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仙台市 十八夜観世音堂「菩薩立像」・奈良時代制作か

2008年09月10日 | Weblog
 仙台市太白区長町1丁目の十八夜観世音堂の「菩薩立像」が、8世紀後期ごろの奈良時代に造られた仏像の可能性が高いことが9日、東北大と市博物館の調査で分かった。大和朝廷があった近畿で発祥した針葉樹の一木造りで、東北に現存する最古の木彫り像とみられる。
・・・と、河北新報社が10日報じている。
 「菩薩立像」と記されているが、慈覚大師の作とされている勢至観音像のことか。
慈覚大師(794~864)が一本の木から造ったとされる3体の観音像が仙台市の3寺にあり、根元(本木)の像が日辺(にっぺ)の両全院に、中木の像が四郎丸地区の落合観音堂に、末木の像が長町の常蔵院にあるといわれている。

さらに、記事に戻ると、
 観世音堂の半径2kmには、東北最古の役所「郡山官衙」や官衙に付属する「郡山廃寺」「陸奥国分寺」といった遺跡群がある。菩薩立像が仙台で造られたかどうかは不明だが、東北の古代史を解明する上で貴重な調査結果といえそうだ。
 東北大大学院文学研究科の長岡龍作教授(東洋日本美術史)と市博物館の学芸員らが共同で調査し、東日本の仏像の分布を調べる過程で菩薩立像に注目した。
 菩薩立像は高さ138.5cm。1本の針葉樹から彫りだした一木造りで、細身で腰が高い位置にあるといった特徴が分かった。
 一木造りや細身の造形は、奈良時代の近畿地方で760―770年ごろに造られ始めた仏像に特有の特徴とされ、長岡教授らが「8世紀後期ごろの制作」と推測する根拠になった。
 菩薩立像は言い伝えなどから、慈覚大師円仁が835年ごろに造ったとされてきた。しかし、詳細な年代調査はされておらず、文化財にも指定されていない。今回の調査で、造られた年代は50年程度、さかのぼる可能性が高くなった。
 奈良時代の一木造りの仏像は千葉、栃木などに残っているが、東北では確認されていなかった。福島県湯川村の勝常寺にある国宝「木造薬師如来坐像」「日光菩薩立像」「月光菩薩立像」は9世紀初めの平安時代初期の作で、広葉樹のケヤキを使っている。
 長岡教授は「長い間地域に守られ、伝えられてきたことは奇跡。陸奥国府などがある地域だが、当時の仏像が見つからない空白域だった。古代史を考える重要なきっかけになる」と強調する。
 菩薩立像は、11月14日に仙台市博物館で始まる展覧会に出品予定で、市博物館が収蔵している。
[参考:河北新報]

(備考)
名取三観音
 慈覚大師(794~864)が承和二年(835)一本の木から造ったとされる三体の観音像を祀る観音堂を指す。
 根元(本木)の像が日辺の両全院に、仲木の像が落合観音堂に、末木の像が長町の常蔵院にある。

両全院観音堂 (往古・天台宗 本木(もとき)山観音寺 仙台三十三観音の第26番札所)
 荒廃して後に修験寺の両全院として再興されたが,これも明治初期に廃寺となり,観音堂だけが残った。
 根本(本木)を使用した観音像を祀っていたが、明治15年(1882)の火災で全て焼失し、現在のお堂や本尊は明治末に再建されたものである。

落合観音堂 (真言宗 無畏山落合寺 仙台三十三観音の第31番札所)
 中木使用の十一面観世音菩薩像を祀る。
 はじめ袋原下谷地の河原にあったが,寛永4年(1627)伊達政宗が落合に移し,別当を修験の大善院とした。昭和25年(1950)から光西寺が管理している。昭和26年(1951)堤防工事のため旧地やや南方の現在地に移転した。

十八夜観世音堂 (天台宗 成就院常蔵院観音堂 仙台三十三観音の第32番札所)
 末木使用の勢至観音立像(1m程)を祀る。
[境内案内板より]
常蔵院観音堂(十八夜観世音堂)は天台寺門派に属し康平二年(1059)に千達御師による開基とされる。古くは大年寺山麓根岸の南面の地にあった。元禄十年(1697)大年寺に伊達家霊廟が整備されるに及んでこの寺は長町一丁目のこの地に移った。三間四方(5.4×5.4m)の堂内には1m程の勢至観音立像が祀られ承和二年(835)慈覚大師の作と伝えられている。地元からは「十八夜観音として尊崇されており、旧暦の十八日の夜に月待ちの講が開かれ信仰の対象とされた。毎年5月3日には地域町内会と商店街によって祭典が催され、子供御輿が繰り出され賑わいを見せている。  (平成11年4月吉日)

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