奈良文化財研究所が5日、飛鳥時代の大豪族、蘇我蝦夷と入鹿親子の邸宅があったとされる奈良県明日香村の甘樫丘東麓遺跡(あまかしのおかとうろくいせき)で、これまでの調査地とは別の谷で小規模な谷を埋め立てて造成した跡と、7世紀半ば頃の掘立柱建物跡が見つかったと発表した。
邸宅跡の中心部とみられる場所の北約100m地点で、邸宅跡の中心部とみられる場所と同様に、急斜面を最大5・5m以上埋め立て、東西20m以上、南北30m以上の平面に整地した大規模な造成工事がされていた。 平面には掘っ立て柱建物(東西4・5m、南北3・9m)の柱穴13個があった。 柱列ごとにまとめて穴を掘る「布掘り」式で、同遺跡での発見は初めて。 高床建物の可能性があるが、用途は不明。 この南側にも別の1棟が確認された。 規模は東西5・4m、南北3m 。 建物の性格は不明という。 飛鳥盆地を見下ろす丘は、7世紀に大規模開発され、丘全体が巨大な遺跡である可能性がより高まったとしている。
出土した土器から、造成は7世紀中ごろとみられ、ごく短期間で遺構は廃絶したと考えられるという。
甘樫丘は標高148m。飛鳥時代の宮殿跡や飛鳥寺などがある飛鳥盆地の西側に位置し、飛鳥盆地を一望できる。日本書紀によると、甘樫丘の谷に蘇我入鹿の邸宅が、丘の上に蝦夷の邸宅があったとされる。
現地説明会は7日(土)午前11時~午後3時に開かれる
[参考:奈良新聞、読売新聞、朝日新聞、毎日新聞、産経新聞]
奈良・甘樫丘遺跡で新たに建物跡発見 蘇我氏の邸宅跡か(産経新聞) - goo ニュース
過去の関連情報・ニュース
甘樫丘東麓遺跡
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出土した土器から、造成は7世紀中ごろとみられ、ごく短期間で遺構は廃絶したと考えられるという。
甘樫丘は標高148m。飛鳥時代の宮殿跡や飛鳥寺などがある飛鳥盆地の西側に位置し、飛鳥盆地を一望できる。日本書紀によると、甘樫丘の谷に蘇我入鹿の邸宅が、丘の上に蝦夷の邸宅があったとされる。
現地説明会は7日(土)午前11時~午後3時に開かれる
[参考:奈良新聞、読売新聞、朝日新聞、毎日新聞、産経新聞]
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