京都府埋蔵文化財調査研究センターは28日、南丹市八木町室橋の集落遺跡「新庄遺跡」で、一般の住居と異なり特殊な用途と考えられる鎌倉時代の祭祀用の可能性がある建物や古墳時代の住居跡などを新たに確認したことを発表した。
鎌倉時代の掘っ立て柱建物跡はほぼ南向きで、二間四方(東西4・3m、南北5m)の高床式。柱の直径が40-50cm。周囲を柵のようなもので囲んであったとみられる。中央の柱跡の穴からは、柱の下に敷いたと思われる中国製青磁碗2個と土師器の皿3枚の破片が見つかった。地鎮の目的で埋めたとみられる。寺院跡でも柱の下に皿を置いたものが確認されているため、「祭事に使われた建物の可能性があると考えられる」という。
近くには奈良時代とみられる3m四方の半地下式掘っ立て柱建物跡も見つかっているが、柱の穴が浅く住居には不向きで、中にはかまどの跡もあるため、物作りの作業場とも考えられるという。
また、古墳時代中期(5世紀前半)の4・7m四方の竪穴式住居跡も見つかり、土師器の高杯や小形の壺が確認された。中央には焼土があり、調理場とみられる。
このほか時代不明の灌漑用水路とみられる幅約3mの溝跡も見つかった。
現地説明会は30日午前10時半から。
[参考:8/29京都新聞、毎日新聞]
鎌倉時代の掘っ立て柱建物跡はほぼ南向きで、二間四方(東西4・3m、南北5m)の高床式。柱の直径が40-50cm。周囲を柵のようなもので囲んであったとみられる。中央の柱跡の穴からは、柱の下に敷いたと思われる中国製青磁碗2個と土師器の皿3枚の破片が見つかった。地鎮の目的で埋めたとみられる。寺院跡でも柱の下に皿を置いたものが確認されているため、「祭事に使われた建物の可能性があると考えられる」という。
近くには奈良時代とみられる3m四方の半地下式掘っ立て柱建物跡も見つかっているが、柱の穴が浅く住居には不向きで、中にはかまどの跡もあるため、物作りの作業場とも考えられるという。
また、古墳時代中期(5世紀前半)の4・7m四方の竪穴式住居跡も見つかり、土師器の高杯や小形の壺が確認された。中央には焼土があり、調理場とみられる。
このほか時代不明の灌漑用水路とみられる幅約3mの溝跡も見つかった。
現地説明会は30日午前10時半から。
[参考:8/29京都新聞、毎日新聞]
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます