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桜川市・真壁城跡 門の礎石が見つかる

2008年12月03日 | Weblog
 桜川市教育委員会は2日、同市真壁町古城の国指定史跡「真壁城跡」の本年度発掘調査で、門の礎石の可能性がある石2基を発見したと発表した。同城跡で礎石が発見されたのは初めて。
 礎石と見られる石は、本丸や二の丸の外側にある中城の北虎口付近の戦国時代後期(16世紀後半)の地層で見つかり、2基とも花崗岩で、高さ約30cmと約20cmである。門柱が置かれたとみられる平らな面があり、周囲には二の丸や城外へ続く道路跡も確認された。
 今回の調査ではほかに、塀跡とみられる複数の穴など虎口を形成する遺構群を確認した。防火用とみられる直径約1.5mの井戸も発掘された。
 現地説明会が6日午前10時30分と午後1時30分の2回開かれる。問合せは、市教委文化生涯学習課
[参考:東京新聞]

真壁城跡 (真壁郡真壁町古城)
 中世、真壁・大和周辺を治めた真壁氏の城跡。東西約700m、南北約600m。
 足尾山西麓台地の裾の微高地を利用し造られた平城で、戦国時代に造成されたと思われる四重の堀や土塁が残っている。
 本丸北側には、幅平均20m、深さ1~2m、最も深いところで7mに達する堀が巡らされている。その外縁に二の堀が廻らされている。さらにその東の外縁部には三の堀がある。本丸の東側に二の丸、三の丸が設けられている。平成6年に国の史跡に指定された。
 承安2年(1172)、真壁長幹が築造したといわれる。
 真壁氏は、平国香の6代子孫・常陸大掾多気直幹の四男長幹(1159-1223)が分家してこの地に土着して真壁氏を名乗るようになってから始まる。
 関ヶ原の合戦後、19代房幹(1569-1612)は主家佐竹氏の秋田移封に随伴して、蘆名氏が入った羽後角館(秋田県角館町)へ移住した。

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