ひねもす日報

このブログももうすぐ開設20年とは

伊豆丸剛史氏-厚生労働省社会・援護局の矯正施設退所者地域支援対策官/スナック

2024年05月14日 | Weblog
 あだちTSネットさんの講演会で知った伊豆丸さんが!
TSネットの全国会で講演をされたんですよ♡これは
行くしかねぇ!ということで行って参りました。

 60分を超える講演。メモとりまくり。うなずきまくりで
拝聴するわたし。寝ちゃっているおじさまもおられて(;´Д`)。
もうおじさまなんて大先輩ですからね。自分の新卒感を感じる。
以下まとめ。

・福祉は私たちの想像の外側になる
・司法と福祉の狭間にある人たち
この二つは前回わたしがお聴きした時もお話されていた。
・生き辛さを可視化する
 今、日本で100歳以上の方は9万人いる。ってのは、
 東京ドーム満席でもさらに入りきらず外に4万人ですよ、
 というのが可視化。
・認知症の受刑者さんは、「ここが刑務所」とも
 分からない方もいる。そこで刑期を続ける意義とは?
・刑務所はすべて剥ぎ取られる
 15年前は住民票も受刑中に勝手に消されていた
・「困ったら相談してね」→×
 「相談」のイメージ→支配、言いなり、不振
・伊豆丸氏今まで830人支援してきた。ワンストップセンターなど
 「誰も行かない」。
・刑務所に入るだけ→福祉につながっていない
・福祉のサービスと当事者が重なっていない
・役所までは行った、けれど窓口に行けなかった
 「字が読めない」「何か忙しそうで話しかけられなかった」。
 「福祉コンシェルジュ」を創設して 
・福祉で「連携」というワードは頻出だがそれだけではだめ
 福祉ではない人との連携も大事
・サービス・制度では追いつかない
・「普通は」の外へ目を向ける
・将来の影を感じさせる→想像につながる
・異質なものと出会う
・理念ばかりになってはいないか
・出所しても居場所がない→再犯
・時間が必要な支援、勝手に時間が解きほぐす支援もある
・一生できる支援はない。支援を次の人に託すような
 バトンリレーとして考えて
☆心に残った話、「やっぱりスナック」
・スナックのママが、もう行き尽くして行く就労支援の場所が
  ないお客さん当事者へ、就労支援の場所をスナックのお客さんを
 通じて紹介→今までで一番長く就労支援の場所へ通えているとのこと。
 支援者側は「スナック行っちゃだめ」と言い続けていたことを
 振り返って考える結果に。
・NPO法人フローレンスの駒崎氏もスナックの可能性に言及していた
・田原総一朗氏の田原カフェを仕切っている田中氏も
 名門一橋大学を卒業後新卒でスナックを継業した女性を
 迎えてネットラジオしていた。彼女のインタビュー記事読んだ
 けれど、スナックの可能性を感じるものだった

 わたしも定年の年齢になったらスナック×福祉やりたい(真顔)。
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身体がゴリゴリ

2024年05月11日 | お稽古メモ
○お稽古メモ
・ストレートの時は軸足のそけい部を畳むイメージ。
 そうするとためを作ることができる!!
ずっとストレート下手くそマンキンタンやったから
分かって嬉しい。
・キックは抱え込みが大事。
 ムエタイ出身の先生ではない時はべた足でも良いぐらい。
・キックおへそが進行方向へしっかり向くように
 身体も向くように
 すると骨盤も回ってくる
○メモ以上

○試験思い出
 試験直前期になると身体が悲鳴を上げる。
わたしは保育士になって視力が上がったんですね。
デスクワークではないということからでしょうか。
それが日がな一日デスクワークみたいな体勢で
勉励せねばならず、それに身体がなれていないので
信じられんぐらいガチガチになる。
ストレッチポールで肩や肩甲骨ほぐすと
今まで聞いたことないようなゴリゴリ音・・・。
臀部はゴルフボールでほぐす・・・。これも12年前の
保育士受験の時にはなかったので寄る年波について
嫌でも突きつけられた。
 試験直前時期に数年振りにぎっくり腰になったので
接骨に飛び込んだ。そこから試験終わるまで通うことに
した。彼らは柔道整復師の国家資格持ちなので、
「懐かしい~」と自身の体験談を聞かせてくれた。
 保育士の時は結果が出るまでの約一ヶ月間は
まだ保育園に通っていた息子と遊んだ気がする。
しかし今回はもう結果が気になってみかん一つ食べるにも
眉間にしわを寄せて皮むく始末・・・。
「結果出る前に帰省する!」と言って帰省したのだけが
気分転換になったか。あとはひたすら仕事していたのは
良かった。

