寝屋川市教育委員会が17日、同市の小路(しょうじ)遺跡で邪馬台国時代(2世紀後半~3世紀半ば)の集落跡が出土したと発表した。
北河内地域でこの時期の集落跡が確認されるのは初めてとしている。
約4000㎡を発掘し、柱穴や溝、井戸跡などを確認し、ごみ捨て穴などから、2世紀後半~3世紀半ばの土器片が数千点出土した。集落は南北300m、東西200mの範囲に広がると推測している。土器には、吉備(岡山県)や東海(愛知県)のものが各1点含まれていた。
同遺跡の南東500mには忍岡(しのぶがおか)古墳(全長87mの前方後円墳、4世紀初め)があり、集落と関連する可能性があるとして,北河内地域の古墳出現期について解明する手がかりになると評価している。また、同遺跡からは、弥生時代末期の前方後方形周溝墓(墳丘長22.7m、後方部長12.2m、幅10.2m、前方部長10.5m、前端幅7m)が見つかっている。(注1)
現地説明会は26日午後1~3時に開かれる。
[参考:読売新聞、(注1)「大阪平野における3世紀の首長墓と地域関係」(待兼山論叢史学篇、福永伸哉 2008.12.大阪大学)]
キーワード: 小路遺跡、忍岡古墳
北河内地域でこの時期の集落跡が確認されるのは初めてとしている。
約4000㎡を発掘し、柱穴や溝、井戸跡などを確認し、ごみ捨て穴などから、2世紀後半~3世紀半ばの土器片が数千点出土した。集落は南北300m、東西200mの範囲に広がると推測している。土器には、吉備(岡山県)や東海(愛知県)のものが各1点含まれていた。
同遺跡の南東500mには忍岡(しのぶがおか)古墳(全長87mの前方後円墳、4世紀初め)があり、集落と関連する可能性があるとして,北河内地域の古墳出現期について解明する手がかりになると評価している。また、同遺跡からは、弥生時代末期の前方後方形周溝墓(墳丘長22.7m、後方部長12.2m、幅10.2m、前方部長10.5m、前端幅7m)が見つかっている。(注1)
現地説明会は26日午後1~3時に開かれる。
[参考:読売新聞、(注1)「大阪平野における3世紀の首長墓と地域関係」(待兼山論叢史学篇、福永伸哉 2008.12.大阪大学)]
キーワード: 小路遺跡、忍岡古墳