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本当に必要なものとは?

2025年08月23日 | これから何が起きるのか?

 核融合発電とか、スパコンとかAIとか、自動運転車とか、水素車だとか、目新しいイノベーションは、いっぱい出てくるんだけど、私は、「人間が生まれて人生を終えるまでに、本当に必要なもの」という観点をきちんと考えている人たちが、どれほどいるのか、とても心もとない。

 新しい革新的技術の大半は、資本主義の金儲け欲求が生み出したもので、人類の幸福な未来を生み出すとはとても思えない。
 不要無用の余計な技術が大半なのだ。それは金儲けや、軍事力の進化、誇示には役立つかもしれないが、人々の未来を絶望色に染めるものばかりだと私は思う。

 「それは、人間生活と人生にとって余計なものだよ、人々を不幸にする技術革新なんだよ…」
 と叫び続けるために、私はこのブログを書いているようなものだ。
 どうして、経営者・技術者は余計なことばかりしたがるのか?
 と、ウィンドウズの新セキュリティやアップグレードを見るたびに私は思う。
 とりわけ、BitLocker機能による利用者排除の思想を見て、私は激怒した。

 私は、MSDOS以来、すべてのウィンドウズ・バージョンの進化を見続けてきたが、今でも、(致命的バグさえなければ)、ウィンドウズ95が最高だと思っている。MSDOS3も、事実上、何の問題もなかった。ただし、いずれも高機能拡張性などの基本性能が坂村健のトロンに及ばなかった。

 トロンがパソコンOSとして普及しなかった理由は、性能が高すぎて、アメリカが追いつけず、日本の独壇場が約束された未来を、事実上、独善的な政治力と武力で排除したからだ。
 ナショナルBトロンの開発チームは、未だに不可解な日航123便墜落(模擬ミサイルによる撃墜)で潰えた。
 https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/6152106.html

 エドワード・スノーデンは、ウィンドウズの開発は、アップデート機能を使ったCIAによる利用者の監視と情報収集を目的にした歴史的計画だったと暴露した。 
https://golden-tamatama.com/blog-entry-1140.html
 だから、パソコンOSであるBトロンが普及しては、CIAの計画がおじゃんになってしまうので、開発者全員を暗殺してでも、Bトロンを排除する必要があったのだ。

 ウインドウズ95には強制アップデートが存在しなかった。それは、とても使いやすかった。ひどいバグがたくさんあったのは事実だが…。
 その後の進化は、ウィンドウズ11に至るまで、セキュリティを名目にした退化でしかなかった。便利になったと感じたことはなく、不便になったとしか思えなかった。
 まあコンピュータで金を扱い、不正操作からシステムを守るために、セキュリティを強化するのは当然なのだが、一方で、それはコンピュータの手足に拘束具を装着するようなものだった。

 それがBitLockerに至って、利用者を永久に完全排除する本末転倒の進化に至った。
 開発者のユダヤ人(アシュケナージ・エリート)たちは、セキュリティを扱えないような低レベルの人間は、コンピュータ世界から追放するべきだと、強烈な選民意識に燃えているにちがいない。

 まあ、コンピュータOSに限らず、凄まじい選民意識によって利用者を選別し、排除したいのか? と思うようなイノベーションはたくさんある。
 例えば、最近の車がそうだ。私は免許を取得して半世紀以上になるのだが、現在でも大型二種免許を保持していながら、実は最新型の車の運転方法がまるでわからず、エンジンさえかけることができないのだ。サイドブレーキの使い方もよくわからない。

 私の乗っている車は、スズキアルトFという車種で12年前に購入した。
 中津川の冬季凍結路で、我が家に至る急坂道を上がるためには四駆軽しかない。
 サイドブレーキがあり、車の操作方法は、AGSという特殊なノークラッチ・ミッションに慣れる必要がある以外は、半世紀前とほぼ変わらず、とても扱いやすい。
 もう18万Kmが近いので、普通なら寿命だが、25万Kmを目標にしている。

 だが、何かの都合で、私が他人の車を運転するとき、運転席に座った状態で立往生して前に進めないのだ。どこで、どうやってエンジンをかけるんだよ?
 結局、盗難防止セキュリティによって、持ち主以外、エンジンをかけることさえできない。若い頃なら、ほぼすべての車が同じ操作で動いたのに…。

 私が1990年ころ、つばめタクシーの運転手をしていたころ、無線室からの司令で、南山の豊田家への送迎が出た。
 このとき、私のオンボロクラウンに乗り込んできたのが、トヨタ自動車会長、豊田章一郎氏夫妻だった。栄松坂屋までの送迎だったが、さすがの威厳を感じた。
 「こんな凄い人たちが、私のオンボロタクシーに乗るんだ」と感動した。
 このとき、章男氏は、納屋のなかで汚れた作業服を着て車をいじっていた。当時は平社員だった。

 豊田章一郎時代のトヨタ自動車は、たぶんトヨタの歴史のなかで、もっとも素晴らしい時代だったと私は思う。ちょうどカローラの全盛期だ。
 英二氏もそうだが、「大衆の利益に奉仕する」という確固たる思想哲学がはっきりと見えた時代だった。そこに特権意識や差別意識はなかった。
 扱いやすい、壊れにくい、維持費も安い、三拍子揃った非の打ち所のない車ばかりが売られていた。この時代の車が、欧米でまだ生き残っている。