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受験思い出メモ

2024年05月08日 | Weblog
○4年次の思い出
 夏までに卒論を終わらせたら
8月から実習やった。実習施設には前にも書いたように
自分の子どもぐらいの子らも実習にきていた。
「医学部」なんて子とは「一体どうして医学部へ!?」なんて
話を聴きながら感じ入る。優秀だよね。
実習先は障がい関連。社福の資格で「高齢」と「障がい」、
「法律」のゾーンがとっても苦手だったので、現場に
入ることで一つでも体感することができて良かった。
実習先には働きながら社福を取った先輩がおられ、彼女
たちのお話も聴けて励みになった。
過去問を解いて実習に行ったので「あの問題で出てきたやつ!!」と
脳内机上で覚えたものとリアルがくっついていく作業が
良かった。実習生を受け入れ慣れしている施設だったので
そこも助かった。実習前研究と事後研究、特に後のが
重たくて提出物が受験勉強と重なり辛かった・・・。
12月に夫からインフルエンザがうつった時は、提出物の週で
「もう間に合わないかも(;_;)」となったがどうにか・・・。
あのときはコープデリの宅配に助けられた。コープを
「お母さん」と呼ぶようになったね・・・。
 試験勉強で辛かったことの内の一つが、「指がカサカサで
問題用紙を一枚ずつめくれないことがある」です。
マークシートなので二枚重ねてめくろうもんなら致命傷!
試験開始前にベッタベタにハンドクリーム塗るけれど
余り効果がなく・・・。指サック許して欲しい。眼鏡と一緒じゃない?
30代で保育士受験した時はなかった悩みで老化の辛さを感じた。
4年次の秋まではYouTubeを使った勉強ってほとんどして
なかったんやけれど、飯塚慶子氏の動画を購入して効果を感じ、
広く導入ていった。その中で救われたチャンネルは
「FPほんださんチャンネル」。ほんださんが保険制度と
権利擁護をとってもわかりやすく!教えてくれた~。
あと高齢の分野は「みんなの介護」チャンネル。「初めて
高齢施設を探している」人に向けた、高齢者施設のカテゴリー
や特色を教えてくれているやつ。法律とその法律に基づいた
施設を暗記しなくてはならないので助かった。
他には「マークシートの失敗しない塗り方」とかも
見たなー。

 受験目前になると息子の受験の時より値段が高い
マヌカハニーを家族全員に強要。「絶対みんな体調くずさんで
欲しい、わたしにもうつさんで欲しい」という気持ち。
試験一週間前は、試験の日と同じルートを通って会場まで
行く練習。これは当日朝からメンタルをすり減らさなくて
良かったので効果はあったと思う。わたしは早稲田大学やった。
3年次はカフェで勉強することもあったけれど
だんだん図書館でするようになり、時期的に大学受験の子らも
きており息子達と学んでいる感覚だった(;゚ロ゚)。
試験会場には実際に現役生もいるのでお若い方もたくさん
おられた。

 合格発表はオンラインで開示なんやけれど、
「この番号、間違えてない!?」みたいにとっても不安に
なるメンタル・・・。合格した後はがっつり3月仕事を入れて
しまい、転職活動に乗り遅れるというね(;゚ロ゚)。
転職も数年ぶりなのでカンが鈍っているどころか
すっかり浦島太郎状態(;゚ロ゚)。履歴書と職歴から
担当のキャリアコンサルタント嬢にリライト頼みまくる。
社福の応募先って「2000字の作文」なんてのは
毎回あるので再び大学に入学したように作文を書くことも
また増えたのだった。面接会場で書くタイプもあった。
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底なし沼@灯台屋

