での手腕を発揮されている方々ですが、やはり共通した意見は、日本の大学はすでに制度疲労が顕著であるという点でしょうか。

もう一度、最初に戻って、大学というものを定義し直すくらいの気持ちで取り組まなければ、日本の大学は沈没してしまう、いや大学が沈没するのは構わないとしても、日本の人材や技術なども有効に育たないのではないかという強い危機感が感じられます。

確かに少し前あたりから、ゴーマンレポートにも見られるように、日本の最高学府たる東大ですら世界の大学ベスト100に入ることができなかったことが大きな話題になりました(このレポート自体に疑義もありますが)。特に印象に残るのは大学教授というポストというか、職制が悪い方に機能しているという点です。

かつて、早稲田の当時、助教授だった考古学の吉村作治氏がテレビで堂々と教授会の批判をし『こういう上部の批判をする僕のような人間は教授にはなれないんですよ』と発言していたのをこのブログの中でもご紹介しました。その種の話も含め、大学の問題点や進むべき方向性について、それぞれが自論を披瀝しています。

今、日本の大学をどうするか

自由國民社

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自由國民社:206p:1000円

『急がされる子どもたち』ディヴィッドエルカインド

2006年03月27日 | 教育関連書籍
 
大人が気が付かないうちに子供に与えているストレスやその対処を解説したものです。例えば、親の愛情からとはいえ、年齢不相応に大人びた服装をさせるとどうなるか。また高級品を与える(特に時計)というような行為は、たとえ本人が喜んでいようとも精神的なストレッサーとなるというのです。大人のような行動をしなければならないという感覚だそうです。

またテレビで暴力シーンや性描写を見てしまうというのも、単に未成熟な子供が真似をするという次元ではなく、自分、大人、あるいは社会に対する得体の知れぬ恐怖感を与える、というようなことを説明してくれます。他にも様々な分かりやすい例を数多くあげています。

筆者は著名な心理学者で本書は第三版に当たりますが、第一、ニ版はアメリカでもベストセラーになりました。アメリカでは依然として離婚、校内暴力そして過度の商業主義などの問題が子どもたちに深刻な影響を与えていると考えられています。アメリカほど深刻ではないとしても同様の傾向が日本にも見られます。

低俗なテレビ番組や過激描写をするゲーム、高い離婚率、子どもに株式投資をさせるなどが話題になっています。やはり子どもは子どもらしく過ごさせるというのは、健全な子どもを育てるための大人の知恵だったのだという気がしてきます。

ゆとり教育の狙いは本来、本書に書いてあるような思想のもとに行われたのでしょうが、授業を減らしたり、宿題を無くしてしまったら、子どもたちの興味はますます大人の期待と反対方向へ行ってしまう気がしました。

急がされる子どもたち

紀伊國屋書店

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『急がされる子どもたち』ディヴィッドエルカインド
紀伊国屋書店:321p 2415円 

『教育改革の幻想』苅谷剛彦

2006年03月27日 | 教育関連書籍

前回の報道2001のアンケートで、驚いたことに70%以上の人が、所得の格差が、子どもの受ける教育に差をつけてしまうと答えたそうです。一億総中流意識はすでに過去のものになってしまって、格差社会という意識がここまで浸透しているということですね。

このことを分かりやすく警告したのが、苅谷氏ではないでしょうか。日本の教育改革のキーワードとなる、みんながハッピーになれるかのような、「ゆとり」「新しい学力観」「生きる力」「総合的な学習の時間」などに対し、本書で豊富なデータ、外国の失敗例をもとに、大いなる疑問、警句を発しています。

文部科学省の掲げる教育論は、情緒的な理想論、感情的な空論に過ぎないことが明確に指摘されています。美辞麗句で彩られた「理想の教育」というものに惑わされてはいけないことを読者に痛感させ、いまさらながら文部科学省の教育改革案の杜撰さ、洞察力の欠如が見事に浮き彫りにされています。

小中高生の子供を持つご父兄方がお読みになれば、現在の公教育を注意深く見守り、学校で何を学習してきたのか、基礎は出来ているかなど家庭でのチェックが必要になってくることを実感されるでしょう。場合によっては、足りない部分を家庭で補うといった事も現実味を帯びてきます。もはや学校では、単純に知識としての学力を付けさせることは出来なくなるという現実が突きつけられています。

本書が、親として我が子の教育環境をどのように与えるべきか、目指すべき理想の教育とは何か、そして公教育がどうあるべきかを考えるきっかけとなって欲しいという筆者の願いが多分に含まれているのではないでしょうか。たとえ子供の学力評価が多種多様になっていく時代であっても、純粋に学問、知識としての学力を正確に把握していかなければ、取り返しのつかない事態に発展してしまうであろうことが容易に想像できます。

本書はゆとり教育導入直前あたりに書かれたのですが、その目の確かさに驚かされます。すでに東大の親の収入がかなり高いということを知らしめたのも苅谷氏でした。いずれにしろ、結果の平等でなく、教育の機会の平等がしっかりと保たれるように、進める必要がますます高まっていると言えそうです。

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