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ザ☆シュビドゥヴァーズの日記

中都会の片隅で活動する8~10人組コーラスグループ、ザ☆シュビドゥヴァーズの日常。
あと告知とか色々。

秋アニメ曲、録音終了!!

2018-10-21 23:41:13 | ヨン様
こんばんは、ヨン様です。


本日、無事に秋アニメ曲の録音を完了いたしました。
ここのところ練習の中止が続いていたので、中止にならないかとか、ブランクとか、多少の不安がありましたが、一応滞りなく終えることができました。
あとは編集を待ちたいと思います。

今回の収録時間は、まぁ遅くもなく早くもなくといったところです。
代替8時半くらいには全体の収録が終わっていたでしょうか。
10時を回ったこともあるくらいのなので、それから比べたら随分ましですよ。
HAHAHA!

秋アニメ曲は、10月中のアップロードを目標にしたいと考えております。
学生の方は学校をさぼる準備を、社会人の方はさぼるとまずいので有給取得の準備をしながら、10月末に備えてください。
おそらくシュビの動画を再生するのに忙しくなるはずです。

さて、ついに10月も終わりに近づき、秋も深まってまいりました。
今後の予定についてはいろいろと思案中ですが、報告できることができましたら皆さんにご紹介できればと思います。
まだ不確定要素が多くてなかなかの牛歩ペーストなっておりますが、気長にお付き合いいただければ幸いです。


朝夕はだいぶ冷え込むようになりましたね。
体調管理にはくれぐれもお気を付けくださいませ。

それでは!

来週に録音を予定しております

2018-10-14 23:53:42 | ヨン様
こんばんは、ヨン様です。


本日は練習が予定されておりましたが、参加者不足によりあえなく中止となりました。
ここ最近練習の中止が相次いでおります。
何とかしたいのですが、何とかできるんでしょうかねぇ。

来週は秋アニメ曲の録音が予定されております。
先日行われた会議にて無事に選曲が完了し、幸いにして演奏予定曲は確定しております。
録音は中止に追い込まれないことを願うばかりですね。

来週の録音となりますので、公開自体は10月中が目標になるでしょうか。
やはりシーズンが始まってから1ヶ月以内を目途に公開したいですよね。
編曲者も歌い手も編集も毎度カツカツの日程ではありますが、今回も頑張ってまいります。


というわけで、来週の日曜日は良い報告ができればと思います。
どんな曲になるのか、どうぞお楽しみに。

それでは!

「爆発・死・美女」という「ハリウッド三大要素」

2018-10-07 23:35:34 | ヨン様
こんばんは、ヨン様です。


最近、ハリウッド映画を観る機会がありました。
『アイランド(原題:The Island)』という映画です。
“分かりやすいハリウッド映画”を観るのはかなり久しぶりだったので、ちょっと感想を書き留めたいと思います。

まず、なぜこの映画をチョイスしたのかというと、主演のスカーレット・ヨハンソンのムフフなシーンを観るため実は10年も前にこの映画を途中まで観たまま、結末を知らないでいたからです。
詳しい経緯は割愛しますが、高校のときに学校でこの映画の冒頭20分くらいを鑑賞したあと、中断せざるえない状況になってしまい、以来10年間、「あの映画の結末はなんだったんだろうなぁ…」と思い続けていたのです。
とはいっても、ハリウッド映画ですから、なにか特別な期待があったわけではありません。
実際に最後まで観てみたところ、良くも悪くも予想を裏切らないような内容でした。
今回の記事では、映画を観ていて感じた、漠然と期待される“ハリウッドらしさ”、あるいはハリウッド映画における必須成分のようなものについて、簡単にまとめてみたいと思います。


1. とにかく爆発する
ハリウッドと言えば爆発、爆発と言えばハリウッドと言っても過言ではないくらい、とにかく爆発シーンが多い。
『アイランド』でも、体感でアクションシーンの9割近くは爆発や炎上で占められていたような気がします。
メイキングによれば、爆発シーンはかなり費用のかかる演出であってもCGを使わないという方針になっているようですので、爆発に対する極めて高いこだわりがあることが伺えます。
正直私は、危ないしCGでもいいんじゃないかと思いましたが、やはり爆発の本場ハリウッドの人の目から見れば、同じように見える爆発でもCGと実写では違った迫力で見えるのでしょう。
逆に言えば、アクションシーンに非常に洗練された爆発の映像があれば、その映画はハリウッド映画であるということを意味しているとも言えます。

