ひねもす日報

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赤線地帯(1956年)

2009年08月19日 | 本・映画
 溝口健二監督。救いのない映画だった。赤線地帯でからだを売って生きている女たち。セガレの為に仕事していたのに、そのセガレに仕事のことで嫌われて気が狂ってしまう女。夫が仕事を失ったから仕事しているのに、その夫に「からだを売ることは女の屑がやることだ」というようなことを言われる女。小さな子どものミルク代にも困り、家賃も滞納しているから大家に部屋を追い出され、夫は首を吊って自殺しようとする。足抜けをして、みんなに祝福されて夫婦茶碗持って行ったのに、嫁いだ先の環境が劣悪で、結局職場に戻ってきてしまう女。音楽がこれまた強烈で、テレビの怪談特集なんかで流れてきそうなおどろおどろしやつだった。これで溝口氏はヴェネツィア国際映画祭で国際賞を受賞したそうだけれど…。
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 ちょっと前にラジオで鹿野淳が10代の夢を持った子ら3人と質疑応答していた。鹿野氏って10代の頃読んでいたロッキングオンジャパンのライターという認識しかなかったんだけれど、いい人だった。「青春時代の心に共感でき、子どもを伸ばしてあげる気持ちのある大人」だった。「子どもの心の大人」ってタチ悪くないですか。わたしだって子どもの心で大人になりてぇよ。でも、普通の大人ってそれ無理でしょ。経験積むし、10代の頃じゃ考えられなかった悩みやしんどさにも直面する。「子どものような大人」ってそれを否定あるいは逃げている気がするし、その人が子どもな分、周りが迷惑しませんか。遊ぶ分には楽しい人だとは思うけれど。
 鹿野氏は、何も怖くない発言満載の子らを前に、彼らの気持ちを自身がその年代の時に持っていたことを踏まえ、共感し、彼らを伸ばしてあげようとしていた。「今の僕には、守るものがあるから、君たちみたいにはできないけれど」って言えていたのが格好よかった。
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