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上を向いて、歩こうよ

2025年08月22日 | これから何が起きるのか?

 私がブログを始めて20年以上になるのだが、漠然としたポリシーのようなものがある。
 それは日本社会、日本民族が、「上を向いて歩く」ことだけが人間の義務であるかのような「上昇志向」を共有しているなかで、人間のありのままの姿を示し、上昇志向の無意味さを示したいということだ。

 「上昇志向」つまり、人生の目標として、他人に評価されたい、他人より優れていたい、他人より大きな権威を持ちたい、他人より多く蓄財したい、他人より良いものを持ち、良い家に住んで、他人から羨まれたいといった、「他人を見下す立場でありたい」という志が、日本人の9割以上を洗脳している。

 その原因は、幼い頃からの「競争教育」だと、私は繰り返し書いてきた。
 お絵かきでも、かけっこでも、テストでも、必ず序列と点数で評価される。この教育システムが、知らず知らずのうちに、人々に「上昇志向」を洗脳してしまう。
 「上だけを向いて歩く」社会にしてしまうのだ。

 だから「自分はアホだ」なんて、本当のことを書いてしまう私は、本当のアホであって、上昇志向の人々からは蔑まれ、相手にされなくなる。
 一時は、日1万アクセスあったアクセスも、今では、せいぜい3000くらいまで落ちてしまい、読んでて、上昇への力を失う敬遠すべきブログということになる。

 私は、どちらかといえば落ちこぼれ人生だったが、70年以上いろいろな人を見てきた体験から言うと、子供の頃から、良い成績を収め、評価が高く、みんなから羨まれてきた若者ほど、人の本性を疑うことを知らず、自分が求める「優れた能力、他人からの高い評価」に憧れて、それを吹聴する詐欺師に簡単に騙されてしまう。

 例えば、オウム真理教の若者たちがそうで、幼い頃から「優秀」と評価された若者たちばかりが、麻原彰晃という詐欺師に、実に簡単に騙されて、大量殺人のような反社会活動に走ってしまった。
 私は、麻原が普通の青年だった頃から知っているのだが、彼は奇跡としか思えない空中浮揚の技術に目覚めてから、まるで別人になったように「妄想」で、できあがってしまい、自分を超過大評価するようになった。

 統一教会もまるで同じで、優秀な若者ほど、文鮮明の詐欺に簡単に騙された。
 文鮮明は、戦前、岸信介がつくった昭和通商という世界最大の麻薬シンジケートのメンバーで、同僚には、同じ朝鮮系の笹川良一(文暁)、児玉誉士夫、賀谷興宣、小泉純也(順一郎の父)などがいて、朝鮮李王朝の復権を画策していた。
 彼は、宗教を通じて日本を支配することを計画した。そして皇室にも息のかかった女性を送り込んだ。(秋篠宮紀子)

 たとえば、もう40年近くも前だが、名古屋の東区に、銀英という映画館があり、後にストリップ劇場に変わった。
 友人と訪れたのだが、マナイタ本番ショーが始まる前に、突然、若い女性たちが10名くらい入ってきた。「いったい、何事が起きるのか」と、みんなびっくりするとともに、わずかな期待もあった。
 だが、マナイタ本番が始まると同時に、リーダーが「見よ、これが悪魔の所業だ!」と叫んだ。
 次に、彼女たちは一斉に出ていってしまった。

 結局、わかったことは、彼女らが、守山区にあった統一教会洗脳施設から、この社会がどれほど悪魔に汚染されているかという現実を見せつける洗脳工作に動員されていたということだった。
 そこにいた、スケベ心に満ちた我々は、すべて悪魔の手先だった。「わしゃ悪魔じゃ、ウヒヒヒ」と彼女らに迫りたかったが、残念ながらその前に出ていかれてしまった。

 統一教会でも、優秀な国公立大の若者は「原理研」という特別のエリート集団に組織される。そこでは原理講論という教科書が用いられていたが、その中身は、ヘーゲル弁証法の劣化版だった。だが、優秀を洗脳された学生たちは、文鮮明が神のように真理を知っていると勘違いさせられ、オウム真理教と同じように盲信によって組織化されてしまった。