2024年05月06日 | Weblog
 近年はお友達と会ったりどこそこへ行った等は何となく
ブログに書いていなかったのやけれども・・・。
昨日行った占い師なかむらかえるなかむらかえる.com氏の
「底なし沼」というイベントが灯台屋https://todaiya.com/で
開催された。コロナ前?から「底なし沼」という缶詰を卓上
コンロであたためて食すイベントへ行ってみたかった。
やっと行けた☆灯台屋さんはわたしが6年前に
イベントに遊びに行った占い等する場所で、そこの主宰である
もずくさんには折りに触れて鑑定や昨年はテスト前のメンタル
を支えるために(;゚ロ゚)、月一セッション半年コースを申し込んで
いた。この話はまた書きたいこと、ある。もずくさんの占星術の
基礎を学んだ時、最初の一コマで「一二星座の特性」ていうのを
習った。その時に「たった12星座を知るだけで人との境界線を
知ることができた」ことは大きな収穫だった。人と自分は
違うんだってやつですね。そこから、大学では「相談っていう
ものはとぼんやりしたものだから、あなたたちは
根拠を述べられるようにならなくてはいけない」と先生方に
言われて特訓する日々。みんなの根拠を聞くことでわたしも
良い効果を得られたことも書きたい。そんな灯台屋さんが
移転のご予定で、古民家灯台屋さんへ最後にどこかのタイミングで
行ってみたかったのでそれも叶って良かった。
 昨日のようなイベントは参加した皆さまとの一期一会の
セッションと申しますか、そういったものも場を作ると思う
んですね。昨日は「良質な雑談」と他の参加者さんもお話
されていたけれど、本当そうだった。楽しい気持ちをクール
ダウンすべく、家で風呂入るのも面倒だし自宅近所で銭湯へ
ピットイン。本当は武蔵新城の千年温泉へ行きたかったのだけれど
そちらはまたにして。23時近くの銭湯、連休中だからかすごい
人入っていた。
 みんなで缶詰温めてパン焼いたりご飯チンする人もいて、
半分キャンプ、半分家飲みみたいな感じ。
参加者にはわたしが5年ほど前にセッションしてもらったおっちゃん
さんや占いおしゃべり会に参加させてもらったみねんこさんが。
お会いできて嬉しかった。5年はあっという間だった。
参加者の方に「何か運動されていますか」と言われたのが
すごく嬉しかった笑。人生でそげんこと言われたことないけん
嬉しかった。

○大学四年次の思い出
 四年生は卒論と実習が重たかった(;゚ロ゚)。
3年次の後半から卒論のひな形を担当教諭に手直ししてもらいながら
作る。わたしは入学の生徒が少ない10月生だったので他の生徒と
時期がずれて今思うと先生からの返信等早くいただけた気がする。
「起承転結」。RISEの興行行く前に、神保町のお勉強カフェで
ひな形を作ったことが懐かしい。あれはチャンヒョンリーと常陸
戦だったなー。最初は出所者支援、権利擁護で書き出した。
新しい取り組みをする官民で運営する刑務所を知ったからだ。しかし、
卒論のテーマを決めたきっかけが
「プリズンサークル」の坂上監督が
北海道のべてるへゲスト出演した時の座談会の内容だったことと
わたしの夏の実習先が障がいの方々の施設であったことから
自然とそちらの内容へシフトしていった。そこで
脳性麻痺当事者熊谷晋一郎氏を知ることにもなる。
パワポの発表操作練習を先生にZOOMでやってもらったことも懐かしい(涙)。大学に入学してからは仕事行く時もどこか余暇行くときも
常に何らか教材を持っているので鞄が重たかったなぁ。
書いてみると色々思い出す。

