ひねもす日報

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辟易して銭湯

2020年03月12日 | Weblog


 銭湯が記事になると嬉しい。大阪の銭湯で学校へ行けない子たちは銭湯おいで、という活動を
やっている店がある。その銭湯は2階に休憩所があり、そこでお預かりしてくれるとのこと。
頭は相変わらず母子福祉のことばかり考えている。なのに、なかなかこう、自分の仕事としてコネクト
出来なくてもどかしい。もう繋がれないのだろうかと少し諦めモードにも入ってきた…。
「これは・・・??」と気になるお子さまやお母さんにお会いした時に、「一体まずは何をしたらいいのか」を
大人にも子どもにも周知して欲しい。「●●なときは110ダイヤルする」「××のときは119」というように。
189の虐待ダイアルに掛けたとて、そこから先の対応等を今まで学んだ身としては、
電話してそれで簡単に「幸せ」とはいかないとは分かっている。人間のこと、
そげん簡単にいかんことぐらい当たり前で、それでも189せないかん時はあると思う。
 想いがある人にたくさんお会いしてきた。何でこの「想い」が、結束バンドで束ねられて
マンパワーになっていかないんだろう。束ねてくれる人がいないからか。じゃあ誰が束ねたら
いいのか。

 昨日の夕刊。石巻日日新聞社。あの福島の現場で、「情報を届けないと」と、印刷機が壊れたので
手作りの油性ペンで書かれた壁新聞を、震災の翌日から6日間制作し、毎日6枚を避難所などに張り出した
話を読んだ。あの状況の中で自分の家族の安否も分からない中で、「伝える使命」を
貫いたとあった。心が震えた。この話が書きたくて今日ブログを書いた。

 昨日アホみたいなことして落胆した。意味分からんぐらい自分の「ドジ」振りに辟易。
「このまま化粧も落とさず風呂にも入らず眠りたい」気持ちだったが、近所の銭湯へ這って行く。
もう銭湯に対する圧倒的信頼感。最近気づいた。銭湯って「公衆」浴場。「公」
という文字が入っている。銭湯はオーナーさんの所有物。それを我々はお金払って入浴
させて頂いておる。
 クレジットカードって、カードで何でも買いよるように見えて、実は「クレカ会社」に
カードをお借りしているということなのだとか。何かそういう感じを銭湯に覚えた。
「公」ですから、最近はわたしが脱衣所からいざ風呂ゾーンへ入らんと扉開けたときに、
こちらへチラっと目を向けた洗い場や風呂の中にいるおばさんおばあさん達に会釈するごとしとる。
昨晩も、靴箱ですれ違うときに会釈したら、あちらの雰囲気が変わって(こういうの、何かわかるでしょう)、
「お風呂今空いてるよ」と声をかけてくれた。その声を背中で聴きながら「やった!」
とお返事して靴を下駄箱へ入れていると、「ごゆっくりね」とおばちゃんが言ってくれた。
もうこれだけで銭湯って癒しやん。
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