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大分県杵築市・五田遺跡・五田天神古墳 弥生時代の内行花文鏡が出土

2011年07月01日 | Weblog
 杵築市教委は、杵築市鴨川の「五田遺跡・五田天神古墳」(五田:ごた)の発掘調査で、2世紀後半から3世紀前半の青銅鏡や鉄製の鋤先などが見つかったと発表した。弥生時代から、周辺に有力な集落があった証拠とみている。
 出土した地域は、「木付村」の周辺と考えられる場所で、13世紀から16世紀にかけて、豪族・木付氏の本拠地として栄えた場所で、木付氏の居城であった竹ノ尾城跡(注1)に隣接している。
 青銅鏡は水田から見つかった。直径約7・7cmの「内行花文鏡」で、完全な形で見つかった。 後漢の鏡の一つだが、作りが精巧でないため弥生時代2世紀後半~3世紀初めに北部九州で製造された仿製鏡であるとみられる。 同様の鏡は、雄城台遺跡(大分市)、松木遺跡(豊後大野市)でも出土しているが、完全な形での出土は県内でほとんど例がないという。
 鋤先は稲作に使われた可能性が高いという。
 ほかに、地区の集会場でもある天神宮の周辺の田を調査していたところ、周溝の痕跡と埴輪が見つかったため、古墳と断定した。周溝を含めた大きさは直径45m前後の円墳とみられる。
[参考:2011.6.25大分合同新聞、2011.7.1読売新聞]

(注1) 竹ノ尾城: 高山川の淵に臨む丘の頂にあった城。
 建久七年(1196)に大友家初代能直が豊前豊後の守護職となる。 
 建長2年(1250)に大友家2代親秀(1195-1248)の6男・親重が八坂郷木付荘に入部し、姓を「木付」と改め、竹ノ尾の高台に竹ノ尾城を築いた。 頼重、能重、貞重、頼直と4代にわたって居城したが、応永元年(1394)、4代木付頼直の時に、八坂川の河口にある台山に木付城を築き移った。
 杵築とは、第六代将軍徳川家宣下賜の朱印状に「豊後国杵築領...」とあり、木付を杵築と書かれたことに由来するようである。

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