歴歩

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明日香村・飛鳥京跡苑池 水路の南端部の石組み構造が見つかる

2021年12月03日 | Weblog
 奈良県立橿原考古学研究所(橿考研)が2日、明日香村の飛鳥京跡苑池で、池の水を排出するための7世紀後半の水路跡が見つったと発表した。
 今回見つかったのは北池につながる水路の南端部分で、両側には石積みの護岸が造られていた。
 水路は全長100m以上延びて、近くの飛鳥川に通じていたと推定される。
 苑池は斉明朝(655~661年)に築造され、北池は天武朝(673~686年)の頃に流水施設を整備するなど大規模な改修が行われた。
 現地説明会は4、5日の午前10時~午後3時に行われる。
[参考:共同通信、産経新聞、毎日新聞、NHKニュース]

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 飛鳥京跡苑池
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明日香村・飛鳥京跡苑池 流水施設 7世紀、天皇の祭祀用か

2019年08月09日 | Weblog
 奈良県立橿原考古学研究所が8日、飛鳥時代(7世紀)に造られた日本最古の本格的庭園とされる飛鳥京跡苑池(明日香村)の北池で湧き水を利用した流水施設が見つかったと発表した。
 石組みの中に湧き出た水が、大規模な石敷きに設けられた溝を流れる構造。これまでは供宴の場と考えられていたが、天皇が祭祀などで使う重要な空間だった可能性が高いとしている。
 階段状の護岸も見つかった。
[参考:共同通信、産経新聞、朝日新聞、関西テレビ、読売テレビ、ABCテレビ]
 
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明日香村・飛鳥京跡苑池 石組みの地下水路が初めて見つかる

2012年11月29日 | Weblog
 奈良県立橿原考古学研究所は29日、国史跡・名勝「飛鳥京跡苑池」(7世紀、明日香村岡)の南北2つの池のうち、99年までに南池で見つかっていた噴水装置とみられる一連の石造物について、石造物につながる石組みの地下水路を初めて発見したと発表した。
 地下水路は、南池の南岸付近に約2.5mあった。側面や底面には約30〜40cmの石を使い、長さ約1mの石二つで蓋をされ、土で覆われていたとみられる。
 現地説明会は12月8日午前10時〜午後3時に開かれる。
[参考:共同通信、毎日新聞]
 
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 飛鳥京苑池
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明日香村・飛鳥京跡苑池 南池で高さ3m以上の巨石を積み上げた池の護岸が見つかる

2011年11月29日 | Weblog
 奈良県立橿原考古学研究所が29日、明日香村の「飛鳥京跡苑池(えんち)」(7世紀後半)で、庭園にある南北二つの池のうち、南池で東護岸(約24m)と南護岸(約6m)が出土し、東護岸では重さ2トン前後(1~1.5m大)の巨石を積み上げた池の護岸が見つかったと発表した。水深数十cmの浅い池だったとみられるが、高さ約3m以上の石組み遺構と確認され、視覚的な効果を重視した可能性が高いとしている。 南池の規模が東西65m、南北55mの5角形だったと判明した。
 飛鳥京跡苑池の全体規模は推定で南北約230m、東西約120mで、池の底には石が敷かれ、島や噴水石もあった。 周囲には桃や梅、柿などが植えられていたとみられる。
 また、「鳥養」と記されたとみられる木簡が出土した。
 現地説明会が12月3日(土)午前10時から開かれる。

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 飛鳥京跡苑池関連
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明日香村・飛鳥京跡苑池 北池護岸に5段の階段を確認、水辺で祭祀に使用か

2011年02月19日 | Weblog
 奈良県立橿原考古学研究所が18日、発掘調査中の明日香村・飛鳥京跡苑池(7世紀後半)にある北池の石組み護岸の一部が5段の階段構造だったと発表した。水辺で祭祀をするために造られた可能性があるとみている。
 北池の東護岸を調べた結果、西に下る幅1・3m、長さ3m、高さ1・15mの5段の石段が出土。確認できた横幅は1・3mだが、周囲の構造から石段の幅は池の北東角から南へ約6・2mあったと推測できるという。1段の高さは4段目までは12~20cmだが、最上段だけ55cmあった。
 北池では平成13年にも対角の南西部で8段の石段(高さ1・6m)が見つかっているが、今回は踏み面の長さが約2倍の70~80cmある。
 北池の過去の調査では、祭祀に使われる木製の舟形や人形(ひとがた)出土している。
 同苑池は平日(午前9時~午後4時半)に発掘調査を一般公開中で、今週は19~21日も見学できる。
[参考:産経新聞、毎日新聞]