 ところが、章一郎氏が退いて、奥田硯、張富士夫体制になって、トヨタは悪い方向に変貌した。世はバブル時代であり、人々の見栄を刺激する差別主義が台頭してきた。
 張・奥田体制は「レクサス」という特権階級向けブランドを作り出した。このとき、トヨタグループ全社が、金儲け思想に毒されたと思う。
 
 私が日本百名山踏破に使っていたトヨタ・タウンエースは、近所の黄金通、中京カローラに車検に出すと、ずいぶん高額な費用を請求された。理由は、ブレーキ交換だった。
 ところが車検後、運転するとブレーキからキーキー音が出た。ブレーキ交換費用を徴収しながら、実際にはブレーキを交換していなかったのだ。
 中京カローラは、不正な金儲け主義で告発を受けている会社だった。奥田硯体制のトヨタは腐敗していたといっていい。

 (今のアルトも、10年くらい前に、蛭川末広自動車に車検を出したら、ブレーキ交換費用を請求しながら、一つのブレーキがすり減ったブレーキシューに交換され、おまけに車輪ロックナットも緩められたままだったので、末広自動車を二度と信用しなくなった。ブレーキは車検不正が多いので、あえて書いておく。)

 レクサスというブランドは、いわゆるセレブ銘柄で、ちょうどエルメスやグッチのように特権意識をくすぐるためのブランド主義で、欧米資本主義の一番悪い部分であるヒエラルキー社会のためのアイテムだった。
 確かに車は差別的に優秀なのかもしれないが、それを欧米のブランド主義に迎合して推進することは、豊田喜一郎、英二、章一郎らが断固として守ってきた「大衆の利益に奉仕する」思想とは相容れないものであり、ヒエラルキー差別社会に貢献するものだ。

 これに対して、スズキ自動車は違った。鈴木修の断固たる大衆迎合主義は、英二や章一郎の思想と同じものだったが、これは、スズキ自動車が全人類に無差別に奉仕するという思想を示したものであり、だから、インドやハンガリーで国ぐるみの圧倒的な支持を受けている。

 私は、スズキのこの思想に好感を抱き、1990年代以降はスズキ自動車しか使っていない。そして、「本当に必要なもの」という視点で、もしも、人類の未来に車が不可欠なアイテムであるとするなら、それはEVでもHVでも水素でもなく、スズキアルトの最低ランクのガソリン車だと確信を抱くようになった。
 レクサスブランドの未来もない。本当に必要な車は、リットル30Km走るアルト四駆だと私は思う。車としての条件を完全無欠に満たしているからだ。

 これまで何度も書いてきたように、EV・HV・水素には致命的欠陥がある。それは耐久性だ。小さな部品交換程度で20万Km以上走行できなければ、それは自動車ではない。だが、これらの車は、10万Km以上走行すると、電池やボンベを交換する必要があり、車1台分の費用がかかってしまう。
 それに必要なインフラ整備の供給見通しも存在しない。もしも、アルトに今後の発展があるとすれば、水密性を増して、エンジン・ボートとしての機能が加わる程度だろう。ガソリンエンジンは、まだ数十年~100年くらいは、及ぶエネルギーシステムがないのだ。

 あとは、バスやキャンピングカーに完全無欠のトイレシステムが配備される可能性がある。
 私が20年以上研究しているEM(BC)浄化システムは、複合発酵条件が定まれば、排泄物(有機物)を消して、ほぼ純水に近い水を排出することができる。
 もしかしたら40リットル程度のタンク容量で、屎尿を純水に変える摩訶不思議なシステムができるかもしれない。
 これは「微生物原子転換」という奇想天外な物理原理が作用していて、常温核融合に近い反応である。「複合発酵」には、誰も想像もできない不可思議な力が働いている。

 「本当に生活な必要なもの、本当に未来に必要なもの」
 それがAIやスパコンや原発や核融合だとは、とうてい思えない。それは人々を不幸にする結果しかもたらさない。
 それは、特権階級の金儲けのためだけに行われるのだ。だから、選民エリートしか利用することができない。

 本当に必要なものは、人々を金儲け社会の精神的圧迫から解放するものであり、人類にある差別価値観を廃止するものであり、他人を抑圧するための武装を解除するものであり、人々を健康に導く食生活とライフスタイルである。
 それは、プーチン・トランプ・習近平・金王朝を排除するものだ。独裁者たちを追放するものだ。竹中平蔵のような強欲人間を追放するものだ。

 本当に必要なものは、木村秋則のリンゴのような作物だ。
 https://ameblo.jp/shizensaibai-osaka/entry-12868621868.html
 福岡正信農法だ。ここには農業機械も必要ない。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E5%B2%A1%E6%AD%A3%E4%BF%A1

 人々に健康をもたらす循環式農法だ。人々が助け合って生き抜いてゆける農業共同体だ。
 コンピュータに支配された生活ではなく、みんなが汗を流し、自然の恵みを感じながら生きてゆける社会だ。
 AIも自動運転も必要ないんだよ。健康も薬ではなく、自分で作り出すものだ。


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