tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

ナント・なら応援団/6月1日(水)から、矢田寺をガイド!(2016 Topic)

2016年05月31日 | お知らせ
明日(6/1)から6/30(木)まで、矢田寺(金剛山寺)で特別開帳が行われる。これに先立ち昨日(5/30)、お寺で拝観者へのガイドを行う「ナント・なら応援団」に向けた説明会が行われ、その模様が今朝(5/31)の奈良新聞に《拝観ボランティア「ナント・なら応援団」 矢田寺で現地研修会 ガイドの知識深めて》として掲載された。なお気になるアジサイは、まだこれからである(開花情報は、こちら)。では記事全文を紹介すると、


今年のアジサイの開花は遅いようで、見頃はまだこれから

南都銀行のOB、OGでつくる県内社寺の拝観ボランティアガイドグループ「ナント・なら応援団」の現地研修会が30日、大和郡山市矢田町の矢田寺(金剛山寺)で行われた。メンバー15人が参加。住職の案内で数々の宝物に触れ、ガイドとしての知識を深めた。



同応援団は、平成22年の平城遷都1300年祭に合わせて始まった、各社寺での「秘宝・秘仏特別開帳」のボランティア組織として発足。以来、毎年春と秋の特別開帳の際にガイド活動を重ねている。この日の研修会は、同寺で「祈りの回廊 秘宝・秘仏特別開帳 矢田寺地蔵菩薩立像、閻魔堂など」が6月1日から始まる(~30日)のを前に行われた。



メンバーは、同寺南僧坊の南門明定住職の説明を受けながら本堂の地蔵菩薩、十一面観音立像、吉祥天立像(いずれも国重要文化財)をはじめ、閻魔堂などを巡拝。ガイドに必要な知識を身に付けた。同応援団の門口誠一幹事は「お客さまから大変喜ばれ、やりがいを感じている」などと話した。

ナント・なら応援団、毎年この時期は矢田寺のお手伝いをする。6月はアジサイの開花とあいまって、たくさんの方がお参りされる。ガイドは1日3名が当番となって、本堂と閻魔堂をガイドする。応援団メンバー40人のうち20名以上が交替で矢田寺に詰めるので、これはガイドする方も調整する方も大変だ。

しかし昨年はお寺から感謝状までいただいた。今年も団員は張り切っている。団員の皆さん、よろしくお願いいたします! 当ブログ読者の皆さん、ぜひ矢田寺をお参りください!

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山林王 土倉庄三郎の生涯/6月1日(水) 川上村で講演します!(2016 Topic)

2016年05月30日 | お知らせ
今年は山林王・土倉庄三郎翁の百回忌の年。またタイミング良く「吉野林業」は日本遺産に認定されました。これらにちなんで同村の「ホテル杉の湯」でこんな講演をいたします。参加無料・お申し込み不要。ぜひご参加ください! 講演のチラシから抜粋しますと、

シリーズ講演会のご案内
第7回テーマ「山林王 土倉庄三郎の生涯」


日程 平成28年6月1日(水)
時間 15:30~16:50
会場 ホテル杉の湯 金鱗の間(2階)

NPO法人奈良まほろばソムリエの会の鉄田専務理事をお迎えし、シリーズ講演会の第7回を開催します。今回のテーマは、当村が生んだ偉人・土倉庄三郎翁。「森と近代日本を動かした男」とも呼ばれ、今年は百回忌を迎えます。「あさが来た」の廣岡淺子の日本女子大設立を支援したことでも知られています。知っているようで案外知らない土倉翁の生涯がスッキリ分かる講座です。ぜひ、ご参加ください!
※参加無料・申し込み不要です。奮ってご参加ください。



なお、6月19日(日)には、こんなイベントもあります。こちらも無料ですが、お申し込みが必要です。チラシは、こちら(PDF)。申し込み締め切りは明日(5/31)ですので、お急ぎを。吉野かわかみ社中のHPによりますと、