2. お人よしは死ぬ
ハリウッド映画では、大抵の場合主人公をサポートするお人よしの人物は死にます。
今回の映画は、主人公がそうとは知らずにとある施設で管理生活を送らされているところから始まるのですが、その主人公の逃亡を手助けした人のいいエンジニアのおじさんは期待に漏れず死亡してしまいました。
これには、もちろん「善人を死なせることで、より死を印象的なものにする」という、物語的な都合が多分にあるのでしょうが、「世の中は弱肉強食であり、いたずらに人助けをするような能天気な人間は即座に死ぬ」というような、競争社会アメリカらしい発想も背後にあるのではないかと思われます。
英語にも「情けは人の為ならず」ということわざがあるそうですが、アメリカ人の誰もそんなことわざを信じていないことは、このような映画の展開からも明白です。

3. 唐突なラブ・シーン
ハリウッド映画には、「主人公とヒロインがコトに及ぶまで映画を終わらせてはいけない」という不文律でもあるのでしょうか。
そんな疑いを持ってしまいたくなるくらい、今回の映画でも、かなりぞんざいにラブ・シーンがねじ込まれていました。
限られた尺の中、それまでの展開を無視してまで主人公とヒロインのイチャイチャを見せるわけですから、おそらく人類愛とかラブ・アンド・ピースとか、そういう崇高なテーマを表現しているのだと思います。
あるいは、主人公とヒロインの愛の結実を目に焼き付けてほしいという、監督やプロデューサーの粋な心遣いかもしれません。
そういうシーンが入っていると男性の客足が伸びるからとかいったような、商業主義的な理由では断じてないでしょう。


以上の特徴は、今回見た映画『アイランド』を鑑賞して印象的だった部分ではありますが、記憶をたどってみても大抵の商業的なハリウッド映画には当てはまるのではないでしょうか。
上記の三点に対応する「爆発・死・美女」という演出手法は、いわば「ハリウッド三大要素」とでも言える装置であり、少なくとも私自身が感じる“ハリウッドらしさ”は、これらの要素に支えられているのではないかと思います。

といわけで、今日は私自身が思う“ハリウッドらしさ”についてご紹介いたしました。
私は映画に関しては全くの素人ですので、いろいろと誤解も多いことでしょう。
「私が思う“ハリウッドらしさ”はこれです!」というようなご意見があれば、ぜひお教えくださいませ。


シリアスで考えさせられる映画も好きですが、たまにはそこまで堅苦しくない映画を観るのも良いものですね。
日常生活に疲れたら、こういう映画を鑑賞してみるのもよいでしょう。

それでは!

机の上がバベルの塔となる前に

2018-09-30 22:37:57 | ヨン様
こんばんは、ヨン様です。


先週は睡魔に呑まれて更新を怠ってしまいました。
今日は健全に記事を投稿したいと思います。

昨日さらさんが少し触れていましたが、本日予定されていた練習は台風の影響を考慮して中止となりました。
実は先週の日曜日も予定されていた練習がキャンセルとなったので(こちらはメンバーの欠席による人数不足)、二週続けての練習中止となります。
士気が下がるのは残念ですが、そこは人数が少ない団体の弱みですね…。

副次的が終わって一ヶ月ほど、やや魂が抜けたようになっていたシュビドゥヴァーズですが、現在新しい企画を立ち上げるべく奮闘しております。
企画のまま流れてしまう可能性もゼロではないので、具体的なことはもう少し内容が固まってからお話しできればと考えております。
なんとか実現にこぎつけたいですね。

さて、話は変わりますが、最近、机の上のものがどんどん増えてきています。
私が心から敬愛する師によれば、「掃除するためには、整理するための一時的な置き場所がなければ掃除自体が不可能になってしまう」とのこと。
つまり、バッファをゼロにしてしまうと積みあがっているものを動かす余地が完全になくなってしまうということです。

洗い物などをしていても、そんな経験があるんじゃないでしょうか。
流しのところが食器でいっぱいになっていると、“洗剤で洗った食器”を一時的に置いておく場所がなくなってしまい、食器を一つずつ水洗いしなければなりません。
こうなると、ある程度食器が片付いてくるまではかなり効率の悪い作業を強いられることになります。

このまま机の上に物が積みあがっていくと、第二のバベルの塔が姿を現す日もそう遠くないように思われます。
そして神の怒りに触れ、日本中で話されている言語がバラバラに引き裂かれてしまうのです。
そうした事態はなんとしてでも避けねばなりません。


というわけで、余裕のあるうちにスペースを確保しておきたいと思います。
皆さんも、身の回りの整理は計画的にどうぞ。

それでは!

