奈良県立橿原考古学研究所が2日、飛鳥時代の本格的な庭園跡、明日香村の飛鳥京跡苑池(7世紀後半)にある南北2つの池のうち、北池の北東角にあたる護岸が出土したと発表した。
出土した護岸は、北岸が5.3m、東岸が9.6mで、20~30cm大の石を高さ約1mに積み上げていた。東側は階段状になっていたとみられ、一部は崩れていた。今回出土した護岸は直線的で、扇状の南池の形とは対照的。
調査地の南西部では、50cm大の平らな底石5個が並んで見つかった。底全体に敷かれていたらしい。
北池は南北46~54m、東西33~36mの方形の池であることが判明した。 日本書紀・天武天皇十四年(685)十一月戊申(6日)の条に、「幸白錦後苑(しらにしのみその)」と書かれ、天武天皇(在位673~686年)が幸(いでま)したという庭園の全容解明に近づく成果となる。
[参考:読売新聞、共同通信、奈良新聞]
過去の関連ニュース
2010.12.20 飛鳥京跡苑池 池巡る石組みの溝が見つかる
2009.7.16 ・飛鳥京跡苑池 食膳に使用、ブリの骨が出土
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