土倉庄三郎翁 没後100年記念式典
「日本林業の父」と呼ばれる土倉庄三郎翁の没後100年記念事業が村内外各地で執り行われます。
百回忌法要に合わせた記念式典です。基調講演は森林ジャーナリストの田中淳夫氏。
『土倉翁の功績をたどるリレー対談』では日本女子大関係者、同志社大関係者、NPO芳水塾関係者、吉野かわかみ社中関係者 等が登壇予定。
日  時…平成28年6月19日(日) 13:00~16:00
開催場所…川上村総合センター やまぶきホール
主  催…川上村
協  賛…土倉庄三郎翁没後100年記事業実行委員会
後  援…農林水産省、奈良県(予定)
申込〆切…平成28年5月31日(火)
申し込み・問い合わせ先…川上村地域振興課
〒639-3594 奈良県吉野郡川上村迫1335-7
TEL 0746-52-0111
E-mail info@vill.nara-kawakami.lg.jp

当日はこのシンポジウムに先立ち、午前10時から龍泉寺(川上村大滝)で百回忌法要が営まれます。基本的にはご関係者向きですが、希望者は拒まないそうなので、あわせてお申し込みください。こちらに参列すると、田中淳夫著『樹喜王 土倉庄三郎』が配布されるそうです。

私の講演は、ちょうど6月19日(日)のシンポジウムの「予習」のような位置づけです。ぜひ、ご参加ください!



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奈良ものろーぐ(2)鍵屋と玉屋/両国の花火 ルーツは五條(奈良日日新聞連載)

2016年05月29日 | 奈良ものろーぐ(奈良日日新聞)
今年(2016年)4月から奈良日日新聞に「奈良ものろーぐ」というコーナーをいただき、毎月1回(第4金曜日)連載している。奈良のスグレモノ、流行りもの、ゆかりの人物を紹介する、という趣旨である。第2回(5/27)のテーマは「鍵屋と玉屋」で、見出しは「両国の花火 ルーツは五條」(第1回は「吉野杉」)。

江戸の花火屋「鍵屋(かぎや)」の創業者は五條の出身。その手代が独立して開いたのが「玉屋(たまや)」だ。鍵屋の初代は五條新町で火薬の扱いを覚えた。当時、新町には鉄砲火薬の製造所があったのだ! 知られざる郷土の人物誌…。では以下、全文を紹介する。
※トップは記事中の写真で、キャプションは「やまとの夏まつり」の花火。ずいぶん以前に撮影した

鍵屋と玉屋/両国の花火 ルーツは五條
落語でおなじみの「かぎやー、たまやー」、両国の川開き大花火(現在の隅田川花火大会)のかけ声だ。江戸の花火屋・鍵屋創業者の弥兵衛は、篠原(五條市大塔町)の出身である。篠原は今も毎年1月25日の「篠原踊り」で知られる。玉屋は、鍵屋の手代が別家(分家)して開業した店だ。

江戸時代、五條新町には合薬調合所(鉄砲火薬の製造所)があった。当時、火薬は五條の特産品だったのだ。篠原から奉公に出てきた弥兵衛は、ここで火薬を扱う技術を学んだ。「弥兵衛さんは大変真面目な勉強家で僅(わず)かの年月で火薬製造の技術に熟達」(『火薬と保安』1977年第3号)したという。川原の葦(あし)の茎に火薬玉などを詰め、手持ちの吹き出し花火を考案し評判になったことから、「江戸に上って花火屋になることに決心した」(同)。

花火を売りつつ江戸に出た弥兵衛は万治2年(1659)、鍵屋を開業した。「初代の弥兵衛は研究熱心だったとみえて、その後も大型花火の実験を重ね、とうとう享保2(1717)年には水神祭りの夜に献上花火を打ち上げてみせて、後々の川開き花火の先鞭をつけた。弥兵衛が江戸に出て玩具花火を手がけて以来、人に見せるに足りる大型の花火を打ち上げるまでには58年の歳月を要したことになる」(小勝郷右著『花火-火の芸術』岩波新書)。

両国大川の川開きで花火が打ち上げられるようになったのは、享保18年(1733)5月28日。川開き当日だけではなく、納涼期間中、江戸大店の旦那衆は涼み船を浮かべ、競って花火を打ち上げた。