2種類のタスク

2018-09-16 23:50:20 | ヨン様
こんばんは、ヨン様です。


突然ですが、タスクには2つの種類のものがあるかと思います。
一つ目は、「一回性タスク」、そしてもう一つが、「多回性タスク」です。
それぞれのタスクについて、少し具体的に説明してまいりましょう。

例えば、編曲なんていうのは「一回性タスク」の一つとして挙げられるのではないかと思います。
これはつまり、「一回そのタスクをこなした場合には、もう一度同種のタスクをするとは限らないタイプのタスク」になります。
こういったタスクの場合、比較的長い期間にわたって行われることが多く、また、結果の質が重要視されます。
いうなれば、結果重視型のタスクであるとも言えるでしょう。

一方で、合唱の練習というのは、「多回性タスク」であると考えられます。
多回性タスクは、「当該のタスクを繰り返し行うことが前提になっているタイプのタスク」であるということができます。
こういったタスクは、基本的に一回一回のタスクが短く区切られており、質も全く無関係ではありませんが、どちらかといえば量を積み重ねるこ過程が重要視されます。
つまり、過程重視型のタスクであるとも考えられます。

ここでは合唱の例を挙げましたが、「一回性タスク」と「多回性タスク」はさまざまな場面においてみられます。
分かりやすいところで言うと、学校の「試験」と「授業」は、それぞれ「一回性タスク」と「多回性タスク」の例として挙げられるでしょう。
前者には、確かに中間・期末といった区別が存在することがありますが、極めて限定的な回数しか行われず、質が極めて重要視されます。
それに対し、後者のほうは、個々の質を高めるという努力が必要ないというわけではありませんが、やはり重要なのは規定のカリキュラムを消化することであり、量をこなすことが前提となっています。

このように、タスクには質を重視する「一回性タスク」と量を重視する「多回性タスク」の2種類が大まかには認められます。
もちろん、先ほどのテストの例からも分かるように、「一回性/多回性」というのはあくまでも典型的な特徴付であって、複数の試験が重視されることもあれば、特定の一回の授業が重視されることもあります。
ただ、連続的な部分があるということは、必ずしもこれらの分類が全く無意味なものであることは意味しません。
上記のような事象を記述するという意味では、これらのタスクの分類は有効であると考えます。

さて、なぜこんな話をしてるのかというと、抱えているタスクから逃避するためこういった整理をすることで、タスクに対して向き合いやすくなると考えたからです。
普段漫然と「質が大事/量が大事」というとってつけたような教訓を口にしていないでしょうか。
もちろんどっちも大事なことではありますが、どのような状況においても100%の力を出せるわけはないので、文脈によって使い分けるべきでしょう。
つまり、「一回性タスク」の場合には質を重視し、「多回性タスク」の場合には量の積み重ねを意識するのです。
このことにより、演奏会等の場において、ベストなパフォーマンスを披露することができるでしょう。


最後はなんだか煙に巻くような話になりましたが、結局は自分のやりやすいやり方で物事を進めていけるのがいいんでしょうね。
ただ、常に作業環境の改善を意識するのは当然もとめられる努力なので、そのことを胸に日々のタスクに向き合っていければと思います。

それでは!

