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tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

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田中利典師の「つながりの中で生きる」(JR西日本あんしん社会財団「2020年度 第2回 いのちのセミナー」)

2025年05月06日 | 田中利典師曰く
今日の「田中利典師曰く」は、〈いのちのセミナー配信!〉(師のブログ 2021.3.23付)。今日で師のブログ「山人のあるがままに」からの紹介は、最終回となる。師のブログが終了しても、Facebookなどでの発信は続くので、この連載「田中利典師曰く」が終わる訳ではないが、師のブログからの紹介は、一旦これで打ち止めとなる。
※画像は、JR西日本あんしん社会財団の広報誌および師のブログから拝借

連載の最終回で師は、〈「いのちのセミナー」の配信用法話(動画)を収録させて頂きました〉とお書きだが、この回の動画配信はすでに終了している。しかし内容は、JR西日本あんしん社会財団の広報誌(2021年4月発行の第42号)に掲載されていたので、今日はそれを紹介させていただく(後半の紫色の部分)。ちょうど師の修験道のお話の「総まとめ」なので、ぜひ熟読していただきたい。

「いのちのセミナー配信!」
先に告知しましたとおり、大阪にて、JR西日本あんしん社会財団が開催している「いのちのセミナー」の配信用法話を収録させて頂きました。本来は大きな会場での講演会の依頼でしたが、コロナウイルス感染拡大により、配信法話となりました。

今回の取り組みは「安全で安心できる社会づくり」の一端を担いたいとの思いから、事故や災害に遭われた方々などへの心身のケアに関わる活動や、地域社会における安全構築に関わる活動に対する支援及び安全に関する啓発活動等を展開されているJR西日本あんしん社会財団さまの活動の一環として、ご依頼を受けました。

本日から6/30まで(2021.3.23~6.30)、JR西日本あんしん社会財団公式サイト内で配信されています。誰でも無料で視聴出来ます。過去にいろいろな講演会に呼ばれてきて、その都度厚かましくも、大きな汗をかきながら、なんとかつとめさせて頂きましたが、今回は約55分の収録をモニター相手に延々とひとりでしゃべるという、経験したことがない事件?でした。

正直67点の出来です。これは、最後の7分間が、珍しくいろいろ揉めたり、ミスったりで、そこまではすらすらと一発収録でしたが、最後はテイク4まで撮り直すという、これも私にしては珍しい出来事があり、自己採点は低いものでした。

まあ、でも、頑張ってるなあとも思いますが、最後の顔が渋いのはそのせいです(笑)。よろしければ55分、お付き合いください。内容は八割以上、いつもどおりのいつものお話です




2020年度第2回いのちのセミナー(ウェブにて配 信)
期 間 2021年 3月2 3日( 火)~ 6月3 0 日(水)14:0 0

新型コロナウイルス感染症の収束が見られないことから、引き続き「いのちのセミナー」をウェブにて配信することになりました。

繋がりの中で生きる~修験道(しゅげんどう)に学ぶ~
講師:田中 利典氏 総本山金峯山寺長臈(きんぷせんじちょうろう)、種智院大学客員教授


修験道とは
修験道とは日本古来の山岳信仰に様々な教えが合わさってできた独自の宗教であり、もともと日本にあった神道、そして外国から伝わってきた仏教や道どうきょう教などが習合して成立した日本独自の民俗宗教と言われています。様々なものを認めてきた日本だからこそ生まれた信仰です。奈良県吉野にある金峯山寺はその修験道の聖地であり、私はその修験道、山伏(やまぶし)の僧侶です。

山の宗教・山伏の宗教
山伏の名前は、山に伏し、野に伏して修行することに由来します。大自然を道場に、大自然に神・仏がおられることを前提に修行していく、いわゆる祈りの登山で、神や仏に対する畏れを持った、聖なるものに触れ合う、出会うという山修行の宗教。これが修験道です。

その中心に、夏になると吉野から熊野に至る約170キロを1週 間ほどかけて行ずる「大峯奥駈(おおみねおくがけ)修行」という修行があります 。 朝 3 時ぐらい に 起き、1 日 約 1 2 時 間 、1週 間 続 け て歩 きます。ただ歩くだけではなく、自然の中に神・仏がおられることを前提に、祈りながら、拝みながら行じていきます。

