昨年 社長職から会長職にお変わりになった長いお付き合いSさん 円満で人情味あるご性格 仕事面では鬼の経営をつらぬかれた方 6月25日の生誕100年を読まれて 長文のメールを頂いた。
(Sさんメール)
ブログの中で、ご尊父様のお手紙を拝見致しました。読んでおりまして、仕事中にも関わらず涙が溢れてきました。ご子息を思うご尊父様のお気持ちが、どのようなものであったか、胸に迫ってきて、どうにも涙が止まらなくなりました。 昨日、偶然に戦争の話が出て、女房の父が戦場に行く時の話となりました。 こんな話です。
連隊の前の食堂に行きますと、いつ頃、海外へ出兵になるか、おおよそ分かったそうです。今週には、出兵になりそうだとの情報を得て、軍用列車が停まる小田原駅に、母親が長男(3才)、と1才の女房を背負って毎晩通ったそうです。 軍用列車が停まる度にホームから「金子輝太郎は居ませんか?」と叫んでおりましたところ、3日目に目隠しされた窓が開いて、「お~い、ここだ!」ということで最後と思われるお別れが出来ました。
幸いにも、父はシンガポール、インドネシアなどで激戦を経て、無事に帰国しました。
帰国後、父サイドの話を聞きました。
窓は全て、ブラインドが閉められ、汽車がどこを走っているのか分からなかったが、おおよそ小田原駅だろうと思われる時にホームから自分の名を呼ぶ声が聞こえた。もちろん、窓を開ければ上官から叱られることは分かっていたが、周りの戦友に「最後の別れかも知れないから、構わず開けろ」と促され、見張りの将校を見ると居眠りをしているので、窓を開けて、別れができたとのことでした。汽車が発車してから、母が差し入れた蕎麦や寿司を車内に配り、見張りの将校の所へも持って行ったところ、「ありがとう」と言って、食べてくれたそうです。「あの居眠は、武士の情けだったな」と父は言っておりました。
淡谷のり子にも、同じような武士の情けの話がありましたね。いずれにしても、今の平和の有難さを我々日本人は、噛みしめる必要がありますね
鬼の目にも涙。あの方と想いが相通じ 本当にうれしく 感動した。
ひとりごと
