ひねもす日報

このブログももうすぐ開設20年とは

RISE175 大雅!

2024年01月16日 | Weblog
 大雅がチャンピオンになったよ~感涙。良かった~。
対戦相手のチャンヒョンリーのことも好きやったけん
好きな選手同士の試合ということで本当に楽しみに後楽園へ
行って参りました~。
 RISE175。発売日にチケット買ったら昨年とほぼ同じ
席。お高い席のすぐ後ろ。高いと安いの狭間の席の最前席が
取れました!

 大雅のファンであることは秘してきていた。
なぜか。大雅が強くなくて、イケメンだからか。
いや、イケメンなのは大雅のトレーナーである遙輝だろ!
遙輝イケメン過ぎる~。町田の宝や。
ぱっとしない選手だった大雅。しかし、息子とわたしは
大雅18歳(現在26歳)の頃、K1で武尊とトーナメントで
戦っているファイトを見てファンに。何年も昔の試合やけれど
あの試合の印象が良かった。トーナメントで3試合目が武尊って
大変よ・・・。
 色々あってRISEに移籍した後ぱっとせず。
試合って長丁場の大きな試合やと前編と後編に分かれる
んやけれど、前編の選手やった。前編でもまだ20歳前後で
「これから!」な選手もおるし、それは良い。しかし
K1でブイブイ言わせてからのこの立ち位置。って思いよったら
同じトライハードジムの田丸がベルトを獲得して
後半(メイン)選手になってしまい、同じ大会の中で
大先輩の大雅が力量的に前座の順番で試合に出ていた。
そんなの辛いはずなのに、笑顔で田丸の勝ちを祝って、
田丸も大雅を立てて、これが良いんよなー。田丸ファンの
若いママさん多いけれど、きっとすぐに「あれ、隣にいる
トレーナーの遙輝がかっこいい」と気づくだろう。
「遙輝って名前の漢字も素敵!これでずっとサッカー部
やったなんて!12歳で童○捨ててるね」と
息子にセクハラ発言。もう思春期なんやから控えたいところ。
ちなみにサッカー部副部長が大雅だったとのこと♡

 わたしが見始めた頃からの試合の印象だと
大雅は後半からギアが上がる。なので延長ラウンドとなる
ことも多かった。リー相手に通常3Rのところを5Rとなる
この試合。「勝機あり!」というのがわたしの見立てやった。

 勝ったのでマイクで話す権利を与えられた大雅。
トレーナーの遙輝を大事に紹介して涙声に。この人優しいけん
ちょっと遠回りしたんやないとと思う。大雅を複雑な表情で
リングのコーナーから見守る兄HIROYAも良い!HIROYAも
K1甲子園でブイブイやったそうなので(夫はHIROYAが強かった
印象があるそう)、色々思うところがあるのだろう。

 一馬の引退セレモニーも良かった。
まさか令和五年にシャムシェイド聴くとは思わなかったが
一馬選手は古い感じのイケメン(や、きっと普通に
整っていらっしゃいます)なのでぴしゃりやった。

 メインの大雅の前の試合。女子の試合だった。
「この女子、原口健飛とこの所属やった気がするが・・・?」と
息子に話していたら!原口健飛がセコンドに~~~
(^_^)!!バラケンもE!おもむろにポケットに手を突っ込む
原口健飛。緑のケースが出てきて中からマウスピースを出す。
そして選手の口に入れてやるわけですよ。
同じ女に生まれて!わたしも原口健飛にマウスピース入れてもらう
人生生きたかったよーーーーー!!あと30年若ければ(笑)!!
しかし原口道場ばり練習きつそうやもんね。やけん
勝ちよっちゃんね、あの女子選手。

 席も良かったのでムチムチの大雅の背中や
試合中の汗も臨場感で良かった。今までみんなに内緒にしていた
大雅ファンということ。見渡せば後楽園に多くの人。
今まで皆、大雅の試合の時、どこにおったん?と不思議になるような
人の入りやったよ。これからは防衛戦。大変やろけれど
応援します!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

