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平城宮跡 天平神護元年(765)木簡にペルシャ人役人? 「破斯清道(通を改める)」の名前

2016年10月06日 | Weblog
 奈良文化財研究所の調査で5日、平城宮跡で出土した「天平神護元年」(765)と記された木簡に、ペルシャ人の役人とみられる「破斯清通」という名前があったことが分かった。
「破斯=波斯」はペルシャを意味するとみられ、国内の出土品でペルシャ人を示す文字が確認されたのは初めて。
 木簡は1966年、平城宮跡東南隅の発掘で出土したが、当時は文字が薄いため全読できなかったが、今年、赤外線撮影したところ、「破斯」の文字を判読できたという。
 木簡は、役人を養成する「大学寮」での宿直勤務に関する記録で、「大学寮解 申宿直官人事 員外大属 破斯清通 天平神護元年」と書かれていた。「解 申宿直官人事」は、下級官司から上級官司への大学寮の宿直担当者に関する報告、「員外」は、令の規定する定員以外の官人。「大属」は大学寮の四等官制の最下級にあたる「属(さかん)」のうち、上位の者を意味する。
 続日本紀には、
■天平八年(736)八月廿三日。入唐副使從五位上中臣朝臣名代等。率唐人三人波斯人一人拜朝。
■天平八年(736)十一月三日。天皇臨朝。詔授(略)唐人皇甫東朝。波斯人李密翳等授位有差。
と記されており、遣唐使が連れ帰った唐の人三人、波斯一人が拝朝した(聖武天皇に会った)その後、この波斯人李密翳に位を授けたと解釈される。

 木簡は同研究所平城宮跡資料館(奈良市)で開かれる「地下の正倉院展」(月曜休館)で11月1~13日まで展示される。
[参考:共同通信、産経新聞、京都新聞、読売新聞、奈良新聞]

2016.10.13 追記
「破斯清通」と書かれた木簡は、解読を進めた結果、「破斯清道」に改められた。
また、同木簡出土場所から約70m北東で、同時期の外国人をとみられる顔を描いた木簡が見つかった。表に2つ、裏に一つ描かれ、いずれも伎楽で使われたペルシャ人の面に似ているという。
[参考:読売新聞]


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