歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

明日香村・甘樫丘東麓遺跡 谷を埋め造成 7世紀半ばの掘立柱建物跡が見つかる

2013年09月06日 | Weblog
 奈良文化財研究所が5日、飛鳥時代の大豪族、蘇我蝦夷と入鹿親子の邸宅があったとされる奈良県明日香村の甘樫丘東麓遺跡(あまかしのおかとうろくいせき)で、これまでの調査地とは別の谷で小規模な谷を埋め立てて造成した跡と、7世紀半ば頃の掘立柱建物跡が見つかったと発表した。
 邸宅跡の中心部とみられる場所の北約100m地点で、邸宅跡の中心部とみられる場所と同様に、急斜面を最大5・5m以上埋め立て、東西20m以上、南北30m以上の平面に整地した大規模な造成工事がされていた。 平面には掘っ立て柱建物(東西4・5m、南北3・9m)の柱穴13個があった。 柱列ごとにまとめて穴を掘る「布掘り」式で、同遺跡での発見は初めて。 高床建物の可能性があるが、用途は不明。 この南側にも別の1棟が確認された。 規模は東西5・4m、南北3m 。 建物の性格は不明という。 飛鳥盆地を見下ろす丘は、7世紀に大規模開発され、丘全体が巨大な遺跡である可能性がより高まったとしている。
 出土した土器から、造成は7世紀中ごろとみられ、ごく短期間で遺構は廃絶したと考えられるという。
 甘樫丘は標高148m。飛鳥時代の宮殿跡や飛鳥寺などがある飛鳥盆地の西側に位置し、飛鳥盆地を一望できる。日本書紀によると、甘樫丘の谷に蘇我入鹿の邸宅が、丘の上に蝦夷の邸宅があったとされる。
 現地説明会は7日(土)午前11時~午後3時に開かれる
[参考:奈良新聞、読売新聞、朝日新聞、毎日新聞、産経新聞]

奈良・甘樫丘遺跡で新たに建物跡発見 蘇我氏の邸宅跡か(産経新聞) - goo ニュース

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 甘樫丘東麓遺跡


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守山市・金森西遺跡 4世紀の管玉(完成、未完成、失敗品)が大量に出土 近くに工房か

2013年09月06日 | Weblog
 滋賀県文化財保護協会が5日、守山市金森町の古墳時代前期(4世紀)の集落遺跡「金森西遺跡」の高台や周辺の溝や穴から、緑色凝灰岩でできた古墳時代前期(4世紀ごろ)の管玉が見つかったと発表した。緑色凝灰岩は県内に産出地がないため、貴重な石材だったとみられる。
 完成品の管玉2点のほか、未完成品や失敗品な数百点があった。このほか、滑石を素材にした管玉や、刀(剣)や鏡を模した祭祀)用の石製品なども出土したことなどから、玉製品を作る工房が遺跡内にあったとみられる。
 出土した完成品の管玉は長さ1・5~2cm、直径4mmほど。緑色凝灰岩と比べて加工しやすい滑石で作った管玉や勾玉なども出土した。
 掘っ立て柱建物の跡も見つかったが、工房の遺構はまだ確認されていない。
 現地説明会は7日(土)午後1時半から開かれる。
[参考:中日新聞、読売新聞、産経新聞、朝日新聞]
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鳥取市・青谷横木遺跡 9~10世紀の因幡国気多郡の地方支配を示す出挙木簡が出土

2013年09月06日 | Weblog
 鳥取県埋蔵文化財センターが5日、鳥取市青谷町青谷の青谷横木(あおやよこぎ)遺跡から平安時代(9~10世紀)に住民の代表が行政に対し税の返納などを約束する国の制度「出挙(すいこ)」に関する木簡2点(注1)が出土したと発表した。 当時の因幡国気多郡に於ける、律令体制下の地方支配や祭祀に関して解明する貴重な遺跡としている。
(注1)木簡は破片も含め約300点出土し、文字が判別できるのは10点だった。
 出挙に関する木簡は、長さ約32cm、幅約4cmと長さ約36cm、幅約4cmの2点。
 赤外線カメラで解析したところ、1点には気多郡(注2)にあった「日置郷」の戸主が出挙の元利を9月中に進上(返済)する旨の内容が確認できた。 当時は行政が農民に対し強制的に稲を貸し付け、農民がそれを育てて収穫し、利子分を加えた稲を返納するシステムが整っていたらしい。 日置郷の地名が書かれた初めての木簡。
(注2) 『和名抄』に、大原、坂本、口沼(かぬ)、勝見(かちみ)、大坂、日置、勝部の7郷が記載されている。

 2点とも、同じ文の繰り返しや書き間違いがあり、実際に使用された木簡ではなく、役所側で作文し、農民に提出させていた可能性もあるとしている。
 住民代表が上部機関に提出する史料としては、紙に書かれた例はあるが、木簡としては国内初。
 このほか、祭祀に用いる木製祭祀具の人形や馬形などの形代や斎串が約3800点も出土。
 倉庫と見られる建物跡も見つかっており役所の倉庫施設があった可能性もあるという。 古代の幹線道路「山陰道」と考えられる幅9mの道路遺構が確認され、交通の要衝だったこともうかがえる。
 遺跡周辺は、現在の鳥取市気高町周辺を治めた「気多郡衙」の出先機関の場所でないかとしている。
 現地説明会が8日(日)午前10時~11時30分と午後2時~午後3時30分に開かれる。
[参考:読売新聞、朝日新聞、産経新聞、鳥取県埋蔵文化財センターHP]

キーワード:青谷横木遺跡
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