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京都市上京区・薩摩藩邸跡 同志社大今出川キャンパス地にあった薩摩藩邸絵図を確認

2010年11月26日 | Weblog
写真は、同志社大学今出川キャンパス西門脇にある石碑(2010.11.25撮影)

 同志社社史資料センターの調査で、幕末に錦小路(京都市中京区)にあった薩摩藩邸と考えられていた絵図(縦130cm、幅160cm、鹿児島県歴史資料センター黎明館蔵)が、同志社大今出川校地(上京区)にあった薩摩藩邸だったことが25日までに分かった
 薩摩藩邸は錦小路、伏見などにもあったが、今年春に同センターが調査で、「烏丸通」や、当時存在した「石橋通」(現在の今出川校地内)などの文字があり、薩摩藩が文久3年(1863)に相国寺境内に建てた「薩摩藩二本松屋敷」と判明した。
 6900坪の敷地内には部屋が200以上あり、薩長同盟の舞台となった藩邸の建物配置などがよく分かる貴重な史料」としている。
 26日から来月22日まで今出川校地ハリス理化学館2階で公開する(土日休館)
[参考:京都新聞]

備考
 同志社大今出川キャンパス(京都市上京区)内にある相国寺旧境内の遺跡から、室町幕府の3代将軍、足利義満(1358~1408)が建立した塔頭「鹿苑院(ろくおんいん)」とみられる遺構が見つかったと報道された翌日、ちょうど京都旅行で同キャンパスを訪れた。発掘現場は、これまでここにあった同志社中学が左京区岩倉大鷺町へ移転した跡の校舎撤去作業(現在は殆ど整地状態)と重なって、重機、ベルトコンベアなどが並び、そして作業員がたくさんいて場所の特定が難しいが、どうやら写真の作業現場の右側(東側)らしい。
 この場所は、7~8世紀には出雲郷と呼ばれていたそうで、相国寺境内および今出川キャンパスからもこの時期の竪穴住居や須恵器などの遺物が出土している。したがって、いろいろの時代の遺構が重なっている場所と推定される。

龍馬が薩長同盟を説いた…薩摩藩邸の絵図確認(読売新聞) - goo ニュース

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