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京都市上京区・相国寺旧境内 足利義満建立の鹿苑院の遺構が見つかる

2010年11月25日 | Weblog
写真は2010.11.25撮影。作業現場の右側(東側)が発掘現場らしい。
 
 同志社大学が24日、同大今出川キャンパス(京都市上京区)内にある相国寺旧境内の遺跡から、室町幕府の3代将軍、足利義満(1358-1408)が建立した塔頭「鹿苑院(ろくおんいん)」とみられる遺構が見つかったと発表した。
 同大の発掘調査で、建物の柱の礎石を支える「根固め石」を約4・5m間隔で6カ所確認。いずれも直径約1mの円柱形に石が多数埋められており、鹿苑院の仏堂跡とみられる。根固め石の周辺では、足利家の家紋「桐紋」が入った瓦(直径約18cm)十数点や、器の底に鹿苑院を示すとみられる「鹿」と墨書きされた瀬戸焼(直径約17cm)も見つかった。その形から14世紀末ごろの製作とみられ、鹿苑院の創建時期とも一致する。
 鹿苑院は義満の墓所とされ、江戸時代の古地図に記されるなど多数の文献で存在が確認されているが、実際に遺構が見つかったのは初めて。
 足利義満は永徳2(1382)年に相国寺を創建し翌年、境内に鹿苑院を建立した。義満の禅の修行場に使われ、当時の有力な禅寺「京都五山」(天龍寺、相国寺、建仁寺、東福寺、万寿寺)を統括する役割も担ったとされる。ともに応仁の乱などの戦乱で焼け落ちたため、鹿苑院の正確な位置は不明だった。
 鹿苑院には義満の墓もあったと文献にあり、今後の調査で墓石の発見も期待できるとしている。
 現地説明会は27日(土)午後1時から開かれる。
[参考:共同通信、産経新聞、朝日新聞]

備考
永徳2年(1382) 相国寺を創建。開山は夢想礎石(1275-1351)。実質は礎石の甥に当たる2世・春屋妙葩(1311-1388)か。
永徳3年(1383) 相国寺塔頭として鹿苑院を建立。
応永元年(1394) 足利義満隠居。翌年、出家し、道義と号した。
応永4年(1397) 舎利殿(金閣)を中心とする「北山第(きたやまてい)」(または「北山殿(きたやまどの)」、後の鹿苑寺)を造営。開山は相国寺と同様に夢窓疎石としている。開基は足利義満。
応永15年(1408) 足利義満死去。戒名・鹿苑院天山道義。義満の遺骨は、相国寺鹿苑院に葬られた。義満の死後、義持が北山第に入ったが、翌年には一部を破却して三条坊門第に移った。その後義満の妻である北山院日野康子の御所となった。
応永19年(1412) 北山院日野康子が死亡し、舎利殿以外は解体された。舎利殿は義満の遺言により北山・鹿苑寺(通称・金閣寺)と名付けられた。

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