神仏習合(しんぶつしゅうごう)の 宗 教・ 神仏混淆(しんぶつこんこう)の宗教
修験道は八百万(やおよろず)の神(かみ)も八万四千(はちまんしせん)の法門(ほうもん)から生ずる仏も、分け隔てなく尊(とうと)ぶ宗教です。日本には沢山の神様が存在しておられ、仏壇も神棚も持ち得るような日本人の根源的な祈りが具現化した宗教です。

日本には元々神道という信仰がありましたが、6世紀の半ば、中国から朝鮮半島を経て仏教が伝わり、当初蘇我氏vs物部氏のような崇仏派(すうぶつは)と廃仏派(はいぶつは)との争いはありましたが、その後の1,300 年間、日本では仏教の仏様と神道の神様は蜜月関係の夫婦の如く、仲良くしてきました。

修験道というのは、まさにそこから生まれた宗教であり、仏教を父に、神道を母に、仲の良い夫婦の間に生まれた子どものような存在なのです。

実修実験(じっしゅうじっけん)・修行得験(しゅぎょうとっけん)
これが最も修験道の大事な部分です。自ら修行することで、自ら「 験力(げんりき)」「しるし」を得る宗教です。命綱も持たずに岩を登っていく、あるいは、滝に打たれるということもあります。自分の体を使って行ずる宗教なのです。

山での修行では、「懺悔懺悔(さんげさんげ)、六根清浄(ろっこんしょうじょう)」 という、山念仏(やまねんぶつ)、掛念仏(かけねんぶつ)を唱えながら歩きますが、キリスト教では「ざんげ」、仏教では「さんげ」と唱えます。

六根とは、目、耳、鼻、舌、身、意であり、私たちが外界の世界を内に認識する入り口です。これを清浄することで、身も心も神・仏に清めていただく。そういうことを心に描きながら山を歩くわけです。1日12時間も歩きますと、いつの間にか心の中が空っぽになり、まさに神・仏に六根を清められたような、そんな気持ちになります。そのようなひとときを持つことが修験道の実践の世界です。

人間は、心でもって心をおさめるのはなかなか難しいもので、体を使って何かをする中で心がおさまっていくということが沢山あります。山伏の修行というのは、まさに体を使って、何か自分の中に新しいものを生み、自然の中におられる神・仏の力によって自分の身と心が清められていく。そういう体験を通じて験力を体得していく世界なのです。

禁止された修験道
修験道というのは、明治になり受難の時代を迎えます。明治初年の神仏分離(しんぶつぶんり)・神仏判然令(しんぶつはんぜんれい)に続き、明治5年には修験道廃止令が出され、修験道のお寺は廃絶するか神社に姿を変えることになりました。

それによって現代において山伏は縁遠くなりましたが、能や歌舞伎には山伏は沢山登場しているのをみてもわかるとおり、明治までは皆さんの身近に山伏がいたということです。

山伏の効用
山伏の修行には 、「 擬死再生(ぎしさいせい)」という、一度死んで生まれ変わるという意味があります。例えば、奥駈修行では1週間ぐらい山に入り、1日10時間以上歩き、本当に苦しい体験をします。自分の中で一度何かが死んで、新しい自分が生まれ変わることを感じるわけです。

また、山伏の教えの中で、死に習うということをよく言います。死に習うというのは、死を意識して生きるというような意味です。物事というのは、止まったときに初めて本質が見えるものです。動いている間はわからない。

生きるということも同じで、生きている間は生きる本質を見つめ直すのは難しい。しかし死んでからでは遅い。死に習うということは自分の死を意識して生(せい)と向き合うことを言います。それを実践しているのが山伏の修行なのです。

また、山伏の修行は、山の行より里の行ということをよく言います。これは山で修行をした力を里で生かすことを意味します。山で修行した力を里に下りて生かすこと、つまり山で体験した擬死再生の修行を日々の生活の中で生かすことが大切なのです。

修験道に学ぶ
山の修行中に般若心経(はんにゃしんぎょう)というお経を上げていますと、私の前に小さなアオムシが大木の下から上へ登っていく姿が目に入りました。お経の間ずっとそのアオムシを見ていますと、ふと、このアオムシは前世の私だと感じました。このアオムシだった私と、今の私はどこかでつながっているなということを、山の修行の中で感じることがありました。