鍵屋が六代目弥兵衛の時代となった文化6年(1809)、手代の清吉が別家して花火屋を開業した。鍵屋は稲荷神を信仰していた。狐がくわえているのは玉と鍵。これは霊力(玉)とそれを引き出す鍵、という意味だ。弥兵衛は清吉に玉を与え玉屋として独立させた。以来、川開き大花火は鍵屋と玉屋の競演時代を迎える。

ところが天保14年(1843)、玉屋から失火、町並みを半丁ほど類焼させてしまった。運悪くこの日は将軍家慶(いえよし)が、家康を祀る日光東照宮へ出立する前日であったため、玉屋は財産没収、江戸追放となる。

一方の鍵屋は十二代弥兵衛のとき「大東亜戦で昭和16年煙火(花火)の製造が全面的に禁止となり廃業の止むなきに至った。昭和40年天野道夫さんに鍵屋ののれんを譲った」(『鉄砲史研究 第82号』1976年9月)。鍵屋は現在、株式会社宗家花火鍵屋(東京都江戸川区小松川)として天野修氏(鍵屋十四代)が経営にあたっている。天野氏は平成26年、江戸川区文化功績賞も受賞された。まもなく花火の季節。五條がルーツの「かぎやー」、その創業精神を、花火を見ながら思い起こしていただきたい。
◇  ◆  ◇
本稿着想のヒントは岩井洋氏(帝塚山大学学長)、参考文献は藤井正英氏(市立五條文化博物館館長)からご教示いただきました。=毎月第4週連載=


鍵屋の創業者が五條の出身ということは以前、五條市の観光ボランティアガイドさんから伺っていた。しかしそれは「たまたま五條生まれということなのだろう」と理解していた。「奈良シニア大学」の入学式(4/14)で岩井洋氏(奈良シニア大学学長・帝塚山大学学長)による「『奈良学』への招待」という記念講演があり、そこで「五條新町に、鉄砲火薬の製造所があった」というお話を聞き、やっと話がつながった。五條新町は祖母(父の母)の出身地なので、思い入れがある。

しかし何しろ資料が乏しいので困り果て、五條市にお住まいの櫻井秀清さん(前「五條市観光ボランティアガイドの会」会長)に相談すると、五條文化博物館館長の藤井正英氏をご紹介いただき、貴重な資料を入手することができた。このようなご協力がなければ、到底1本の記事にまとめることはできなかった。この場で厚く御礼申し上げます。

「奈良ものろーぐ」、ネタはたっぷり。次回(6/25)もお楽しみに!


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真田丸(20)前兆

2016年05月28日 | 日々是雑感
前回(5/22)のNHK大河ドラマ真田丸は「第20回 前兆」だった。果たして何の「前兆」なのか…。そういえば、かつて「オーメン」(Omen=前兆)という映画があった。前兆という言葉は、たいてい良くないことの前兆である(良いことの前兆は「吉兆」だから)。NHKの番組HPから「あらすじ」を拾うと、

秀吉の側室となった茶々が子を身ごもる。秀吉は有頂天になるが、城下ではそれをやゆ(揶揄)する落書きが発見される。信繁は石田三成や大谷吉継と犯人探しに乗り出すが、捜査は難航する。怒りがおさまらない秀吉は、犯人が見つからなければ門番や町人たちまでをも処刑すると言い出す。知恵を絞る信繁。豊臣政権への信頼を揺るがしかねない事態に寧は…。

「揶揄する落書き」が何だったかは不明だが、一般的には次の落首(らくしゅ=戯れ歌)が知られる。後世の創作ともいわれるが…。

「大仏の くどく(功徳)もあれや やりかたな(槍刀)くぎかすがい(釘鎹)は 子たからめぐむ(子宝恵む)」
「大仏」とは建立中の方広寺の大仏。「やりかたな」はそのための刀狩り(金属供出)、「くぎかすがい」は刀をクギにすること。刀狩りをしてまで建立する大仏の力で子を授かった、という意味。落首とされるものはまだまだあるが、もう1首。

