県埋蔵文化財センターは6日、仁淀川河口に近い上ノ村(かみのむら)遺跡(同市新居)から弥生時代中期末(1世紀初め)の鉄製品や鉄片などが大量に出土したと発表した。
砥石も見つかったことから鉄製品の加工拠点だった可能性が高く、県内では2~3世紀と考えられていた鉄製品の生産・加工の歴史が200年近くさかのぼる可能性が出てきた。
出土したのは、弥生時代中期末の円形の竪穴遺構(直径約10m)からで、鉄製品約170点。小さい物で約1cm四方、大きな物では縦約6cm、横約1・5cmで、用途が具体的に分からない鉄片などが多いという。遺構の周辺も合わせると計約250点の鉄製品が見つかっている。
県内の同時期の遺跡では鉄製品は数点見つかる程度で、矢尻など用途が判明している物がほとんど。また住居で大量の鉄製品を使用することは考えにくいことから、鉄製品の加工場所として使用されていた可能性が高いという。
弥生時代中期末の鉄製品は、県内では南国市や香南市で数点見つかっているのみ。対岸にあたる高知市春野町の西分増井遺跡で見つかった弥生時代後期の鉄器生産地より100~200年さかのぼる。
九州北部などを除いてこの時期の鉄製品が見つかることは稀れで、同センターは「この辺りが九州から鉄を輸入する交易拠点の一つだったのだろう。鉄製品の生産が広がっていく始まりを解き明かす資料」としている。
九州北部では縄文時代末~弥生時代初頭(2800~3000年前)に鉄製品が使われ始め、弥生時代後期(1~3世紀)に全国に広がったと考えられている。
現地説明会は8日午後1時半から。仁淀川沿いを護岸した江戸時代前期の大規模な石積みとともに説明する。
[参考:高知新聞、読売新聞、朝日新聞、毎日新聞]
砥石も見つかったことから鉄製品の加工拠点だった可能性が高く、県内では2~3世紀と考えられていた鉄製品の生産・加工の歴史が200年近くさかのぼる可能性が出てきた。
出土したのは、弥生時代中期末の円形の竪穴遺構(直径約10m)からで、鉄製品約170点。小さい物で約1cm四方、大きな物では縦約6cm、横約1・5cmで、用途が具体的に分からない鉄片などが多いという。遺構の周辺も合わせると計約250点の鉄製品が見つかっている。
県内の同時期の遺跡では鉄製品は数点見つかる程度で、矢尻など用途が判明している物がほとんど。また住居で大量の鉄製品を使用することは考えにくいことから、鉄製品の加工場所として使用されていた可能性が高いという。
弥生時代中期末の鉄製品は、県内では南国市や香南市で数点見つかっているのみ。対岸にあたる高知市春野町の西分増井遺跡で見つかった弥生時代後期の鉄器生産地より100~200年さかのぼる。
九州北部などを除いてこの時期の鉄製品が見つかることは稀れで、同センターは「この辺りが九州から鉄を輸入する交易拠点の一つだったのだろう。鉄製品の生産が広がっていく始まりを解き明かす資料」としている。
九州北部では縄文時代末~弥生時代初頭(2800~3000年前)に鉄製品が使われ始め、弥生時代後期(1~3世紀)に全国に広がったと考えられている。
現地説明会は8日午後1時半から。仁淀川沿いを護岸した江戸時代前期の大規模な石積みとともに説明する。
[参考:高知新聞、読売新聞、朝日新聞、毎日新聞]