歴歩

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明日香村・檜隈寺跡周辺遺跡 平安後期の巨大柱根、幢竿支柱跡?

2012年04月05日 | Weblog
 国営飛鳥歴史公園キトラ古墳周辺地区の整備に伴う奈良文化財研究所の発掘調査により、明日香村檜前(ひのくま)の檜隈寺跡周辺遺跡で、平安時代後期(10~11世紀)の直径約0・7mの巨大な柱根2つが並んで出土した。 太さは奈良市の唐招提寺金堂の列柱並み。檜隈寺(7世紀後半)を氏寺にしたとされる渡来系氏族・東漢(やまとのあや)氏の子孫が儀式で立てた「幢竿(どうかん)支柱」跡の可能性が高いという。
 同寺の金堂跡から南東70mで、1辺1・5~1・8m四方、深さ1.2mの柱穴2基が2m間隔で出土。内部に高さ約0.7mの柱根が残っていた。
 方位や位置などから創建時ではなく、寺の塔跡に10~11世紀に建てられた十三重石塔(重要文化財)に関連する柱とみている。
 「日本書紀」には620年、各氏族が柱を立てるのを競う儀式で東漢氏の一族がひときわ太く高い柱を立てたため、「大柱直(おおはしらのあたい)」と呼ばれたと記されている。(注1)
 調査現場は埋め戻されており、現地説明会はない。
[参考:2012.3.30 読売新聞、2012.4.4産経新聞]

(注1)日本書紀・推古天皇二八年(620)
 冬十月。以砂礫葺桧隈陵上。則域外積土成山。仍毎氏科之。建大柱於土山上。時倭漢坂上直樹柱謄之太高。故時人號之曰大柱直也。

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