「ささ(佐々成政)絶えて茶々(淀殿)生い茂る内野原 今日は傾城(国を傾けるほどの美女)香をきそいける」
佐々成政は、肥後国人一揆の責任をとらされて秀吉に自害させられた武将。今は茶々という美女が色香を誇っているという意味だ。


秀吉の腹立ちようは尋常ではなく、関係者を次々と処刑した(秀吉には子ダネがなかったといわれている)。ここで秀吉に潜む残忍さがあらわになる。かつて司馬遼太郎は、『新史 太閤記』で、こんな情景を描いているが、恐ろしいことをあっけらかんとやるのが秀吉という男だ。

「(黒田)官兵衛、世の事はすべて陽気にやるのよ」 それが秘訣だ、と秀吉はおもっている。悪事も善事も陽気にやらねばならない。ほがらかにあっけらかんとやってのければ世間の者もその陽気さにひきこまれ、幻惑され、些細な悪徳までが明色にぬりつぶされて、一種の華やかさを帯びてくる。

さて、今回も藤丸タダアキさんの感想を彼のブログから抜粋しておく。秀吉(他から出資を得て作った会社の社長)と信長(自ら100%出資会社の社長)の比較など、とても興味深い。

最近、真田丸の感想が面白いと多くの方からエールをいただきます。私は歴史が好きで、歴史の話をしている時が一番楽しいです。中でも最も歴史の話が弾むのは、畏れ多くも有馬猊下(有馬頼底氏=臨済宗相国寺派管長)なんです。猊下は知識だけではなく、様々な歴史上の人物のお茶道具もお持ちです。前は蒲生氏郷(キリシタン大名)の作った茶杓を見せていただきました。さてさて、真田丸20話前兆の感想です。

真田信幸の縁組の話が冒頭にありました。いつの時代もそうですが、組織の前には個人とは無力なものですね。真田信幸の最初の妻“こう”は当初正室で後に側室になります。この“こう”は信幸の父、昌幸の一番上の兄の信綱の娘です。

昌幸には2名の兄がいました。信綱と昌綱です。この2名は武田家きっての猛将として名高い兄でした。二人は長篠の戦いで戦死します。昌幸はその当時、信玄の命で武田家の一族「武藤家」を継いでいました。それが武田信玄が昌幸を寵愛していた証拠だと言われています。昌幸が兄が二人亡くなったことも関係したのでしょう。

その遺児を引き取るという意味でも娘“こう”を息子にあてがったのでしょう。この時代はよくある話です。そして本多忠勝の娘が真田家に嫁いできました。信幸という人は一族の繁栄のために犠牲になる長男です。私は次男なので、特に思いますが、長男という役割は難しいですね。信幸は父昌幸・弟信繁がこれから起こしたことのすべてを償いながら真田家を最後まで守り通しました。

真田丸20話、前兆はここからがメインですね。茶々が懐妊したことに対して落書がでます。秀吉の生前から、どうも父親は秀吉ではなかったという話があったようです。一番疑われたのは石田三成だったそうですね。秀吉に子種がないというのを感じていたのは寧々さんらしいですね。なので、秀吉が亡くなると豊臣家から出て京都に隠棲しました。高台寺ですね。秀吉を弔うための寧々さんのお寺です。


秀吉は一種の残虐性を持っています。私はこれは信長の後継者としての秀吉の手法だったのではないかと思います。秀吉の師匠はやはり信長です。秀吉は信長を尊敬も敬愛もしていたでしょう。しかし、秀吉政権は信長政権との決定的な違いがあります。

信長政権は100%信長出資の会社です。信長の家は出来星大名と言われますが、信長の祖父の時代から事業がスタートします。そして、自ら近所を征服し、自分の領土を作り、家来を養います。家来はほぼ全員従業員です。信長政権は土地を征服して商圏も広げます。

信長の得意技は自由貿易圏を作ることですね。信長の領土に入ると自由に商売ができます。信長の領土が増えると共に、商人は商圏が広がることで経済が活性化し、信長政権にお金が入ります。そして、敵は必ず倒してしまうのが信長ですね。なので、時間はかかりましたが、100%自分の事業なんですね。

