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熊本県芦北町・花岡木崎遺跡 「駅家」の存在を示唆する木簡2点が出土

2009年02月20日 | Weblog
 県教育委員会は19日、花岡木崎遺跡(葦北郡芦北町花岡)で、古代道路に設けられた「駅家(うまや)」の具体的な名前が記された8世紀末から9世紀初めのものとみられる木簡2点が出土したと発表した。「延喜式」に記された駅家の存在を証明する貴重な史料となりそう。
 木簡は、南九州西回り自動車道芦北インターチェンジ(IC)の建設に伴う調査で、07年12月5日にIC予定地の井戸跡の底から見つかり、奈良文化財研究所などで文字の判読や保存処理などを行っていた。
 木簡は、縦18cm、幅3・5cmと縦15cm、幅4cm。「於」「佐色(さしき)」、「発向路次駅」との文字が墨で書かれていた。元は一つの木簡で「佐色へ向かって出発せよ」との意味で、何かの連絡に用いられたとみられている。
 駅家は、馬や宿を提供する施設で、延喜式には全国に402か所あったと記されている。
 花岡地区は、太宰府を中心に九州一円に広がる官道「西海道」沿いにあり、延喜式にある肥後国「佐色(佐敷)」駅という駅家があったとされる。
 以前から、佐敷は薩摩街道と人吉往還と不知火海に面する海上路の合流点であり、古くから陸海の交通の要所であったと言われてきた。
 全国で駅家の存在が確認されているのは兵庫県内の「布施駅」「野磨駅」2か所のみ。駅屋と断定するためには塀や門などを確認することが必要。このため、県教委は来年4月に現地調査を再開し「駅家であることを確認したい」としている。
 ほかに「駅」と書かれた土器が、熊本大構内の黒髪町遺跡(熊本市)からも出土している。駅家の一つ「蚕養(こかい)駅」の跡とみられているという。また、県内で古代の木簡が見つかったのは鞠智城跡に続き2例目という。 
 県教委は22日午後1時から、熊本市手取本町の県民交流館パレアで開かれる発掘調査速報会で出土した木簡2点を一般公開する。
[参考:読売新聞、西日本新聞、共同通信、朝日新聞、熊本県HP]
全国3例目 駅家跡か 「駅」「佐色」と記した木簡2点出土 芦北町の花岡木崎遺跡 古代交通の要衝?(西日本新聞) - goo ニュース

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