大淀町教委は、斉明天皇の孫、建王(たけるおう)の殯塚(もがりづか)と伝えられる保久良(ほくら)古墳(奈良県吉野郡大淀町)を初めて発掘調査し、飛鳥時代築造の直径15mの円墳と判明した。
古墳は盗掘を受けて墳丘に穴が開き、内部に横穴式石室があることは以前から知られていた。石室全長は9.5m、高さ1.8mであった。 石室床面の堆積土からは琥珀玉も出土した。
町教委は昨年6~7月、石室の床面の一部を調査し、琥珀玉や石棺の破片、鉄製の釘などが出土している。 琥珀玉は装身具の可能性があるという。
日本書紀によると、建王は斉明4(658)年5月に8歳で死亡し、「今城谷の上に殯塚を設けた」と記されている。 江戸時代の史料「大和志」(享保21年、1736)も「建王殯冢 今法具良冢トイフ」としている。
古墳のある今木地区は飛鳥時代、古代豪族・巨勢氏の勢力エリアで、都があった飛鳥と吉野を結ぶ交通の要衝にあたる。
同じ年の1月13日に、左大臣巨勢徳太臣が亡くなっている。
斉明天皇は建王を寵愛し、日本書紀には、その死を悼む歌も残されている。
伊磨紀那屡, 乎武例我禹杯爾, 倶謨娜尼母, 旨屡倶之多多婆, 那爾柯那皚柯武
いまき(今城)なる おむれ(小丘)がうへ(上)に くも(雲)だにも しる(著)くした(立)たば なに(何)かなげ(歎)かむ
橿原考古学研究所付属博物館(橿原市)で始まっている、「大和を掘る31-2012年度発掘調査速報展-」(2013年7月13日~9月1日)で出土した琥珀が展示されている。
[参考:産経新聞、「日本書紀」(岩波書店、1995)、橿原考古学研究所付属博物館HP]
古墳は盗掘を受けて墳丘に穴が開き、内部に横穴式石室があることは以前から知られていた。石室全長は9.5m、高さ1.8mであった。 石室床面の堆積土からは琥珀玉も出土した。
町教委は昨年6~7月、石室の床面の一部を調査し、琥珀玉や石棺の破片、鉄製の釘などが出土している。 琥珀玉は装身具の可能性があるという。
日本書紀によると、建王は斉明4(658)年5月に8歳で死亡し、「今城谷の上に殯塚を設けた」と記されている。 江戸時代の史料「大和志」(享保21年、1736)も「建王殯冢 今法具良冢トイフ」としている。
古墳のある今木地区は飛鳥時代、古代豪族・巨勢氏の勢力エリアで、都があった飛鳥と吉野を結ぶ交通の要衝にあたる。
同じ年の1月13日に、左大臣巨勢徳太臣が亡くなっている。
斉明天皇は建王を寵愛し、日本書紀には、その死を悼む歌も残されている。
伊磨紀那屡, 乎武例我禹杯爾, 倶謨娜尼母, 旨屡倶之多多婆, 那爾柯那皚柯武
いまき(今城)なる おむれ(小丘)がうへ(上)に くも(雲)だにも しる(著)くした(立)たば なに(何)かなげ(歎)かむ
橿原考古学研究所付属博物館(橿原市)で始まっている、「大和を掘る31-2012年度発掘調査速報展-」(2013年7月13日~9月1日)で出土した琥珀が展示されている。
[参考:産経新聞、「日本書紀」(岩波書店、1995)、橿原考古学研究所付属博物館HP]
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