しかし、秀吉政権は出資が持ち寄りなんですね。秀吉政権は信長政権の商業政策の部分を色濃くを引き継いでいます。商業の自由化と商圏の拡大が秀吉政権の収益元です。敵を征服または傘下にすると、その分商圏が拡大されて商業が活性化し、秀吉政権にお金が入ります。なので、当時の価値観である土地=力という発想と少し違っていました。

秀吉は短期間での統一を目指し、敵を許して傘下に入れていきました。なので出資額の交換の元に競合会社をグループ企業化していったような感じだったのでしょう。当時、日本の総生産高は1800万石あまりだったと言われています。1石で1名の1年分のお米の生産量です。そういった観点からすれば、秀吉政権に下った大名の多くは出資者でもあります。

真田昌幸も10万石あまりを出資して秀吉政権に参加しました。徳川家康は150万石あまりを出資しています。実は秀吉政権は1800万石のうち、200万石あまりしか土地は持っていませんでした。秀吉政権末期では徳川家康は250万石の生産力がありました。家康の方が身代が大きいんですね。なので、秀吉は信長のように家来に自由にできなかったんですね。そこで、秀吉の虐殺性は家族に向いて行きます。そして、これから、残虐性が表面に出始めます。

それにしても石田三成の献身的な姿勢が素晴らしいですね。三成は秀吉政権のための本当に必要な柱でした。三成は関ヶ原の戦いに負けたことでかなり悪党の印象を与えられています。それを再検証したのは水戸黄門なんです。徳川光圀ですね。彼が三成は秀吉の忠臣だったと言いました。

ただ、三成はやはりその心意気が高すぎます。戦争だけが担当だった武将を軽蔑していたでしょう。自分は政権安定のために粉骨砕身している。戦争の時だけ活躍する人間とは違うんだという雰囲気がドラマでも出ている気がします。

秀吉への諫言では切腹と言われました。そして、寧々さんや茶々がフォローに入ります。しかし、寧々さんも茶々が子供を生めば立場がまた変わります。秀吉がつくってきた多くの女性関係がこれから複雑化していきます。今回の真田丸20話前兆は政権崩壊と残虐性の前兆だったと思いました。以上、真田丸の20話「前兆」の感想でした。次回も楽しみです。
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田中利典師/随想随筆(2)僧侶派遣業の是と非

2016年05月27日 | 奈良にこだわる
金峯山寺長臈(ちょうろう)の田中利典師が中外日報(宗教・文化の専門紙)に4回連載される「随想随筆」の第2回(5/20付)を紹介する(第1回は、こちら)。師のブログ「山人のあるがままに」に掲載された。
※トップ写真は「りてんさんといく蔵王堂夜間拝観と修験講座」(4/29)で。お隣りは田中ひろみ女史

今回のテーマは「僧侶派遣業の是と非/激動の時代に新たな要求」。Amazonが開始した「1回35,000円で法事法要を手配する」というサービス(お坊さん便)に対する師のご意見である(Amazonが始める前から、同種のサービスはあったそうだが)。

ブログには《先々週から、中外日報で連載の始まった拙稿「随想随筆」全4回の第2回分です。しばらく、東京・群馬・京都と連泊出張が続き、家を留守にしていて、記事をアップするのが遅くなりました。例のAmazonの僧侶派遣業についても、書いています。ちょっと甘い視点かもしれませんけど…。よろしければご覧下さい》。では、記事全文を抜粋する。

 マンガで学べる仏像の謎 (単行本)
 田中ひろみ
 JTBパブリッシング

僧侶派遣業の是と非/激動の時代に新たな要求
昨年十二月、釈尊成道会の日にAmazonが僧侶派遣業務を開始して、仏教界内外で物議を醸し出した。宗教行為を商品化するとは何事かと仏教界から大反発があったが、一部の僧侶の中には歓迎するむきもある。もうずいぶん前の話になるが、あるお寿司屋さんで、そこの大将が語った言葉に感心したことがある。

「回転寿司店がどんどん出来て、私たちが困ると思っている人がいるが、違うんだよ。子どもの頃からああしてお寿司を食べる習慣をつけてくれるのは嬉しいねえ。いつかは大人になってこっちに来てくれるようになるのだから…」というような話であった。ものは考えようという単純な話ではない。何事も現実に起こることはその時代の要請なのだから、あらがいようがない。

