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プレイバックコロナ

2020年04月16日 | Weblog
 BSでコロナへの各国の対応を見る。それぞれ違って興味深い。

 わたしとコロナを時系列で振り返る。

2月上旬-ダイヤモンドプリンセス号が横浜に到着。コロナの名を見ても(。´・ω・)?。
武漢で起こっていることだろう、ぐらい。「サーズもよぅ知らん間に終わったしな」。

2月中旬-まだ集団の場はあったが、手ピカジェルみたいなものやスプレーが、
そういう場に登場していた。「今の時期当然やるんだよ」という声も耳にしたが、
わたしはまだぼんやりしていた。

2月下旬-学校は卒業式へ向かって、モードだったか。息子は卒業遠足でキッザニアへ
行っていた。わたしも博多へ帰省。羽田空港はまだほぼ普通。月末銭湯上がった
湯上りスペースのテレビで、「3月から学校休ませる」っていうのを観た。

3月上旬-学校本当に休校Σ(・□・;)。将棋クラブはまだ開けてくれるとのことだが、
人の入りはどこのクラブも半分ぐらいになったとのこと。息子福岡の祖父母宅へ
飛行機で。羽田空港人が少ない。

3月中旬-それでもまだねこまど将棋教室で深浦先生の指導対局が受けられた。
あるじゃんも通常営業で遊びに行った。都内の児童館が閉館し始めていた。
開いている場所でもおもちゃが激減していた。

3月下旬-詰工房へ行ったり、小さな規模の将棋会へ。この頃になると手ピカ
ジェルは当たり前。わたしも職場へ時前で持参するようになっていた。
春の将棋大会はすべて壊滅。とはいえまだ仕事は受けられていた。

4月上旬-迷ったけれど大阪へ行った。偶然緊急事態宣言直前に。新幹線は
閑散としており、堀江辺りを歩けば団体客延期を飲食店定員さんが
受けている姿を見た。こげん人が少ない梅田見たことない。
余りの様子に、息子の将棋を待つ半日はわたしはホテルに籠城するも、
まだ、ホテルのサウナにはのどかに人がおり、わたしも入った。
こんな時期に大阪Σ(・□・;)!?なのだが、この先が
見えないので、「行けるときに行くしかない」精神だった。兵庫県清荒神駅
M先生の教室は、4月第一週のみ熟考の末、人を減らして開催され、その
前の週と後の週は休校。その隙間に入り込んだ形になった。

4月中旬-数日前のブログに貼り付けた医師の文章ですよねー(>_<)。
あれ読んでいたら大阪行けたか不明(;'∀')。

 まだまだ長期戦、とはよく目にする。今日は午後から雨とか

 
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