天理市教委が24日、前方後方墳としては国内最古級ともいわれる天理市佐保庄町のノムギ古墳(全長63m、3世紀後半)の調査で、後方部の南西端から北約12mの地点で、前方部に伸びるくびれ部分を確認したと発表した。
ノムギ古墳は、東西方向に主軸があり、前方部が東側、後方部が西側にある。 くびれ部は、後方部の南西角から内側(北)約12mで西に直角に曲がっており、前方部の裾部も約1m分見つかった。くびれ部分の周辺では、直径約30cmの葺石の遺構や、古墳時代初期とみられる土器片が数十点出土した。
後方部は一辺37・5mの正方形となり、古墳時代初期の前方後方墳の特徴的なくびれ部が細い形状の古墳と判明した。
現地説明会が、27日(土)午後1時半から開かれる。
[参考:産経新聞、読売新聞、奈良新聞、毎日新聞、奈良県立橿原考古学研究所HP]
過去の関連ニュース・情報
ノムギ古墳
H8年度の調査
それまでは、全長63m、後円部径40mを測る前方後円墳と考えられていたが、古墳の北側で実施された発掘調査で、ほぼ直角に曲がる周濠コーナーが検出され前方後方墳である可能性が高まった。また、円筒埴輪や鰭付円筒埴輪がまとまって出土したことから、築造時期は古墳時代前期後半(4世紀半ば)であるとされた。
H15.9
古墳の周濠の南東コーナーと墳丘の南東コーナーが検出され、前方後方墳であることが確定した。
当初の周濠埋土からまとまって出土している土器は、おおむね布留0式のものに限定され、築造は古墳時代前期前半ということになるが、平成8年調査では、古墳時代前期後半の円筒埴輪が出土しているなど築造時期の決定にはいたっていない。
H22.3
後方部裾の周濠から、花崗岩の礫が多数、見つかった。墳丘裾の葺石が転落したとみられる。これまで葺石は確認されていなかったが、築造時の墳丘には存在した可能性が高まった。
H23.3
後方部の南側調査で、ほぼ直角に曲がる南西角を発見。南西角では葺石が見つかった。天理市教委は過去の調査と合わせ、後方部の一辺が40mと確定。
H22.9
奈良県立考古学研究所の発掘調査で、邪馬台国があったとされる3世紀後半に築造された可能性が高まったと発表。
ノムギ古墳は、東西方向に主軸があり、前方部が東側、後方部が西側にある。 くびれ部は、後方部の南西角から内側(北)約12mで西に直角に曲がっており、前方部の裾部も約1m分見つかった。くびれ部分の周辺では、直径約30cmの葺石の遺構や、古墳時代初期とみられる土器片が数十点出土した。
後方部は一辺37・5mの正方形となり、古墳時代初期の前方後方墳の特徴的なくびれ部が細い形状の古墳と判明した。
現地説明会が、27日(土)午後1時半から開かれる。
[参考:産経新聞、読売新聞、奈良新聞、毎日新聞、奈良県立橿原考古学研究所HP]
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H8年度の調査
それまでは、全長63m、後円部径40mを測る前方後円墳と考えられていたが、古墳の北側で実施された発掘調査で、ほぼ直角に曲がる周濠コーナーが検出され前方後方墳である可能性が高まった。また、円筒埴輪や鰭付円筒埴輪がまとまって出土したことから、築造時期は古墳時代前期後半(4世紀半ば)であるとされた。
H15.9
古墳の周濠の南東コーナーと墳丘の南東コーナーが検出され、前方後方墳であることが確定した。
当初の周濠埋土からまとまって出土している土器は、おおむね布留0式のものに限定され、築造は古墳時代前期前半ということになるが、平成8年調査では、古墳時代前期後半の円筒埴輪が出土しているなど築造時期の決定にはいたっていない。
H22.3
後方部裾の周濠から、花崗岩の礫が多数、見つかった。墳丘裾の葺石が転落したとみられる。これまで葺石は確認されていなかったが、築造時の墳丘には存在した可能性が高まった。
H23.3
後方部の南側調査で、ほぼ直角に曲がる南西角を発見。南西角では葺石が見つかった。天理市教委は過去の調査と合わせ、後方部の一辺が40mと確定。
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奈良県立考古学研究所の発掘調査で、邪馬台国があったとされる3世紀後半に築造された可能性が高まったと発表。
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