「ガラパゴス化」してもいいとき

2018-09-09 23:55:22 | ヨン様
こんばんは、ヨン様です。


本日はシュビの練習がありました。
とはいっても、わざわざ報告するようなことはそれほどありません。
そこで、今日は近年よく耳にするようになった「ガラパゴス化」というものについて少し考えてみたいと思います。

「ガラパゴス化」というのは、簡単に言えば「(日本について)国産の製品が国内の需要に最適化しすぎてしまったために、最終的には汎用性の高い海外産の製品に市場競争で負けてしまう」という状況変化のことです。
良く知られているように、絶海の孤島として知られるガラパゴス諸島で形成された独自の生態系が、人間の持ち込んだ外来種や環境変化に脅かされていることを、産業面で譬えた言葉になっております。
上記のような意味を持つ言葉ですから、基本的にはあまりよくない意味で使われます。

実際、経済・産業面での「ガラパゴス化」は、あまり歓迎されるものではないでしょう。
要するに、市場が国際化しつつあるなかで日本製品が国内外を問わず競争に勝てなくということですから、いかに「ガラパゴス」から脱却するかは死活問題となります。
経済・産業面のみを考えた場合には、「ガラパゴス化」は改善されるべきものだと言えます。

では、「ガラパゴス化」というのは、あらゆる点において改善されるべきものなのでしょうか。
確かに、経済的な観点から見た「ガラパゴス化」には、メリットと呼べるものはほとんどありません。
しかし、別の側面から見た場合には、このような主張は極端な一般化と言わざるをえません。
ある一定の領域での「ガラパゴス化」、具体的には、文化的な価値としての「ガラパゴス化」というのは、必ずしも悪いことばかりではないように考えられるのです。

例えば、日本には「サムライ」とか「ニンジャ」とかいった独特の文化的な単位が存在します。
「ガラパゴス化」を恐れて、これらの概念を「軍事階級」とか「諜報員」とかいった概念に標準化したほうがよいということになるのでしょうか。
これは明らかに本末転倒だということになるでしょう。
なぜならば、これらの文化的な単位は、まさに「他国に見られない」という点において日本独特の文化・観光の資源を提供し、ひいては経済的にも好影響を与えていると言えるからです。

もちろん、文化的な価値は必ずしも貨幣価値に置き換えられなくても十分に意義があります。
もっと卑近な例でいえば、「地元のローカルトーク」のようなものが挙げられるでしょう。
「あの頃はあの場所にこんな店があって、そこの店員がなんとも個性的で…」といったようなローカルトークは、グローバルな視点とは全く無縁であり、そのようなことを期待されてすらいません。
ですが、これらの文化的な共有物は我々にとっては十分に“面白い”し、“価値がある”ものです。
逆に、このような領域にすらグローバルな面白さが求められるとしたら、非常に表面的な価値観しか共有できなくなってしまうでしょう。
このように、「ガラパゴス化」というのは、あらゆる分野において忌避されるべきものではなく、文化的な側面においては、むしろ奨励されるべき場面もあるのです。

2016年に公開された映画『シン・ゴジラ』の海外興行成績が振るわなかったということを否定的に取り上げた記事を観たことがあります。
もちろん、経済的には、それはある種の失敗ということになるでしょう。
しかし、そのことは、あれほど日本で絶大な観衆を集めた『シン・ゴジラ』の文化的な価値をいささかも損なうものではないと考えます。
なぜならば、『シン・ゴジラ』が面白いのは、まさに日本・ローカルなネタを突き詰めて洗練させているからであり、その点において一切のおもねりがないからです。
つまり、『シン・ゴジラ』の海外における不人気と国内における支持は、「地元のローカルトーク」が地元以外の人には楽しめなくても、地元の人にとっては代えがたいほど面白いということと、本質的には同じことだと考えられるのです。
商業的に制作している以上、興行成績を無視することはできませんが、それと作品自体の文化的な価値とは、必ずしも直接対応しないということには留意すべきです。


以上、「ガラパゴス化」は必ずしも否定的に受け止められるべきではないという観点からお話いたしました。
尖りすぎて人を刺してしまいそうならばいざ知らず、個人や組織のアイデンティティとしても、一定程度の「ガラパゴス化」がスパイスになってくるのではないでしょうか。

それでは!

