歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

八尾市・由義寺跡 基壇の基礎の下層から全身の基壇を確認

2022年10月11日 | Weblog
 八尾市が7日、奈良時代に称徳天皇と僧・道鏡が建立した国史跡「由義寺(ゆげでら)跡」(大阪府八尾市)で、同寺の前身の建物(弓削寺)とみられる基壇が見つかったと発表した。
 今回発見された基壇は東西約17mで。由義寺の七重塔とみられる基壇(一辺約21・6mの正方形)より約20cm~約1m下層で発見された。前身建物は火災で焼失した痕跡はなく解体後、規模の小さな基壇を再整地し大きな基壇を構築したとみられる。
 権力を誇示する目的で弓削寺を取り壊し、新たに高さ60~70mの七重塔をもつ由義寺が建立された可能性があるという。
 市は8日から市立歴史民俗資料館で発掘結果の速報展を開催する(~11月28日)。
[参考:産経新聞、読売新聞、八尾市HP]

過去の関連ニュース・情報
  由義寺

続日本紀
765天平神護元年 十月三十日戊子。幸弓削寺礼佛。奏唐高麗樂於庭。刑部卿從三位百濟王敬福等亦奏本國舞。
765天平神護元年 閏十月朔日己丑朔。捨弓削寺食封二百戸。
765天平神護元年 閏十月二日庚寅。幸弓削寺礼佛。奏唐高麗樂。及黒山企師部舞。
770宝亀元年四月五日丁酉。詔造由義寺塔諸司人及雜工等九十五人。隨勞輕重。加賜位階。正六位上船連淨足。東人。虫麻呂三人。族中長老。率奉歌垣。並授外從五位下。以東人爲攝津大進。又授正六位上土師宿祢和麻呂外從五位下。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

八尾市・東弓削遺跡 由義宮跡(推定)から 「優婆夷」と墨書された土器(皿)が出土

2018年01月23日 | 竹姫(浄岸院)
 道鏡が建立した由義寺(ゆげでら)跡とされる大阪府八尾市の東弓削遺跡で、「優婆夷(うばい)」「寺」と墨で書かれた土器(素焼きの皿・直径17cm)が見つかっていたことが分かった。
 優婆夷は、在家の女性信徒を意味する。「優婆夷」と書かれた土器は全国でも例がないという。
 土器(皿)は塔跡の北東約600mの天皇の離宮「由義宮(ゆげのみや)」跡と推定される一角から出土した。皿の裏面に「優婆夷」と墨書されていた。その下にも1文字あり、土器が欠損して判読できないが、女性信者の個人名ともみられるという。
 墨書土器は、大阪府大阪狭山市池尻中の府立狭山池博物館の特別展で28日まで公開される。


関連ニュースおよび情報
 由義寺跡

 平安京跡左京八条三坊十四町(八条院町、現京都市下京区塩小路町)から、「尼優婆塞優婆夷求声聞者求辟支仏者求」と書かれた木簡が出土している。


道鏡の寺に女性パトロン? 由義寺跡から墨書土器、裏面に徳の高い女性信者表す「優婆夷」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

八尾市・東弓削遺跡 奈良時代の由義寺跡で「運河跡」発見

2017年08月16日 | Weblog
 八尾市教委などが16日、奈良時代の由義寺(ゆげでら)跡とされる東弓削(ひがしゆげ)遺跡で、搭跡の北東約500mから造営資材を運搬していた人工河川跡とみられる大きな溝が見つかったと発表した。
 今回、発見された溝は長さ約70m分(全長推定約600m)、幅約16~20m、深さ約1m。
周辺で奈良時代後期の土器(8世紀後半)が出土し、鋤(すき)で掘った痕跡が見つかった。道鏡が建設に関わったとされる由義寺や、称徳天皇が置いたという離宮・由義宮(ゆげのみや、西京)の建物の造営用資材を船で運ぶ運河だった可能性が高いとみられる。
 また、由義宮にあったみられる同時代の掘立柱建物跡の遺構も発見。柱穴は一辺60~80cm、柱の直径は20~25cmとみられる。川の位置関係から由義宮の東端だったとみられる。
 現地説明会が20日(日)午前10時から開かれる。
[参考:共同通信、産経新聞、読売新聞]

