ぅぅぅーーーーーーー(苦悶)。朝からえらいこっちゃな現実を知る。ひどい(涙)!あと一年早かったら、そしてあと一年遅かったらこんなことになっていないという現実。2012年だから起こってしまったというこのタイミング…。時期が悪かったとしか言いようがない。けどさー、ナシだっつーの。もう勘弁して下さい。ウダウダ言ってないで取り組むしかないというこの現実…。
さて最近NHK福祉ポータル「はーとねっとTV」を録画してよく観ている。人の暮らしの中で、こういうことが起こっているのだなぁと、色々考えながら観ている。先日観た「隣る人」の映画。これも、様々なジャンルの問題が絡み合っているように思える。
先週無駄休みの間に「パレード/吉田修一」を読んだ。これは「悪人」を書いた人の作品。わたしはいつも最後の解説を読んでから本編を読むんやけれど、解説に「とにかく怖い」とあったので楽しみに読んだんやけれど…。何が怖いのかよぅ分からんやった。映画化されとって、予告編も観た。これはあの人が、あぁいうことしとった(一応ネタバレ防止を意識…)と、彼らが知っていた、それでもフツーに生活していたというのが怖いんですか?だとしたらまったく共感できん。わたしはルームシェアしとる人があげんことしていると知った時点で部屋出たいけれどなー、怖くて(この怖さ?)。映画予告編ではジョギングへ行くあの人を、ルームメイトが「行ってらっしゃーい」とフツーに送り出す。これ、確かにあの人のやりよること知ってての「行ってらっしゃい」やったらばり怖いけれど、ここを怖がるんですかね?けど有り得る??
上辺だけの人間関係についてはよく書かれていたけれど、それってイマドキそんなに珍しい?どんな人間関係を望むかなんて人それぞれじゃない?誰とでも腹割って話せんやろ。また、そこそこ上辺だけの付き合いしていた人とも、年月が重なりいつの間にか腹割って話せることもあろうし、その逆もあるやん。ずっと信頼していた友人と、二度と会わなくなることも。
もし映画版(観てないけれど)でいえば藤原竜也のやりよることを、ルームメイトたちが知りながら容認していたとしたら、そら怖い。けれどわたしにはその感覚がよぅ分からん。一緒に暮らせんて。というところやったかなー。「怖い」という解説が気になり遅読のわたしが三日で読んだけれど。良かったのは、みんなのだらだらとした日常の書き方が上手だったこと。これ読めただけでも読んだ甲斐はあったかも。
さて最近NHK福祉ポータル「はーとねっとTV」を録画してよく観ている。人の暮らしの中で、こういうことが起こっているのだなぁと、色々考えながら観ている。先日観た「隣る人」の映画。これも、様々なジャンルの問題が絡み合っているように思える。
先週無駄休みの間に「パレード/吉田修一」を読んだ。これは「悪人」を書いた人の作品。わたしはいつも最後の解説を読んでから本編を読むんやけれど、解説に「とにかく怖い」とあったので楽しみに読んだんやけれど…。何が怖いのかよぅ分からんやった。映画化されとって、予告編も観た。これはあの人が、あぁいうことしとった(一応ネタバレ防止を意識…)と、彼らが知っていた、それでもフツーに生活していたというのが怖いんですか?だとしたらまったく共感できん。わたしはルームシェアしとる人があげんことしていると知った時点で部屋出たいけれどなー、怖くて(この怖さ?)。映画予告編ではジョギングへ行くあの人を、ルームメイトが「行ってらっしゃーい」とフツーに送り出す。これ、確かにあの人のやりよること知ってての「行ってらっしゃい」やったらばり怖いけれど、ここを怖がるんですかね?けど有り得る??
上辺だけの人間関係についてはよく書かれていたけれど、それってイマドキそんなに珍しい?どんな人間関係を望むかなんて人それぞれじゃない?誰とでも腹割って話せんやろ。また、そこそこ上辺だけの付き合いしていた人とも、年月が重なりいつの間にか腹割って話せることもあろうし、その逆もあるやん。ずっと信頼していた友人と、二度と会わなくなることも。
もし映画版(観てないけれど)でいえば藤原竜也のやりよることを、ルームメイトたちが知りながら容認していたとしたら、そら怖い。けれどわたしにはその感覚がよぅ分からん。一緒に暮らせんて。というところやったかなー。「怖い」という解説が気になり遅読のわたしが三日で読んだけれど。良かったのは、みんなのだらだらとした日常の書き方が上手だったこと。これ読めただけでも読んだ甲斐はあったかも。