昨日 神戸元町にゆき時間的に余裕が生れ 開催中のルミナリエを見て帰る事とした。 が点灯前の5時過ぎ 既に見物コースは人出満杯状態。更に今冬最低の寒さ。断念して 三ノ宮まで徒歩。最終コースのメイン会場はまだ余裕があった。でも寒空で あと30分の待機は風邪を引きそう。点灯前光景の写真を撮り 帰ろうとしたその時突然の音楽とアナウンス。『本日は混雑が予想されます。そのため間もなく30分繰り上げて点灯します』周囲から歓声が上がった 手早く写真を撮り帰宅。電車も空いて混雑もなく 夕食時間前に帰宅した 諦めからツキが変わりよい午後を過ごした。久しぶりに見た作品の率直な印象は 洗練されシャープに感じた。LED照明のせいか暖かさは少なくなったのでは。


「干し柿作り やる気ある?」弟からTEL。 即座に「初体験だけど やる! やる!」と回答
今年の 新年のモットーは未経験なことを体験することで いろんなことをやってみた。干し柿用の柿を持ってきてくれることになった。さて 皮むきだけは自信あるものの 何を準備して どうして干したらよいか 解らない。コーナンの店に行けばなんとかなるそれから考えよう!
弟は柿に添えて手作りの道具(写真のえもんかけに針金のフック)を持参してくれた。正直ホッとした。 兄貴は不器用で困っていると見抜いていたに違いない。子供の時から 兄は面倒なことはやらないが 弟は器用で家事も良く手伝うと 母からよく褒められていた。後に 自分は文科系 彼は工学部を卒業した。年はたっても変わらないだろうと 奴は見抜いていたに違いない。予想してなかったので 些細ながら嬉しい配慮と思った。
食糧難の幼少時代 近所に祖父が植えたらしい 多くの富有柿が毎年実をつけていた 熟すまで待てずに 少し渋めの青柿をよく食べた光景を思い出した。
先輩の中国迷爺爺さんの11/15ブログ【柿採り】のことを想い出し 記事中の柿の木の写真を使わせていただいた。


広島市内で開催の卒業後50年記念同期会に参加 翌日宮島に移動し 観光 神社拝殿で祈願 記念撮影など行い 全員元気で現地解散。宮島は出身地も近く過去 何度も訪れているも 世界遺産の肩書効果か? 島全体は整備されて 今回はガイド付きで散策し新たな見所や知識を再発見。おススメものは五十年前には想像すらできない 遊覧船で市内平和公園より 元安川を下り 平和大橋 瀬戸内海を経て 宮島へのコース。幹事のなかなかの好企画じゃった。






『音の風景』は,1985年からNHKのラジオで放送されている5分間の紀行番組。
日本および世界各地のいろいろな場所を、その場所特有の音を中心に、わずかな解説を付して紹介する。内容もともかく《音の風景》音によるの心地よい表現も素晴らしく音から風景が見えてくる。


半世紀前 新入社員として北海道支店配属され数年後 本社出張の際 札幌=大阪をほぼ毎月往復した。当時 平社員は飛行機利用の出張は認められず 特急おおぞら(札幌-函館)―青函連絡船(函館―青森)―特急白鳥(青森―大阪)を利用。所要時間 車中泊 船中泊含め 26時間。
先日の当番組で青函連絡船の様子が放送されていた。 出船の様子 乗客の話声 出航のドラ 車内での乗船名簿提出のアナウンスは 今や想像もできない光景 当時青函連絡船を利用する場合接続の特急車内で車掌が乗船名簿用紙を配布してまわり 乗客は其の用紙に名前など記入し各自提出し乗船した。 音の風景により 懐かしく心地よい想い出が 甦った。
日本および世界各地のいろいろな場所を、その場所特有の音を中心に、わずかな解説を付して紹介する。内容もともかく《音の風景》音によるの心地よい表現も素晴らしく音から風景が見えてくる。