過去の関連ニュース・情報
 東弓削遺跡



称徳天皇、道鏡が建立…奈良期の由義寺跡で「運河跡」発見 大阪・八尾、“幻の寺”実態解明へ成果



キーワード:東弓削遺跡、弓削寺、由義寺
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

八尾市・東弓削遺跡 由義寺の塔基壇跡を発見

2017年02月09日 | Weblog
八尾市・東弓削遺跡 由義寺の塔基壇跡を発見
 大阪府八尾市教委は9日、同市の東弓削(ひがしゆげ)遺跡の発掘調査で塔の基壇(1辺約20mの正方形)が見つかったと発表した。
平城京の東大寺や興福寺と同型の瓦が多く出土しているため国家寺院と考えられ、塔は七重塔である可能性が高いという。
基壇は、高さ約100mともいわれる東大寺七重東塔の基壇(1辺24m)より小さいが、大安寺七重塔の基壇(同20.4m)に匹敵する大きさ。大安寺七重塔は塔高さ約70mと推定されている。
基壇の造成には、版築工法が用いられ、高さ約70cmの層が確認された。実際には1.2~1.5mあったとみられる。柱を支えていた礎石とみられる巨石も見つかった。
基壇の周りから凝灰岩の切石の破片が多数出土した。凝灰岩で基壇を装飾する作業は塔建築の最終工程とされ、塔が完成していたと判断できるという。
付近からは塔頂部の相輪の破片とみられる銅製品も見つかった。
 発掘された礎石とみられる巨石の破片には焼け焦げているものもあり、塔は火災で焼失した可能性があるという。
これまで幻とされていた、続日本紀に記載がある由義(ゆげ)寺の塔の遺構とほぼ断定した。
 由義寺は孝謙上皇(後の称徳天皇)のそばで権力を握った僧・道鏡(不詳~772)の出身地であり、道鏡が建設に関わったとされる寺院。
 現地説明会は11日午前11時~午後3時に開かれる。
市立歴史民俗資料館(八尾市千塚3丁目)では18~26日(21日は休館)に出土品を展示する。
[参考:共同通信、毎日新聞、産経新聞、NNNニュース]

過去の関連ニュース情報
 由義寺(弓削寺)
 道鏡

幻の「由義寺」裏付け、道鏡の権力見せつける 称徳天皇の寵愛背景に

追記 2017.2.12
 現地説明会が11日に行われた。開始1時間前から考古学ファンら約2000人が詰めかけたとの報道。
 [参考:毎日新聞]


キーワード:東弓削遺跡、弓削寺、由義寺、
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

八尾市・東弓削遺跡 道鏡ゆかりの「由義寺」跡か

2016年09月16日 | Weblog
 「八尾市文化財調査研究会」は15日、東弓削(ひがしゆげ)遺跡(八尾市八尾木、東弓削ほか)の東弓削・都塚地区で、奈良時代後半に作られたとみられる大量の瓦が見つかったと発表した。 遺跡がある地区は、道鏡ゆかりの弓削氏がいた地で、一族の氏寺「弓削寺」があったと伝えられる。
周辺には道鏡が関わった「由義(ゆげ)寺」や、西京と位置づけられた「由義宮」が所在したと伝えられる。
 続日本紀には
  天平神護元年(765)十月三十日 幸弓削寺礼佛。奏唐高麗樂於庭。刑部卿從三位百濟王敬福等亦奏本國舞。
  天平神護元年(765)閏十月朔日 捨弓削寺食封二百戸。
  天平神護元年(765)閏十月二日 幸弓削寺礼佛。奏唐高麗樂。及黒山企師部舞。
  神護景雲三年(769)十月十七日 進幸由義宮。
  神護景雲三年(769)十月三十日 詔以由義宮爲西京。
  宝亀元年(770)四月朔日 造由義大宮司次官。
  宝亀元年(770)四月五日 詔造由義寺塔諸司人及雜工等九十五人。
などが記されている。
 奈良文化財研究所が確認したところ、興福寺式軒丸瓦や軒平瓦と同じ木型で作られたものや、東大寺式軒平瓦と文様が似た瓦もあった。由義寺の瓦と推定しており、寺の位置や規模の解明が期待される。
 現地説明会が18日午後1時~3時に開かれる。公益財団法人八尾市文化財調査研究会東弓削遺跡調査事務所にて
 出土遺物の速報展示が、9月19日~9月25日(日) 八尾市立歴史民俗資料館(八尾市千塚3丁目180-1)にて行われる。
 9月28日からは八尾市立埋蔵文化財センターで展示される。
[参考:毎日新聞、NHK関西ニュース、読売新聞、朝日新聞、八尾市文化財調査研究会HP]

過去の関連ニュース情報
 由義寺(弓削寺)
 道鏡




キーワード:東弓削遺跡
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする