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西安寺跡(王寺町)塔の基壇は13.35m四方/法隆寺五重塔と同規模!

2017年12月08日 | 奈良にこだわる
飛鳥時代に創建されたとみられる西安寺(さいあんじ)跡(王寺町舟戸2丁目)で見つかった塔の基壇(基礎部分)が13.35m四方だったことが判明した。これは法隆寺五重塔とほぼ同じ規模だ。読売新聞ニュース(12/7付)「西安寺跡の塔 1辺13メートル 王寺町教委 法隆寺五重塔と同規模」によると、
※写真はすべて、岡島永昌さん(王寺町学芸員)のFacebookから拝借した

飛鳥時代創建の古代寺院、西安寺さいあんじ跡とされる王寺町の舟戸神社境内を調査している町教委は6日、2年前に確認された塔の基壇(土台)が1辺13・35メートルと判明したと発表した。法隆寺五重塔(斑鳩町、国宝)とほぼ同規模だと裏付けられ、町教委は国史跡の指定を目指す。



町教委は11月から、2015年に確認した塔跡周辺を約70平方メートル調査。基壇の東側で新たに塔の礎石と、礎石を抜き取った跡が1基ずつ見つかり、確認済みの分を含めて礎石が1列に4基並んでいたとわかった。

基壇の周囲に施された高さ1・2メートルの石積みも確認。基壇の1辺はそれらの位置関係から計算し、塔の建物も1辺6・75メートルとわかった。法隆寺五重塔の基壇は13・8メートル、建物は6・42メートルで、ほぼ同規模という。出土した瓦の年代から、7世紀後半~8世紀前半に創建され、14世紀頃まで存続したらしい。



西安寺跡も含め、大和川沿いには法隆寺、長林寺(河合町)、尼寺廃寺(香芝市)など古代寺院が集中していた。岡島永昌学芸員は「大和川は古代、外国の使節や渡来人を乗せた舟が行き来したと考えられ、川を挟んだ地域には寺院が林立していたのだろう。伽藍(がらん)の全体像を明らかにしていきたい」と話している。

現地説明会は9日午前10時~午後3時。JR・近鉄王寺駅から徒歩15分。駐車場はない。問い合わせは町教委生涯学習課(0745・72・1031)。


発掘を担当された岡島永昌さんのFacebookには、

7世紀後半から8世紀前半の頃に創建されたと見られる塔の基壇と礎石が確認でき、乱石積の基壇外装もきれいなわ状態で残っておりました。

乱石積の上段部には凝灰岩が乗せられているところもあって、当初は切石積基壇だったのではないかと思われます。基壇の状態が良好だったため規模も判明し、わかりやすいところで例えると法隆寺五重塔と同じような大きさになります。

9日(土)に現地説明会を行います。現場が狭いのでお待たせすることもあるかもしれませんが、よろしければどうぞお越しください。大和川周辺の古代寺院に注目です!!


岡島さんが書かれた『やさしく読める 王寺町の歴史』(発行=王寺町)には《西安寺を創建した人については、現在のところ、大原史(おおはらのふひと)という渡来系の氏族(うじぞく)であるという考えが有力です。今後も発掘調査を進め、お寺の規模やようすがどのようなものであったのかを明らかにしていくことで、だれが何のために西安寺を建てたのかを解明していきたいと思います》とある。

また《舟戸神社から東の舟戸山へ上がっていくと、瓦谷池(かわらたにいけ。「かわんだ池」ともよばれます)というため池があります。昔、そのあたりに西安寺の屋根を葺くための瓦を焼いていた窯の跡があったといわれています》(同書)。

産経新聞奈良版(12/8付)には《今後は塔跡の北側にあったとされる金堂跡についても調査する》とあるので、まだまだこれからが楽しみだ。現地説明会について、詳しくはこちら(PDF)に掲載されている。会場の舟戸神社へは王寺駅から1.2km。道がやや分かりにくいし、住宅地の中を通るので、ご近所迷惑にならないよう気をつけていただきたい。

王寺町は、雪丸だけではなかったのだ。皆さん、ぜひ王寺町にご注目を!
コメント (2)
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