喉痛

2024年01月14日 | Weblog
 喉の調子が正月明けてからずっと悪い。
寝ている間に口を開けて寝る→出産前とか昨年末までなら
「なのに、喉、痛まない!免疫上がったのかな~♪」だった
んですよ。若い頃なんて喉痛めて→風邪。飲み会の日にちを変更、
というのが冬の定番だった。飲み会止めざるを得ない環境に
なり、早寝早起きせざるを得ない環境になってずいぶんこの手の
喉風邪から遠くなっていたのに。喉が痛いだけは放置でいいんや
けれども、喉の違和感から熱っぽくなるのがいやなんよね。
仕事等支障が出る程度の。困る。昨年11月には片頭痛あったなー。
心が。心のケアが大事でしょうか。心身つながってますからね。

 父は知らん間に退院していた笑。入院伝えたなら退院も
伝えて欲しかったーと父らしく感じた。

 11月の辛い片頭痛時に数ヶ月来行ってみたかった
近所に新しくできた古民家カフェへ潜入。すると頭痛止んだという。
ここに、正月ペニンシュラホテルのアフタヌーンティーへ
帯同し、スコーンの美味さに開眼した息子を連れて行った。
ATは数年来「どこか行きたいお店ないかなー」とネット検索
していた。
古民家カフェさんではスコーンを持ち帰られるのだが、
先日持ち帰って食したそれが美味で「今度はお店でクリーム、
ジャムも一緒に!」ともくろみ。わたしが過去単身で
利用した平日は他にゲストはいなかったのだが、
この平日は近所のオバハン(改めマダムがドトール使いして
おしゃべりしていた。それも2組。
近所の人の居場所になっており、嬉しく思った。
素敵な空間と味は誰にとってもそうだろうからね。
ペニンシュラのクリームとはまた別のテクスチャーで
感激の我々。平日仕事や学校があると行けない時間帯の
お店なので特別感ある。またぜひ。

 先日向谷地 悦子氏による当事者研究へ参加。
わたしが興味を持っている北海道のべてるという場所の
看護士さんだった。向谷地生良氏の妻とのこと。
会場には生良氏の息子、会の終わりに娘が登場し、
興味深かった。今回も良い話たくさん聴けたなー。
ブログで防備録作ろう。いつもわたしはこういう会の
メモとかどっかいってしまうので、ブログにメモしたら
いいやんと思った。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

入院とか

2024年01月08日 | Weblog
 昨日は親しいお付き合いをさせていただいていたおじさまの
お葬式へ。それを知らされたのはおじさまのご長男から。
おじさまとうちの父は百道中学からの親友で、不良な父と
真面目で誠実なおじさまは周りから見ると仲が良いのが不思議な
関係で、今まできていた。おじさまがここ数年弱っていかれる
姿を見てきた。とはいえ二人とも昭和15年なのでそれなりだ。
おじさまが亡くなった日に父は入院となっていた。
「14時頃心臓がきゅーっと苦しくなったと」。「けどそれって今までも
あったけん」。父はここ数年で2度心臓の手術をしていたので
それは分かる。「ただ、様子を見ると、いつもより頻度が高いし
症状の発生の間隔が短いけん」。「救急車かな?と嫁さんに
話したらわたしが送るって言われて、すぐ入院になった」と話していた。
「おまえにも長男にも入院のこと話す気持ちなかったっちゃけれど
○○くん(おじさま)が亡くなったけん、その連絡があるけん、
オレがすぐ葬式行かんのもおかしいし、入院のことを子ら(兄とわたし)
に話すことになったと」とのこと。

 斎場にうっかり30分早く到着してしまったので、
近くの喫茶店に入店。持ってきた本も読めない。気持ちが
悲しみマックス。「おじさまの亡くなった姿を見たくなく、
斎場行きたくない」と父にライン。正直、高齢の方でここまで
思うことは初めてだった。わたしは長生きしたくないタイプ。
江戸時代の寿命40代。これでいいなとわたしはそっちを希望。
「長生きしたい!」人もおろうけれどわたしみたいな人もおる
わけで、両者尊重して欲しい。そしたら医療費も削減出来る
んやないと。38歳で人間の心臓が打ち終わる、そこから余生
とするならば、わたしはもういいなー。
そういう気持ちで生きれば、20代も無駄にしないんじゃないかな。
わたしはくそみたいな20代だったので本当にそう思う。
自分が早く死んじゃえば、知り合いや思い入れのある
おじさまおばさまの訃報を聞くこともない。
母を小六で亡くして「死ぬ」ということを突き付けられて以降、
人が「死ぬ」ってことに弱い。人間生きていたらどこかで誰しも
死ぬけれども。そう割り切れない気持ちも人間だからあります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする