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八幡市・美濃山瓦窯跡群 4号窯跡から「西寺」と押印の瓦が出土

2013年05月21日 | Weblog
 京都府埋蔵文化財調査研究センターが20日、八幡市の美濃山瓦窯跡(注1)で「西寺」と押印のある平安時代の瓦が1点見つかったと発表した。
 西寺(さいじ)は平安時代初めに、朱雀大路を挟み東寺と対称の位置に建立された官寺。弘仁14年(823)、嵯峨天皇から空海に東寺が、守敏(しゅんびん)に西寺が与えられた。
 西寺と押印された瓦は縦約15cm、幅約17cm、厚さ1・3cmで、4号窯跡の土台から発掘された。破損するなど(不良品?と)して、土台の修復用に使われたとみられる。
 西寺跡(京都市南区)から出土した瓦片の押印と同じで、約15km離れた西寺のために作っていたとみられる。
 美濃山瓦窯は5つあり大量の瓦が出土している。昨年8月から11月までの調査で、4号窯跡は、焼成室のみが残存する平窯で、窯壁には平瓦や丸瓦が塗り込まれていた。
 「西寺」の押印がある瓦は、官営工房とされる坂瓦窯(大阪府枚方市)でも作られていたが、今回出土したものとは書体が違う。
 5月25日(土)午後1時40分~4時40分に八幡市文化センター(八幡市八幡高畑5番地3)小ホールで、第124回埋蔵文化財セミナー(京都府埋蔵文化財調査研究センター)『今明かされる古代寺院美濃山廃寺の姿』が開催される。 出土品も併せて展示される。
[参考:共同通信、京都新聞、産経新聞、京都府埋蔵文化財調査研究センターHP]
 
(注1) 美濃山瓦窯跡(群)の築造時期は、最も古い2号窯が8世紀前半、4号窯(平窯)は8世紀後半とみられている。 2、3号窯は当初窖窯であったが、2号窯は平窯に造り替えられた。 4、5号窯は最初から平窯で2、3号窯より築造時期が新しい。 窯構造が変化する背景は、供給先の広がりと関係していると考えられるとされていた。 [参考:平成24年11月3日 美濃山瓦窯跡群現地説明会資料(京都府埋蔵文化財調査研究センター)]

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 2012.12.3 美濃山瓦窯跡群 奈良時代8世紀の瓦窯跡4基が見つかる 1基は窖窯から平窯に改修
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