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豊岡市・市場神無遺跡 7世紀初めの須恵器窯跡から、縄蓆文のある須恵器片50点が見つかる

2011年09月17日 | Weblog
 豊岡市出土文化財管理センター(豊岡市神美台)は16日、飛鳥時代(7~8世紀)の陶芸村跡とされる豊岡市市場の市場神無遺跡(いちばかんなしいせき)の7世紀初めのひとつの須恵器窯跡から、朝鮮半島南部特有の文様・縄蓆文(じょうせきもん)のある須恵器片50点が見つかったと発表した。
 縄蓆文の須恵器は長さ約11mと最も大きい窯の周辺と内部で約50片が見つかった。 高さと直径の最大が約60cmの須恵器の甕約2個分に相当する。出来が悪いため壊されたものとみられる。
 縄蓆文は、板に縄を巻き付けて叩いた際の縄目の模様で、朝鮮半島南部の土器と4、5世紀の古い須恵器によくみられる。 須恵器生産はヤマト王権によって全国に広がり、縄蓆文のある須恵器は作られなくなっていく。 但馬地域でも3カ所で5世紀頃の縄蓆文の土器片が見つかっているが、生産地は分かっていない。 縄蓆文様が7世紀代の窯で生産が確認されたのは国内で初めてという。 朝鮮半島から渡来した陶工が飛鳥時代に但馬で活躍した貴重な証拠とみている。
 朝鮮半島から渡来して但馬を開拓したと伝わる天日槍(アメノヒボコ)の従者に、須恵器の工人がいたと日本書紀・垂仁天皇3年3月の条に記述がある。
『日本書紀』巻六 垂仁天皇三年春三月。新羅王子天日槍來歸焉。(略)天日槍自菟道河泝之。北入近江國吾名邑而暫住。復更自近江。經若狹國西到但馬國則定住處也。是以近江國鏡谷陶人。則天日槍之從人也。(略)

 市場神無遺跡群では、これまで7~8世紀の須恵器の窯跡9基、陶工のものとみられる墓14基、300箱以上の須恵器片が見つかっている。
 現地説明会が19日午後1時半~3時頃に開かれる。
[参考:神戸新聞、毎日新聞、朝日新聞]

過去の関連ニュース・情報
 2010.3.19 市場神無遺跡群 7世紀初め~8世紀初めにかけての窯跡と陶工の墓が出土
 2009.7.10 豊岡市・八坂神社古墳、中谷貝塚遺跡 縄蓆文土器出土を確認、天日槍伝説の重要資料

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