半世紀前 新入社員として北海道支店配属され数年後 本社出張の際 札幌=大阪をほぼ毎月往復した。当時 平社員は飛行機利用の出張は認められず 特急おおぞら(札幌-函館)―青函連絡船(函館―青森)―特急白鳥(青森―大阪)を利用。所要時間 車中泊 船中泊含め 26時間。
先日の当番組で青函連絡船の様子が放送されていた。 出船の様子 乗客の話声 出航のドラ 車内での乗船名簿提出のアナウンスは 今や想像もできない光景 当時青函連絡船を利用する場合接続の特急車内で車掌が乗船名簿用紙を配布してまわり 乗客は其の用紙に名前など記入し各自提出し乗船した。 音の風景により 懐かしく心地よい想い出が 甦った。
連日熱帯夜 今日も日中35度の予報。
山崎さんより 写真を添えた 残暑見舞い届く 涼風をおすそ分け。
夕景
夕暮れのカップル
「ハイ ごちそうよ」
本番にそなえて(岸和田だんじり祭り)
山崎さんより 写真を添えた 残暑見舞い届く 涼風をおすそ分け。




8月13日 甲子園にて開催中の全国高校野球見物に出かけた。8時試合開始の習志野高校を見るため暑いなか早朝よりでかけた。急遽出かけた男三人には出かける目的ねらいは三人三様であった 修聡パパは 地元習志野高校の応援。笑也はブラバン ドラムに熱中 全国高校屈指の習志野高校吹奏楽部の演奏を。爺チャンは現在甲子園で開催中のB級グルメのイベントに出展中の 三島コロッケの試食。(親交ある同市商工会議所会頭のSさんが三島コロッケの会長も兼務されている)
早朝8時前なのに すでに内野席アルプス席は満席。仕方なし外野席に。
習志野高校吹奏楽部の応援演奏は あの広い球場で素晴らしく響き渡り予想以上に感動した。
習志野の吹奏楽部は全日本吹奏楽コンクールに3年連続出場 金賞2回 銀賞1回の受賞歴あり。「4年連続出場できない」の規定あり今秋コンクールに出場できない。その分 気合が入ったのでは。
試合も習志野高校が快勝。

習志野高校吹奏楽部応援席

野球よりブラバンのほうが気になる

早朝8時前なのに すでに内野席アルプス席は満席。仕方なし外野席に。
習志野高校吹奏楽部の応援演奏は あの広い球場で素晴らしく響き渡り予想以上に感動した。
習志野の吹奏楽部は全日本吹奏楽コンクールに3年連続出場 金賞2回 銀賞1回の受賞歴あり。「4年連続出場できない」の規定あり今秋コンクールに出場できない。その分 気合が入ったのでは。
試合も習志野高校が快勝。






紅秀峰(さくらんぼ)が青森の友人より届いた 見栄えもよく 特に美味で感激した。東北時代 現地に 足運び さくらんぼはよく食したが現品は 今までにない優れモノ。品種(紅秀峰)を調べると10年ほど前から収穫が始まった新しい品種という。当地では めずらしい! ラジオ体操の仲間8人に 冷やし3粒づつおすそわけしたら皆に大好評だった。

御裾分け(おすそわけ)は、「裾分(すそわ)け」の丁寧語。お福分けとも。他人から貰った品物や利益の一部などを、さらに友人や知人などに分け与えること。「すそ」とは着物の裾を指し、地面に近い末端の部分というところから転じて「つまらないもの」という意味がある。よって、本来目上の人物に使用するのは適切でない。一方、お福分けは「福を分ける」意味であるゆえ目上の人物に使用しても失礼に当たらないとされている。
類義語に「山分け」があるが、この語には、一部ではなく均等に振り分ける意味が含まれる。
6/17 梅雨の鳴尾浜リゾ 花いかだ
<山田洋次が選んだ名作100本 家族編 S37年作品『キューポラのある街』》
キューポラと呼ばれる煙突が立ち並ぶ鋳物工場の町が舞台、高度経済成長期の中で貧しくも明るく懸命に生き抜く若者たちの姿を描いている 貧しさからなかなか抜け出せない辛い生活が続く ストーリーは別として 断片的に 興味がわき 記憶に残ったのは
印象に残ったセリフ「貧乏だから駄目になるの 駄目だから貧乏になるの?」 深く重い 昔流行った野球解説者小西とくろう「なんと申しましょうか…」節を子供が声帯模写するシーン 当時 流行ったがいまは消えている 懐かしい!
母親役 若かりし日の菅井きんさんの出産シーン あれから50年 無理はない