和歌山県文化財センターは19日、貴志川町北山の「北山廃寺・北山三嶋遺跡」で鎌倉、室町期の寺院の瓦生産の跡が見つかったと発表した。
北山廃寺は白鳳時代に建てられた古代寺院として有名で、これまでにも何度か発掘調査がされてきたが、今回の調査は2年次にわたって予定されており、本年度は、推定されている主要伽藍の外側を対象にしている。
現在のところ2基の瓦窯が見つかっている。
そのうち、東側の窯は、ほぼ完全な形で見つかり、方形(縦1m、横1・3m、深さ50cm)の土製で、内部に火の回りを良くする2本のロストル(分焔柱)を持つ平窯であることが確認された。一度に2、300枚の瓦を焼くことが出来たと推測され、中から見つかった瓦の模様などから、14世紀頃に使用されたとみられる。
もう1基の窯は、大半が調査区外であったため詳細は不明だが、瓦片と土で天井部分を作っており、中世の可能性が高いものとしている。
窯の近くには、瓦の材料に適した粘土質の土が分布し、採掘坑とみられる直径1~3mの穴が100カ所以上発見された。さらに、窯の東側には、工房として使用されたらしい掘立柱建物2棟の跡もあった。これらが密集して見つかっていることから、材料集めから完成までを一貫して行える生産場所だったことがうかがえる。
瓦窯を覆う土の周囲からは軒平瓦の破片(長さ約5cm、幅約30cm、厚さ約2cm)が見つかり、当時流行していた「均整唐草文」の装飾が施されていたことなどから鎌倉時代の遺物であることが裏付けられたという。また、調査区域(約7450平方m)では奈良時代のものと思われる焼き損じの平瓦も出土し、粘土の採掘坑なども周囲で発見されていたことから、古代寺院に関する遺構や当時の瓦作りの様子を知る貴重な発見という。
瓦窯の面した谷は、住民から『かわらだに』と呼ばれており、地名が瓦窯の存在を裏付ける。
この地区が古代から続く産地だった可能性もあるとみて、同遺跡で生産された瓦が、どこで使われたのか調べていくという。
現地説明会は21日午後1時半から行われる。問合せは同遺跡調査事務所。
[参考:産経新聞、読売新聞、和歌山放送、朝日新聞、和歌山県文化財センター]
北山廃寺は白鳳時代に建てられた古代寺院として有名で、これまでにも何度か発掘調査がされてきたが、今回の調査は2年次にわたって予定されており、本年度は、推定されている主要伽藍の外側を対象にしている。
現在のところ2基の瓦窯が見つかっている。
そのうち、東側の窯は、ほぼ完全な形で見つかり、方形(縦1m、横1・3m、深さ50cm)の土製で、内部に火の回りを良くする2本のロストル(分焔柱)を持つ平窯であることが確認された。一度に2、300枚の瓦を焼くことが出来たと推測され、中から見つかった瓦の模様などから、14世紀頃に使用されたとみられる。
もう1基の窯は、大半が調査区外であったため詳細は不明だが、瓦片と土で天井部分を作っており、中世の可能性が高いものとしている。
窯の近くには、瓦の材料に適した粘土質の土が分布し、採掘坑とみられる直径1~3mの穴が100カ所以上発見された。さらに、窯の東側には、工房として使用されたらしい掘立柱建物2棟の跡もあった。これらが密集して見つかっていることから、材料集めから完成までを一貫して行える生産場所だったことがうかがえる。
瓦窯を覆う土の周囲からは軒平瓦の破片(長さ約5cm、幅約30cm、厚さ約2cm)が見つかり、当時流行していた「均整唐草文」の装飾が施されていたことなどから鎌倉時代の遺物であることが裏付けられたという。また、調査区域(約7450平方m)では奈良時代のものと思われる焼き損じの平瓦も出土し、粘土の採掘坑なども周囲で発見されていたことから、古代寺院に関する遺構や当時の瓦作りの様子を知る貴重な発見という。
瓦窯の面した谷は、住民から『かわらだに』と呼ばれており、地名が瓦窯の存在を裏付ける。
この地区が古代から続く産地だった可能性もあるとみて、同遺跡で生産された瓦が、どこで使われたのか調べていくという。
現地説明会は21日午後1時半から行われる。問合せは同遺跡調査事務所。
[参考:産経新聞、読売新聞、和歌山放送、朝日新聞、和歌山県文化財センター]
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