胸突き八丁

2018-09-02 22:10:41 | ヨン様
こんばんは、ヨン様です。


今日は久しぶりにシュビの練習がない日曜日でした。
私個人の予定だけを見ても、シュビの練習が入らない土日は実に7月8日(日)以来ですね。
一般の合唱団では毎週練習をやっているところもあると思うのでシュビドゥヴァーズが特別大変というわけではないと思いますが、久々に空きが出るとやはり休みの大きさが身に沁みます。

私個人としては、現在進めている編曲が佳境に入ったのはいいものの、最後のほうなのでモチベーションのバランスのとり方が難しいですね。
胸突き八丁とはよくいったものです。
ここで一度呼吸と整えて最後に臨みたいと思います。

ああ、こういうことを書いていたら、シュビのスケジュール調整とか、やらなきゃいけないことをいろいろと思い出しました。
ちょっとこの土日の生活は本当にひどいもので、ここでたまったやりたいことを消化しておいて、月曜日から現実世界に復帰いたします。
もうちょっとだけ、現実逃避を許してください。

見返してみると、この記事内容もなかなかひどいものですね。
来週はもう少しためになることを書ければと思います。


それでは!

暑い夏のイベント

2018-08-26 23:19:21 | ヨン様
こんばんは、ヨン様です。


今日はシュビの練習が行われました。
練習があるのは別に構わんのですが、ひどい暑さでしたね。
練習のたびに黒く変色していくエスさんを見ていると、夏も深まってきたなぁという気分になってまいります。

7月の中旬くらいから、計画中のコンサート関連の練習をストップし、夏アニメ・夏コミ・合唱祭の録音や準備に充てていたので、今回は再確認を兼ねて復習を中心とした歌唱を行いました。
次回以降何回かは、同じような流れになるんじゃないでしょうかね。
まだ合唱祭の疲れも抜けきっていないので、少しずつ練習強度を上げていければと考えております。

それにしても、もう合唱祭から1週間も経つのですね。
高揚感を味わった経験というのは、時間的な感覚(間隔)というのが普通の経験とはちょっと違ったものになりますよね。
「1週間も経つ」と言いつつ、遠い昔のことのようにも思えてきます。

合唱祭後のTwitterを眺めていると、参加者の方から今後もサブカル合唱界を盛り上げようという意気込みにあふれていたように思います。
具体的には、来年以降の話をしたり、新たな企画や合唱団の立ち上げを提案したり、なかなかエキサイティングしていたようですね。
皆さんの合唱への熱意には頭が下がるばかりです。


来年は二日間の開催が予定されているとのことで、今年以上の盛り上がりが見られることでしょう。
一年後を楽しみに、今からしっかりと合唱の腕を磨いてまいりたいと思います。

それでは!

サブカル合唱界の今後の展望(第4回副次的文化系合唱祭の感想に代えて)

2018-08-19 23:35:26 | ヨン様
こんばんは、ヨン様です。


第4回副次的文化系合唱祭、無事終了しました!
運営スタッフの皆様、並びに出演された団体の皆様、お疲れさまでした!!

せっかくなので、ブログではTwitterのような媒体では書きにくいことについて書こうかなと思います。

例年よりも少し遅い時期に開催された今年の合唱祭は、昨年度を上回る数の参加団体となりました。
全体的に、団体の方向性も、選ばれる曲も、多様になってきているような印象がありますね。
楽曲のアレンジに関して言うと、前にはなかった傾向が見られるようになってきたように思います。
具体的には、音楽プロパーの方の楽曲の採用率が増えてきたということです。

第1回目の副次的文化系合唱祭はもっとアングラ的な色彩が強く(運営の方に失礼だったらすみません!)、サブカル合唱を扱う場合、編曲も(オリジナルの)楽曲も自前調達という団体がほぼすべてでした。
一方で、最近はどんどん音楽プロパーの方(プロの作編曲家、またはアマチュアでもアカデミックな音楽の教育を受けた人)の参入率がどんどん上がってきているように見えます。
これは、程度の差はあれ、演奏者側についてもいえることです。

このような方向性の明確な先鞭をつけたのは、私の理解が正しければChor Gnosina(コール・グノーシナ)であり、その周辺の人脈やコミュニティであるように思われます。
プログラムを見るとわかりやすいのですが、第一回目から参加している団体は、スナドラ、アイマス合唱部、シュビ、Ani-pro.など、自前調達傾向の強い団体が多いのに対し、2回目以降に参加した団体を中心に、音楽プロパーの方に編曲を委嘱する団体が増えてきています(ただし、アニモニーのように、比較的新しい団体の中にも例外はある)。
つまり、今までは副次的文化系合唱祭まわりのアマチュア合唱のコミュニティと音楽プロパーのコミュニティをつなぐパイプはなかったのですが、近年はそれらが副次的で一挙に集うという構図になっていると言えるのです。