またあるときは、雨中での勤行(ごんぎょうちゅう)中、この降っている雨、雨を降らせている空、雨を受けている私、雨を受けている草・大地は全部つながっている。私の周りの世界は全部私とつながっていると、そんな気持ちが起こってきたことがありました。あらゆるものとつながっている安心感みたいなものを、山の修行で感じたわけです。

生きる本質とは、実は、様々なものとのつながりの中にあるということが 、私は大事だと思います。「つながり」の側に本質がある。たとえば夫婦という本質は、主人側にも奥さん側にも本質はなく、つながりの側に夫婦の本質がある。

あるいは、親子も、親子というつながりの中に本質がある。我々はどうしても、それぞれの側に本質があろうと勘違いしますが、つながりの中にこそ物事の本質があり、つながり合う中で私たちは生きているわけです。

私は山の修行の中で、大きな命、大きな宇宙、大きな自然とつながっているという体験を通じて、すごく安心するという実感を持ちました。つながり合う中に物事の本質があることを学んだとき、生きていることがすごく楽になりました。

現代社会は様々な問題を抱えており、様々な問題が孤独な自分、孤独な生をつくってしまう傾向にありますが、つながっているということを、あるいはつながりの側に本質があるということを心に収めたとき、変な孤独は起こりにくいのではないでしょうか。

つながり合う中に生きていると思ったとき、私たちの「いのち」というものは、もっと緩やかに、また、温かくなるのではないかと思います。

結びとして
現在、世界中が新型コロナウイルス感染症に苦しんでおります。この感染症に打ち勝つ方法は2つあり、1つは感染しないこと、感染させないこと。もう1つは感染しても負けないこと。それには宗教的な生活がとても大事であると思っております。

自分だけが助かる、自分だけがよいということではなく、皆が助け合う、皆が健康で幸せで生きることを願うということです。“皆で”打ち勝っていかないと、感染症というのはなくならないわけです。

そうすると、皆で幸せになっていこう、皆で負けないでいこうということを祈り合う。この祈りの心を持つことであり、自分だけの利ではなく、他人の利益、他人の利を願っていくことがとても大切なのではないでしょうか。

私どもは去年の4月から、疫病退散(えきびょうたいいさん)、万民安楽(ばんみんあんらく)のお祈りを正午の祈りとして行っています。

これは東大寺さんを中心に、私どもの金峯山寺、高野山金剛峯寺(こんごうぶじ)、あるいは神社さん、キリスト教の教会の方も一緒になり、場所は違いますが「時」と「心」を同じくして、皆がコロナの苦しみから、疫病の苦しみから救われるよう、これ以上苦しいことが起こらないよう、疫病退散のお祈りを行っています。

コロナによる分断に打ち勝つには、皆がつながっているということを、祈りの中でつくっていくことが大事なのではないでしょうか。「繋がりの中に生きている自分の『いのち』への向き合い」、これこそが、山伏修行の中で、私が感じたもの得たものなのであります。




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田中利典師の「コロナ禍に思う」

2025年05月04日 | 田中利典師曰く
今日の「田中利典師曰く」は、〈田舎から見えるモノ〉(師のブログ 2020.5.1 付)。この頃、日本、そして世界はコロナ禍に突入し、師のブログも滞りがちになる。師は〈このままではコロナ禍よりも、経済破綻と精神崩壊のせいで、多くの命が奪われ、多くの人々の生活が奪われるのではないだろうか〉とお書きである。
※トップ写真は、ウチの近隣公園の桜(コロナ禍の2020.3.30 撮影)

私も「Stay Home」を言われて、しばらくは家にジッとしていたが、途中から「これはダメだ、精神衛生に悪い」と気がつき、県内各所を訪ね歩くことにした。そのとき「移動の自由を奪われるというのは、こんなツラいことなのか」としみじみ思ったし、「政府は、こんな厳しいことを国民に強制する権利はあるのか」、とも思ってしまった。では、記事全文を以下に紹介する。

「田舎から見えるモノ」
私は京都府下の片田舎・綾部というところに生まれて、15年いた。それから少し都会の生活も経験して、24歳からは奈良県南部の吉野山というところに36年暮らし、60歳で故郷綾部に戻ってきて5年が経った。そんな綾部での田舎暮らしが板につき出した令和の今、折からのコロナウイルス騒ぎである。