 実は、1980年代、国際勝共連合を、岸信介、文鮮明、中曽根康弘らが結成したとき、自民党の選挙応援を、原理研が担い、当選御礼として、議員秘書に採用され、当時、キャリア試験に合格していた者たちは、推薦されて官僚になった。

 その行先は、防衛・司法・文科・大蔵などで、黒川弘務事件のとき、副島隆彦は、日本の検察官、裁判官の4割くらいが原理研出身者に乗っ取られていると指摘した。
 原発関連で政府の利権に迎合する判決を出している裁判官や、袴田事件で、再審無罪でも自分は真犯人だと信じていると漏らした畝本直美検事総長は、原理研出身の可能性がある。

 それは、幸福の科学や創価学会でも同じで、宗教団体というのは滅多矢鱈に権威が大好きで、人間の外にある虚構を、権威に対する畏怖をもって無条件に崇拝するように洗脳される。
 それが、すべての宗教に共通する本質であって、例外など存在しない。
 「優秀」 と幼い頃から評価されて、心の隅に優越感を構築してしまった若者ほど、権威を畏怖し、盲信し、簡単に騙されてしまうのである。

 みんな、凄いものを見たい。成功体験を知って感動したい。羨ましい体験を知りたいのであって、他人の失敗事例や、転んでコケたなんて記事を見ても元気が出ないのだ。
 「神」の姿に触れてみたい。感動してみたい。体験してみたい。「奇跡に打たれて」みたい。特別な経験をしてみたい。
 宗教団体は、みんな、こんな興奮を与えてくれるという幻想を宣伝して、信者を集めるのである。

 みんなが見たい、読みたい記事とはどのようなものかをいえば、ちょうど成功している映画や番組を見ればわかる。
 巨大な集客力を示す、「売れる映画」とはなにか?
 それは「凄い」ものだ。この「凄さ」こそ、人々が求める本質だ。
 中国人を見れば分かりやすい。中国では凄くなければ価値がないのだ。ドニーイェンも、ジェットリーも、凄いものを見せてくれる。だから売れる。

 凄みがなくても売れる映画といえば、昔はあった。東京物語とか23の瞳とか、でも、隣のトトロも、客の興味は妖怪の凄さだ。火垂るの墓も、本当は凄い物語だ。ナウシカも、アシタカも、みんな凄い。
 客は凄さを見に寄ってくるといってもいい。もう23の瞳や青い山脈は売れない。
 今では、凄さがないと人々は納得しないのだ。
 だから、私が自分のろくでもない落ちこぼれ人生をブログで紹介すると、みんなウンザリするだけ、もう私のブログなど何の関心もない。

 「上を向いて歩こうよ」
 凄いものを探しながら…。UFOなら申し分ないかな。格闘技でも凄みがないと集客力がないから、ブレイキングダウンなんか、凄い連中ばかり集めている。
 角田夏実の巴投げは凄いな。藤波朱理の連勝も凄いな。大谷翔平も凄いな。
 でもその影で、普通の選手たちの努力が薄まって見えてしまうようになった。
 強くなければ納得しない。凄くなければ納得しない時代なのだ。

 でもね、誰もが「凄い価値」を求めて、「上を向いて歩いている」時代。
 それは、人々が「優秀さ」に洗脳されていることを意味している。こんな価値観が若者たちを洗脳しているとすれば、「凄くない」人生が顧みられなくなってしまう。 凄さをアピールして若者たちを洗脳する、新たな宗教も出てきそうだ。
 「凄いもの病」にかかっている若者たちは、簡単に洗脳されてしまいそうな気がする。

 私のように、「凄さ」の対極にある、ありふれた本当の真実を求めるブログなど、何の興味ももたれず、若者たちにも相手にされない。
 だから、どんどんアクセス数が減ってゆく一途だ。
 東京物語に見えるような、ごくありふれたキラリと光るものの価値が、誰にも見えなくなっていないか?
 人生にとって、本当に大切なものは、決して「凄いもの」ではないことを思い出す必要があるのではないだろうか?


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