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 2011.2.2 飛鳥京跡苑池 北池の護岸が確認され規模が判明
 2010.12.20 飛鳥京跡苑池 池巡る石組みの溝が見つかる
 2009.7.16 飛鳥京跡苑池 食膳に使用、ブリの骨が出土
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明日香村・飛鳥京跡苑池 北池の護岸が確認され規模が判明

2011年02月02日 | Weblog
 奈良県立橿原考古学研究所が2日、飛鳥時代の本格的な庭園跡、明日香村の飛鳥京跡苑池(7世紀後半)にある南北2つの池のうち、北池の北東角にあたる護岸が出土したと発表した。
 出土した護岸は、北岸が5.3m、東岸が9.6mで、20~30cm大の石を高さ約1mに積み上げていた。東側は階段状になっていたとみられ、一部は崩れていた。今回出土した護岸は直線的で、扇状の南池の形とは対照的。
 調査地の南西部では、50cm大の平らな底石5個が並んで見つかった。底全体に敷かれていたらしい。
 北池は南北46~54m、東西33~36mの方形の池であることが判明した。 日本書紀・天武天皇十四年(685)十一月戊申(6日)の条に、「幸白錦後苑(しらにしのみその)」と書かれ、天武天皇(在位673~686年)が幸(いでま)したという庭園の全容解明に近づく成果となる。
[参考:読売新聞、共同通信、奈良新聞]

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 2010.12.20 飛鳥京跡苑池 池巡る石組みの溝が見つかる
 2009.7.16 ・飛鳥京跡苑池 食膳に使用、ブリの骨が出土
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奈良県明日香村・飛鳥京跡苑池 池巡る石組みの溝が見つかる

2010年12月20日 | Weblog
 国内最初の本格的な庭園で、天武天皇の「白錦後苑(しらにしきのみその)」にあたると考えられている飛鳥京跡苑池(明日香村、7世紀後半)で、来年度から7ヵ年計画で復元整備に伴う発掘調査が1日から始まり、北側の池やその周辺に巡っていた可能性がある石組みの溝などが見つかった。 溝は幅約60cmで、池の東側で南北に延びる形で出土した。調査は来年1月末までの予定。
 飛鳥京跡苑池では平成11年、石敷きを施した大規模な池跡や護岸の石垣、浴槽のような形の巨大石造物が出土。池は南北に二つあり、庭園全体の範囲は東西約100m、南北約280mと推定される。
[参考:共同通信、産経新聞、2010.2.20奈良新聞]

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 2009.7.16 飛鳥京苑池 食膳に使用、ブリの骨が出土
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明日香村・飛鳥京跡苑池 食膳に使用、ブリの骨が出土

2009年07月16日 | Weblog
 日本書紀に記された天武天皇の「白錦後苑(しらにしきのみその)」とみられる明日香村の飛鳥京跡苑池(7世紀中ごろ)で、ブリなど海で捕れる魚類の骨がまとまって出土していたことが分かった。
 ブリの骨が、古代の内陸遺跡で確認されたのは初めて。
 ブリは漁業集落とされる島根県の上長浜貝塚(奈良時代後期~平安時代)などで見つかっているが、内陸部では初めて。飛鳥・奈良時代の木簡にも登場しない魚だった。
 ブリは60cm以上の成魚で、2枚ないし3枚に下ろした後、切り身にしたとみられる傷跡も残っており、食膳として使用していたことがわかった。ほかにも、ボラやスズキ、アジなどの骨も見つかった。
[参考:奈良新聞]

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2009.6.15
 平成11年の発掘調査で、明日香村の飛鳥京跡で飛鳥時代(7世紀後半)の大規模な池の遺構が見つかったと県立橿原考古学研究所が14日発表した。
 池は石積みの護岸を巡らせ、水の流れを楽しむ精巧な石造物や、中島を配置し、日本最古の本格的な庭園跡とみており、
 日本書紀 天武天皇14年(685)十一月戊申(六日)に、白錦後苑に幸す
の記述より、後苑は飛鳥京宮殿の北を示すため、位置関係も一致することから、白錦後苑(しらにしきのみその)の可能性が高いとする。
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