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歴歩

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明日香村・飛鳥京跡苑池 食膳に使用、ブリの骨が出土

2009年07月16日 | Weblog
 日本書紀に記された天武天皇の「白錦後苑(しらにしきのみその)」とみられる明日香村の飛鳥京跡苑池(7世紀中ごろ)で、ブリなど海で捕れる魚類の骨がまとまって出土していたことが分かった。
 ブリの骨が、古代の内陸遺跡で確認されたのは初めて。
 ブリは漁業集落とされる島根県の上長浜貝塚(奈良時代後期~平安時代)などで見つかっているが、内陸部では初めて。飛鳥・奈良時代の木簡にも登場しない魚だった。
 ブリは60cm以上の成魚で、2枚ないし3枚に下ろした後、切り身にしたとみられる傷跡も残っており、食膳として使用していたことがわかった。ほかにも、ボラやスズキ、アジなどの骨も見つかった。
[参考:奈良新聞]

過去のニュース・情報
2009.6.15
 平成11年の発掘調査で、明日香村の飛鳥京跡で飛鳥時代(7世紀後半)の大規模な池の遺構が見つかったと県立橿原考古学研究所が14日発表した。
 池は石積みの護岸を巡らせ、水の流れを楽しむ精巧な石造物や、中島を配置し、日本最古の本格的な庭園跡とみており、
 日本書紀 天武天皇14年(685)十一月戊申(六日)に、白錦後苑に幸す
の記述より、後苑は飛鳥京宮殿の北を示すため、位置関係も一致することから、白錦後苑(しらにしきのみその)の可能性が高いとする。

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