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お受験2 続き

2024年05月05日 | Weblog
 思い出振り返りメモ。
○入学前編○
 社福を目指したのにはいくつか理由がある。
一つではトライしなかったと思う。
・息子の学校生活がコロナ渦で6月に入学式をして、
 その後一段落をした時にシッターをしながら別の仕事を
 見ていたら、わたしがやりたいと希望する仕事はほとんど
 「社福」持ってないと応募できなかった・・・。
・コロナ渦でオンライン勉強会も盛んだったので、
 「保育士」だけで希望の仕事に近づけないか試行錯誤したけれど
 わたしとしては残念だけれど納得がいかなかった。
・保育士を始めた30代中頃に、今のわたしの年齢ぐらいの先輩
 方はみんな腰痛ベルトを巻かれていた。身体的な厳しさを
 認識していた。
・自分も振り返れば社会的養護が必要な生育環境であった
 のではないかと思った。おばがいてくれたからどうにかなったけれど、
 それは「どうにかなった」のであって、
 学生時代を「エンジョイ!」ではなく、「切り抜ける」「しのぐ」
 感じだったなーと思う。今、自分が息子を育てる中で「普通」に
 暮らすってこういうことかと、自分を振り返ると残念な
 驚きを感じた。とはいえわたしよりずっと過酷な暮らしを
 している子らもおるはずで、人生の後半はおすいう方々の
 お役に立ちたいと思った。「彼らは私」という視点。

 で、学校どこにするかと資料取り寄せて面倒臭いけど
マーカー引いたり付箋たてたりしながら検討した。

○3年次編入
 最終学歴の学校から卒業証明や単位証明、
戸籍とか色々取り寄せるのがだるかった。単位証明の
成績の悪さに驚く(;゚ロ゚)。思わず息子に見せて苦笑。
からの福祉の大学ではSとかAの多い成績で息子に
面目躍如・・・。「人間やる気」。
 編入してからしばらくは土日ほとんど授業やった。しかし、
「1年で単位を取るのではなく早めに単位取得を終えて
受験勉強に充てる」提案を学校のアドバイザーさんに
いただいたのでそのようにする。一年分の単位を半年で
取得した。仕事行く時でもいつでも分厚いテキストをいつも
持参していた。一科目につきレポートは一つで良いかと思いきや
「科目修得試験」といってレポートは一科目につき
2つ以上は提出せないかんくてそれが大変だった。

☆仕事 
 とはいえ、3年次はまだ、お客さんに甘えながら
お仕事もほぼ定期で入ってしていた。
「お勉強があるから遠慮していたのですが、話してみたくて」
と文科省のお母さまに呼んでもらったことがある。
全国の大学へ訪問するお仕事をされているとのことで、
わたしの大学へも訪問されていた。

○4年次
 4年になる頃には過去問等触れていたけれど
暗記がだるくてやっていなかった(致命傷)。
4年次は春から実習に向けての作業が続く。
わたしは「母子福祉支援施設」で決定していたはずなのに、
決定面談の二ヶ月後に「施設が受け入れを拒否」と
通達されて、約一ヶ月間飛び込みで受け入れ施設を
探すことに・・・。これは辛かった。けれど、
周囲の福祉系大学卒の方や社福持ちの方々へ相談、アドバイスを
いただきながら、施設が決定した。
「実習課題は毎日でこれがすっごい辛いから、ある意味国試より
辛いから!家から近くで!!」というアドバイスを
素直に聞かせていただいた結果の実習先だったが、
たくさんのことを経験させていただき良かった。
積極的に実習生を受け入れている法人だったので、
わたしのような社会人実習生から現役大学生まで
関わることができたことも貴重な経験だった。

○プロレス
 引き続きプロレスの動画を閲覧している・・・。
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お受験2

2024年05月04日 | Weblog
 息子は自身の受験が終わった日のブログ
エンドロール - ひねもす日報を懐かしく読むことが
あるそうで。「お母さん、このこと終わったらエンドロール
2で書きなよ」と言ってくれていた。

 保育士を受験した時は嬉しくてすぐに書いたのだろうが
この度は何だか合格した後もその前後から諸々忙しくなって
しまって、自分の記録用にやっと書く。このブログはわたしの
遺書であり、息子が大きくなったときに「今日のセガレ
○ケ月」の項を読んでくれたら良いなって思っているやつなので。
もう「誰かが読んでる」視点も無い。そんなの考えて
たら書けない小心者のわたしだ。

