ひねもす日報

このブログももうすぐ開設20年とは

塾の重たさ

2017年04月29日 | Weblog
 ひぉぉー前のブログからもう半月か!自分の精神衛生上ブログ書きたいのに、余暇が平日ござんせん(( ;∀;))。
 朝5時過ぎ気象上柳まさひこ朝ㇻジ聴きながら夕飯作る→洗濯する→時折ブラーバ部屋で転がす→身支度→洗濯干す→息子起床→息子に
本日のスケジュールを紙に書きつつ説明、朝食食べさせて→息子とともに出発、という平日五日。土日はお掃除丁寧にやって、
平日のために食材買い出しへ行って野菜やお肉をお切り保存。

 4月からこの日々に塾の息子の宿題を見るというミッションが入ってきた。塾って高いお金払うから行けば合格
させてくれると思ってた。塾の勉強を見たり送迎をする親を、「過保護~」と眺めてきました。謝罪します。
そげんせな受からんと分かりました。数年前働いたパン屋で娘の中学受験のママさんが、口を開けば娘の受験の話をしていた。
「勉強するのは子供やろーが」と斜に構えてみていました。ごめんなさい、そこまで親もせな合格せんんちゃろうや!!です。
将棋サロンへ行きやすそうってだけで決めた塾、ばり宿題が重たくて多い。4教科…。
働きよるけん、わたしが仕事で帰る前に宿題を終えて→わたし帰宅で丸付けと流れたいのに、
「解けない」と泣きながら電話がかかってくることも。
 職場の同期先輩ママから「そういうもんよ。学年上がるごとにもっと大変になる」と体験談。
幼馴染ナース嬢も娘ふたりの受験を終えているので相談したら、「中学受験は親が並走する
もの」とのこと。塾のお迎えも今は夫も行きようけれど、彼だってずっと迎えに行ける部署とは限らない。
とはいえ、自分が夜お迎え行ってもろもろ家事がおしてまた朝五時~のスケジュールこなすのも辛くて、
送迎も大変なんです。塾負担問題…。

 この4月あたりから、些細なことで泣きながら電話を
息子がかけてくることが多くなった。この春から本部が運営する園を巡回してくれる看護師さんに相談する。
すると、子どもというのは9歳ごろからが最後の愛着の時期で、そこから中学入るくらいまで、
しっかり愛情を注いであげたらちゃんと親離れが出来、反抗期も楽とのこと。
わたしは昭和の人間やから、4年生くらいになったらもう親子離別し出すものだと思っていた。
身体も大きくなってきたし、ずっとべたべたしていても変やろ、と。

 お次は仕事。2月3月鬼の特訓で覚えた仕事が簡素化されそうで(;´・ω・)。楽になるけんいいけれど、
一転二転ある職場やから、本当に楽になるかなぁ?成長させようと頑張りよる会社ではあるので、
色々試行錯誤しよるんやろうけれど、あまりにそのスピードが速くて職場誰もついていけてない。
働く人たちは会社への不満がすげぇ。「保育士」と書くと求人応募数が
減るからほかの書き方をして、入社させたら保育士にしている会社で、この春入社した人は
一か月もせずに辞めた。わたしの同期は半月と三か月で辞めた。看板に偽りありな職務内容で、
春に入社してきた人の表情はわたしがそうだったように暗い。わたしはこのままでは単に保育士にさせられそう。
それをやりたくて入ったんじゃない。上記のことを加味して、年内で辞するかなーと思案中。
夫はわたしのチャレンジを応援してくれていたので戒められた。
「働くって大変なことなんだよ、だから軽々しく今後はたくさん働くって言わないこと」
みたいなことを言われた。呆れられたんやろね。
 まぁ、チャレンジしてみなわからんかったことはたくさんある。勉強になりました。
受かるか否かはわからんけれど、息子受験終わるまではパートでいいや。
このブログ遡ってもずっとたくさん働きたかったのにね。わたしは甘いね(自嘲)。
育児始めたころ、「実家力」というのがあると感じた。実家の助け。塾問題では「傍力」かなぁ?
息子のためというのではなく、自分人生の「母親」というカテゴリーにおいて、
したくもない仕事継続しながら息子を6年生まで見たときに後悔しそうやけん。
これだけ息子と関わるのも最後の機会やろうし。

 仕事も人にも少しずつ慣れて、夜も何度も目が覚めていたのがなくなってきた。
それは最近良かったこと。クリス松村のラジオ聴きながらこれ書きました。

御徒町の素敵居酒屋。フリーアルコールドリンクの話や、

伊豆に初めて行った話などはまた今度書きます。皆さん良い連休を★わたしは月初仕事で、
ばりやられそうです。

 
 
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