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佐野市・唐沢山城跡 麓の隼人屋敷跡から新たに石垣が出土

2009年02月20日 | Weblog
 唐沢山城跡(同市栃本町)の国史跡指定に向けた遺構調査を進めている市教委は19日、麓の根小屋地区でみつかった「隼人屋敷跡」から新たに発掘された高さ2m、長さ約11.4m、長さ30~40cmの桂岩が綿密に積まれている石垣を公開した。市内を流れる秋山川を越えて攻め込む敵を食い止める機能を果たしたとみられる。
 本丸跡付近の高石垣よりも古く、16世紀後半のものとみられる。戦国時代に軍事上の要衝として重要視された同城の構えが、年代を追って広範囲にわたって築かれたことが分かる貴重な発見となった。
 石垣が発掘された地点は、山頂の本丸から直線で西側700mの麓で田沼高東側に位置する、城主や家来が平時に生活する拠点であるかつて根小屋地区。
 これまで周辺では、土塁や堀跡など大規模な遺構が手つかずで残っているのが確認されている。今回の調査範囲は570㎡、昨年6月から調査を開始した。
 市教委は麓までしっかり築かれていたことが分かる貴重な発見とし、石積みの手法も本丸跡付近で見られる西日本の系でなく、関東の北条系の可能性が大きいとする。調査は2012年まで進められる。また、佐野氏が大規模な石垣を造ったのは、「越後の上杉氏と小田原の北条氏が勢力を争った当時、この城が要衝の地として重要視されたためではないか」と話す。
 唐沢山城は942年、藤原秀郷(別称・俵藤太)が築城したと伝えられるが、現在は出土遺物などから15世紀末の佐野盛綱(1467~1527)による築城との説が有力。以降、時の城主により度々改築が行われた。標高242mの唐沢山の頂上に本丸とみられる8m超の高石垣が残っており、関東七名城の一つに数えられる。戦国時代、上杉謙信の城攻めを幾度となく退けたことでも知られる。
 28日午前10時、同11時の2回、一般向けの現場説明会が田沼高校東側の発掘現場で開かれる。
[参考:下野新聞、毎日新聞、東京新聞]
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