このような共存状況は、サブカル合唱コミュニティならではといいますか、ちょっと面白いなと思います。
アカデミックな音楽の世界では、何の実績もないアマチュアが作編曲の依頼を受けるということはほぼありえないと予想されます。
それに対し、サブカル合唱界隈では、コミュニティ内での信頼関係さえあれば、アマチュアであってもそのような依頼を受けるということがありうるのです。
これは、アカデミックな音楽プロパーの方は、ポピュラー音楽のアレンジを中心にキャリアを作るということが考えにくく、ましてやアニソン・ゲーソンなどの編曲にはなおのこと関心が薄いために、そのような依頼をしにくいということも関係しているかもしれません。
音楽プロパーの方の中でコアなサブカル合唱に興味を示すような人というのがかなりの少数派だからこそ、サブカル合唱編曲というジャンルはニッチとして残り、アマチュアの活躍する場となりうるというわけです(アマチュアとサブカル合唱の関係については、以前少しブログでも言及しました)。

ただ、今後どのような状況になるのかは正直予想がつきません。
今後もっと音楽プロパーの方がサブカル合唱に関心を示し、そこでビジネスをしたりキャリアを積んだりしたいと考えるようになれば、先々アマチュアの活躍するフィールドは減ってしまう可能性もあります。
イベントが大規模化して人目につきやすくなれば、なおさらのことでしょう。
その場合、アマチュアは自分の実力をプロ並みに磨き上げるか、プロでも(プロだから)決して真似できないような独自の方向性を打ち出す必要に迫られるかもしれません。

そう考えると、本当に今の状況というのは絶妙なバランス感覚で成り立っているように思えてきます。
プロとアマのできるところ/やりたいところをそれぞれがやる、というふうに、うまい具合に住みわけができているのです。
もちろん、プロの人がどんなに手広くやろうとしても、すべてのジャンルを網羅的にできるわけではないので、どこかしらにニッチは残ると考えられます。
従って、今後のアマチュアが活動するフィールドというのは、究極的には、そのニッチと全体とのバランスがどうなるのか、という点に尽きるのではないでしょうか。


と、ここまで書いたところで思考能力が限界に近づいてきました。
さすがに、今日はもう疲れましたね…。

皆さん本当にお疲れさまでした。
そして、改めまして、シュビの演奏を聴いてくださりありがとうございます。
これから改めてシュビの活動に専心することになりますので、今後もどうぞよろしくおねがいいたします。

それでは!

いよいよ一週間後ですぞ

2018-08-12 22:32:04 | ヨン様
こんばんは、ヨン様です。


もはやこの書き出しが恒例になりつつありますが、本日はシュビドゥヴァーズの練習を実施いたしました。
内容はもちろん、来週行われる副次的文化系合唱祭の練習です。
今回も伴奏者を交えた本番想定の練習となります。

練習内容は、割と当たり前のことをやりました。
本番前なので個々の曲の詰め切れていない細部を確認して、全体の通し練習をして…、といった感じです。
おかげさまで、それなりに充実した練習になったと自負しております。

ただ、相変わらずの問題として、メンバーごとの練習参加回数のムラが挙げられます。
現在までに、合唱祭のための練習に事実上ほぼ参加できていないメンバーがいるので、そのあたりの調整をする必要がありそうです。
前にも言ったかもしれませんが、20人を超えるような合唱団では、1パートに一人くらい全然練習に参加していない人がいても何とかなったりしますが、アンサンブルの場合そうはいきません。
そもそも1パート一人とかだったりするわけで、一人休んだらそのパートは壊滅してしまうのです。
いやはや難儀なものです。

というわけで、今週末あたりに一回特訓練習回を設けようと画策しているところです。
ノルマに達していないメンバーは、時間外だろうと逃がさない。
シュビドゥヴァーズの運営方針のしたたかさが伺い知れますね。


というわけで、来週はいよいよ合唱祭本番となります。
お誘いあわせのうえ、奮ってご参加いただければ幸いです。

それでは!