 この春社会福祉士という国家資格に合格した。
もうそこまでの道のりの長さと労力を振り返ると、
これは自分自身にメモしときたいなと。
 現在息子が新高2なんやけれど、彼が中学二年の10月に
わたしは大学へ3年次編入した。
社福になるにはいくつかルートがある。
わたしは実務経験がないのでどこかで実務るか、
大学行くかしかなかった。養成校に一年行けばOKなど、
それまでの各人の経歴でルートが違うので、
どのルートで「受験資格」を得るかは人それぞれ。
実務を積める場所も探したけれど、
所属しているNPOの方と話す機会があり、
その方から「実務より学校が早いかも」とアドバイスを
もらって悩んだけれど、学校にした。
 
 仕事はフリースタイルのシッターだったことが
助かって、定期のご依頼は受けないってことに。
自分の自己紹介に
「授業やレポート提出、実習に受験のための勉強があるので
制約があるシッター」と表記した。
すると、ご依頼者さまたちから、
わたしの学ぶ姿勢によりポイントが上がるということが
多かった。これは想像外のことだった。みんなパトロンみたい
に応援してくれた。わたしもバリキャリマザーたちに
時短家事や調理の負担軽減についてたくさん相談した。
お若いママさんたちの持つ情報に助けられたことがたくさんある。
 
 通信制の大学ではあるものの、学校に行く日もあり、
3年次は共通科目を取らないかんくて、
教職を取る別の学部の若者らと一緒にオンラインで授業を
受けたりZOOMで4人一組のグループに分けられて
発表するなどしていた。通信制の大学は、学生時代みたいに
仕事もせずにただ毎日学校に行っているわけではないのが
大変だった。何か質問したくても「学生課行って聞けば
いっかー」ではない。何か穴があったら進級も出来ない。
「通信の大学 卒業 できない」という検索ワードが
山ほどあって怖かった。そのため、細かく質問する日々が
卒業まで続いた。指導教官や実習の先生、事務局の方からの
アドバイス通りに行う日々。
4年次は同じ学部の子らとの学び。
北海道から宮崎までいる生徒たちとZOOMでリアルで学び
発表し続ける。並走して受験勉強と受験のために
必須である180時間以上の施設実習、
実習のための準備授業と終わった後の発表などを
受験勉強と併せて行っていた。実習先で出会う医学部や
保育の大学の若者らとのふれあいも新鮮だった。

 大学入学前に、渋谷にある福祉に特化した
ハートフルハローワークさんに社福取得の相談へ行った際に、
「学校へ行くでも現場経験積むでも、受験を決めたなら
一科目でも早く勉強しなさい」とアドバイザーに言われたんですね。
「そんなに大変なんや」と認識出来た。

 社福は昨年と今年は急に合格率が上がっておるのですが、
先輩曰く「現役生(現役の大学や養成校の年齢の子)と
社会人の合格率は同じではないから注意しなさい」と
言われていた。このカラクリよ・・・。

 実習は障がい者の方の施設だったんだけれど、
同じジャンルの施設でも当たり前やけれど運営側の姿勢で全然違う。
わたしは昨年先輩が行かれて「本当におすすめ!」という
ことだったので決めたのだった。本当は母子福祉支援施設に
行く予定が、コロナの影響で突然NGになった。
そこから飛び込み営業のように自分で実習施設を探す
一ヶ月が始まって辛かったなー。

 社福を持っている身内やお友達に相談させて
もらえたことも助かった。社会人から社福受験を経験し、
今その業界でお仕事されている先輩からのアドバイスに
救われた。
 
 受験はわたくし事なんやけれど、対息子にも
影響が。それは、思春期に親が自分のために学んで
怖がりまくりながら受験当日を迎え、
発表を見る流れを目にしたこと。
 彼もこれから大学受験なんやけれど、
「うちの母親○○女子大に内部進学のくせに早慶行けとか
言ってきてむかつく」とか、クラスの声であるらしい・・・。
そこに、3年次→ひたすら単位取得の為にレポートを書く、
受験勉強も少し触る、
四年次→単位のレポート終わったら実習周辺のレポートや
発表のパワポ作り、実習施設にも毎日レポート提出、
卒論→受験勉強をした姿を目にしているので
その点ちょっと違うっぽい。とはいえわたしも
「受験ってこんなに大変なんや!もう息子の受験には
口出ししない」と伝えてある。実際息子の大学については
夫に丸投げしてある。