Amazonの僧侶派遣も善し悪しの問題ではなく、現実に社会の要請があって、物事は起こっているのである。先祖代々のお寺と檀家との関係が壊れつつあるのは明白だ。そもそも檀家制度という日本独特の制度が出来たのは江戸時代のこと。当時の日本人の人口はせいぜい二千万人前後で、現在の日本の人口は一億二千万人を超えるから、わずか四百年ほどで約六倍の伸びを見せたわけである。


 お坊さん便
 法事法要手配チケット
 株式会社みんれび

物事は三割四割の増加には内部努力で対応出来るが、五倍六倍となると、そんな程度ではなんともならない。制度自体、構造自体を作り直さないと対応など出来ようがないのである。その点、檀家制度は明治の神仏分離や戦後の農地解放など激変期を乗り越え、よくぞここまで保ってきたモノだと関心さえする。

今までのあり方が全否定されたわけではない。檀那寺と関わりを持てない都会人が増え、檀家制度を支えてきた地域の共同体も喪われて行く中で、日本仏教が新たな要求に晒されているということだろう。今までのあり方で通用するお寺もある。一方、過疎化のあおりを受けて、廃寺となる地方寺院もたくさんある。今まで以上に日本人の信仰心を問うような活動を仏教界が要求されていると思うことが肝要なのだ。

Amazonを通じて、葬祭をこなし、僧侶を呼んだ人は決して無宗教な人間ではない。寿司屋の話ではないが、大いに結構、いずれは本物の寿司を握っているウチに来るんだ、くらいの気持ちで、ドンとしていてもよいのではないだろうか。


これは思い切ったご発言である。「現実に起こることはその時代の要請なのだ」「いずれは本物の寿司を握っているウチに来るんだ、くらいの気持ちで、ドンとしていてもよい」。かつて勝間和代は「起きていることはすべて正しい」と言い放ったが、現実にこのようなニーズがあるから、このような商売が成り立つのも事実である。

私もAmazonの僧侶派遣の話を聞いたときは、正直「日本はここまで来たか」と驚いた。そして「四十九日は、初盆は、一周忌は、三回忌はどうするのだろう?」という素朴な疑問も沸いた。特定のお寺と良い関係を築いていないと、葬儀の「その後」の法事法要ができないからだ。しかし「必ずしも葬儀後に法事法要が必要というわけでもないので、省略する人もいるだろうな」と思い直した。これは1つの「割り切り」である。

かつて知人に、自家の宗旨をよく知らない人がいた。御尊父の通夜は真言宗で行ったのに、翌日の葬儀は浄土宗の寺からお坊さんを呼んでいた。しかし、それを指摘した人は私以外にはいなかったそうだ。たまたま私は高野山真言宗なので初日に気づき、翌日「あれっ、お寺が違う」と分かったのである。

本人に聞くと「通夜のあとで母親によく聞くと浄土宗だったので、翌日は交替してもらった」とのこと。「南無大師遍照金剛」と「南無阿弥陀仏」は大違いなのに、なんとも暢気な話だ。家に仏壇のない人は、自分の宗旨や檀那寺を知らないケースも出てくるのだろう。そもそも「葬儀を仏式でする」というのも単なる慣習だ。そうなると「本物の寿司を握っているウチに来る」ということも、なくなってしまうかも知れない。

十津川村にいる別の知人によると、廃仏毀釈以来、村にはお寺がないので(最近は出来つつあるらしいが)、葬儀にお坊さんは来ない。葬儀は神道式の「神葬祭」となる。だから墓石も仏壇もなければ、年忌もお盆参りもないのである。もちろん葬儀には天理教式も、大本教式も、キリスト教式もある。おそらく昔はこのようなバリエーションがたくさんあったものが、いつの間にか仏式にさや寄せされてきたのだろう。もしかすると、近代日本における「火葬の普及」と関係するのかも知れない。

とまあ、いろいろと考えさせてくれる「随想随筆」であった。利典師、次回も楽しみにしています!
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