 合格発表の日は恐ろしくて平日の14:00に
ネットで合格者の受験番号が掲載されるサイトに
アクセスできなかった・・・。その日は仕事にしていて、
昼過ぎに終わる現場。息子は定期テスト前で塾にいた。
「お母さん絶対自分でアクセスできんけん、息子に
見て欲しい・・・」と依頼するも、うちの息子はガラケー
なので結局わたしのスマホを彼に渡すことに。
雨が降っていたあの日。塾近くの雨をよけられる場に待ち合わせて
スマホとQRコードを渡す。待っている時間の怖さよ!
「あったよ」の声を聞いた時じんわり泣いてしまう
46歳・・・(;゚ロ゚)。「あんなに勉強していたんだから
あるに決まってるって思った」と息子は言うが、
だからこそなかったら絶望過ぎだった。
 合格発表までの一ヶ月間のしんどさよ・・・。
とか、とか、まだ補足はたくさんあるのだけれども、
今日はここまでで。

○プロレス○
 昨日歯磨きしながらテレビつけたら
プロレスがあっていた。めちゃくちゃ面白くて
びっくりした。今度興行観に行ってみたい。
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勝間式ロジカル不老長寿―健康もマネーも人生100年シフト!

2024年05月02日 | 本・映画
 図書館にめちゃくちゃよく行く。
そこでふと手にしたこの本よ。タイトルと内容が全然
合致してねぇ。「老後を考えるのは40代後半から」
「老人というものは世の中からスルーされるようになっている」
など衝撃的な文を目にし、思わず借りた。「老化=死」って
ここまで書くことができるのは彼女しかいないのでは(;´Д`)。
退職後の「社会との分断」についても書いてあり、
「うちの父親、そのままやー(;゚ロ゚)」と思う。
「老後を考えるのは40代後半から」「50代では遅い」とも。
タイムイズマネー。早い分には良いけれど、遅いと「手遅れ」
になるってことでしょうか。

 また別の日。日経新聞読みよったら、「ボランティアのシニア
(48歳)」ってありまして(*_*)。わたしもうシニアやんか!
と思ったというね・・・。日経新聞のシニアの定義よ。

 ジムの今度37歳になる先生と話していたら
「回復力が弱ってきた」とのこと。分かる気、する・・・。
とはいえ、出来ないなりに出来ることを継続して
おかなくては劣化するばかりでは。ね・・・。
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再発防止

2024年05月01日 | Weblog
 今日はまとまった雨かつ寒い急に。
日々が暑すぎるのでこれぐらいで良いのだろうけれども。
 今日息子塾の面談にZOOMで参加するの面倒くさい・・・。
今まで塾面談って塾まで親が行っていたのが中学までで、
高校になって入った塾は親はZOOMなんです。
年に三回ぐらいある塾担任と生徒の面談にZOOMは任意なので
入ったことなかったのだけれども、
この春息子が!塾代だけ振り込ませて申し込んでおらず
春休みたっぷりひたすら遊んでいた事実が、塾から「過払い金発生」
との連絡で発覚したのが3週間ぐらい前か・・・。
「高校生だから塾は自己責任でお願いします」と塾の管理を
一括で息子にお任せし、
高一の夏と冬はちゃんと行っていたのに!春から・・・。
「親、なめてるからそういうこと出来たんだね。
お母さんは悲しい」と伝えた。「親に怒られるって思えば
できないもんね」と。春休みは春期無料枠というものがあり、
一日置きに二科目ずついかないかんくて、それを「春期」と
思っていたんですよ、わたし。システムよぅ知らんけん。
息子の塾のシステムが煩雑でもう本人に丸投げしとんやけれど・・・。
「そういうのってだめやん」と、事件発生後に夫より。
「ダメなの?お母さんは君なら大丈夫だと思って任せたんだよ」と
息子に伝えた。「あれやれ、これだめってわたしも言いたくない」
とも。感想としては「残念」です。
 今日はZOOM面談で「春期の取り戻し」と「再発防止」の
チェックポイントを先生にインタビューです(;´Д`)。
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