で、このコロナウイルスは正体がよくわからないのだ。なんと2月には早々と綾部からも感染者が出た。クラスターとなった梅田のライブハウスに出かけた人物が綾部にいたからである。その後、彼女は陽性から陰性に転換し、病院も退院したようで、4/30現在では綾部市に感染者はいない、ということになっている。

3/2には全国の小中高校への休業要請がでて、その解除がなされぬまま、4/7には全国の都道府県に非常事態宣言さえ発令された。集・近・閉(あえて三密とは言わない…)が堅く禁じられ、劇場や文化施設、飲食店、居酒屋、バーに至るまで自粛要請が出されて、都市では公共交通機関やスーパー、コンビニなどライフラインに深く関わる業種を除き、ほとんどが機能不全と化している。

私も続々と講演会などの中止延期の連絡がはいり、宗教行事の自粛も続いていて、かつてないほど暇にする時間が出来た。仕方が無いので、毎日、里山の夕暮れを散歩している。今日もいつものように、6リットルのリュックを背負って散歩に出かけた。

すっかり見慣れた穏やかな里山は夕陽とともに静かに暮れなずんでいく。そんな平和な風景に見入りながら、ここのどこにコロナウイルスの災禍があるのだろうかとふと考えた。

医療現場で感染の脅威と戦かっておられるお医者さんや看護士さんたちには本当に申し訳ないし、叱られるかもしれないが、片田舎の夕暮れは半年前も1年前も、ほぼほぼ変わることなく、平和な恩恵を与え続けてくれている。

人は生まれ落ちれば必ず誰でも死ぬ。今年はコロナのせいで、インフルエンザによる死者数が例年と比べて極端に減っているというし、コロナが原因で死んだと特定される日本での死者数はまだ300人程度だともマスコミが伝えている。平年のインフルエンザ死者数の三分の一にも満たないらしい。

どうもその辺もこのウイルスの正体がよくわからない原因かもしれない。里山の平和な夕暮れに佇むと、全世界や全国各所で大騒ぎされている気配が感じられないのが正直な感想である。

コロナ禍で、志村けんが急逝し、女優の岡江久美子も亡くなった。世間で大騒ぎになったが、考えれば、石原裕次郎も美空ひばりも、それから坂本九も理不尽な理由で早世した。私が大好きだった松田優作も若くして死んだのだった。人はいつも理不尽に死ぬのである。コロナのせいだけではない。

このままではコロナ禍よりも、経済破綻と精神崩壊のせいで、多くの命が奪われ、多くの人々の生活が奪われるのではないだろうか。平和な綾部に暮らしていると、そんな田舎暮らしならではの見え方をついついしてしまうのである。ともかく一日も早い感染終息を念じてやまない。
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田中利典師の「2代目・3代目 そろい踏み」

2025年05月02日 | 田中利典師曰く
今日の「田中利典師曰く」は、〈三代目…〉(師のブログ 2019.6.17 付)。師は、林南院恒例の「大峯山上参り」修行(2019.6.15~16)を主宰された。暴風雨に見舞われながら全員、無事、お勤めを終えられた。トップ写真(=打ち上げの様子)向かって左端は、利典師の一番弟子、河内利心さん。右端は、利心さんの息子さん。師のお隣は師の息子さん。

利心さんは昨年(2024年)5月に75歳でお亡くなりになり、本年4月20日に1周忌をお迎えになった。神戸での1周忌にお参りした師は、〈ホントに惜しい人を亡くしました。頼りにしていただけに、私にとってとてもとても痛い損失で、さみしいです。しっかりと弔って来ました〉とお書きである。写真は、貴重な2代目・3代目 そろい踏みの記念写真である。では、記事全文を紹介する。

「三代目…」
うちは父の代に発心をして、修験僧の道に入った。金峯山寺の末葉に入り、宗議会議長なども努めて、地元の綾部に一宇を建てた。自坊の大容山「林南院」である。

一昨日・昨日はその林南院の恒例の「大峯山上参り」修行。父が林南院を建てる前から主催していた山修行で、父の代から私に受け継がれ、絶えることなく続いている。 実は私はこの3月に両膝を壊し、回復するどころかさらに酷くなっていたので、今年の参加は半分以上諦めていた。

息子やお弟子さんたちにお任せをして、留守番組に廻ろうかと思っていたのだが、山上ヶ岳本堂の御本尊もご開帳中だし、5月の東南院令和元年記念山上法要も登拝できなかったので、なんとか皆と一緒にという思いもあって、直前まで悩んだ末、意を決して、必死で登って来た。

久しぶりの暴雨風での修行となったが、なんとか、全員無事に勤め終えたのだった。昨日は東南院大祭にお参りし、綾部に帰山。今日はさすがに体中ががたがたである。膝は曲がらないくらい痛い。午後から、針100本以上打つ先生のところで、診てもらうことになっている。

ところで、写真は「山上参り」精進落としの席でのもの。実は2代目3代目のそろい踏みの写真である。父の一番弟子だったのが四国別院の住職だったK和尚で、やはり私の一番弟子となったK和尚の息子さん。

そして20数年ぶりに参加してくれたK和尚の孫に当たるのがその息子さんで、二人が両側。真ん中は私と私の息子。なかなかない2代目3代目のそろい踏みなのである。こういう形で大峯修行も受け継がれていけばよいと改めて思った。
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田中利典師の「やりかけのことばかり」

2025年04月29日 | 田中利典師曰く
今日の「田中利典師曰く」は、〈やりかけのことばかり…〉師のブログ(2019.5.22付)。2015年、吉野山の金峯山寺から、還暦の60歳で故郷の林南院(京都府綾部市)に戻られて、この年で、はや4年。
※トップ写真は、ウチの近隣公園のツツジ(コロナ禍の2020.3.30 撮影)

利典師は〈人間というのは時間が出来たからと言って、余暇を楽しむとか、有意義に過ごすとか、そういうことはなかなか出来ないもので、かえって時間があると思うほど、仕事のペースは落ちて、思うようにことは運ばない〉とお嘆きである。

今年(2025年)で利典師は古希(70歳)をお迎えになるが、お仕事や本・ビデオの整理は、進捗されたのだろうか。では、以下に全文を紹介する。

「やりかけのことばかり…」
見ようと思って録画した映画はもう100本くらい貯まっている。ビデオ録画に入ったままのドラマやドキュメンタリーもずいぶんある。「西郷どん」などは4月から12月までの分を録画したまま、まだ全然追いついていないのに、今の大河「いだてん」も第5回目までみただけであとは溜まってしまっている。

読みかけの本も5~60冊は手元にある。ここ2ヵ月の間でも5冊買って、3冊は読みかけで止まっている。なんでこんなに中途半端なのだろうとつくづくイヤになる。金峯山寺の総長時代と違って、いまは時間もかなりある。というか、あの頃の私って、ほんとにどうかしてたとしか思えないような毎日を過ごしていた。

しかし、人間というのは時間が出来たからと言って、余暇を楽しむとか、有意義に過ごすとか、そういうことはなかなか出来ないもので、かえって時間があると思うほど、仕事のペースは落ちて、思うようにことは運ばない。

やりかけの「修験道あるがままに」のシリーズもようやく④に手を入れ終えたが、まだあと⑤が残ったままである。これくらいは6月中にやり終えなければ。そういや、東大寺グレイトブッディストシンポジュウムの講演録も、締め切りが先だというのでほったらかしになっているなあ…。で、表題の、やりかけのことばかり…と、ぼやくはめになってしまう次第である。
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田中利典師の「半日断食」(3)

2025年04月26日 | 田中利典師曰く
今日の「田中利典師曰く」は、〈プチ断食生活〉(師のブログ 2019.5.19 付)。師は同年2月下旬以来、約80日間、「半日断食」(前日の夕食から当日の昼食まで約18時間を空腹にする)を続けられた。その間に一度(3月半ば)、48時間の「本断食」をされ、体重も85kgから76~78kgに落とされたそうで、これはスゴい。では、師のブログ全文を以下に紹介する。
※トップ写真は、ウチの近隣公園の桜(コロナ禍の2020.3.30 撮影)

「プチ断食生活」
ご存じのように、(2019年)2月下旬の鼻血事件以来、半日断食生活に入り、80日近くになりました。体重も85キロから78キロに一ヵ月間で落ちて、それ以後も76~78キロを維持しています。昨年は一時、91キロにまで体重がふえたことがあったので、それから見るとかなり痩せました。ズボンがぶかぶかですね。

80日の間で、3月半ばに1度、48時間ほどの本断食をしましたが、なんとか時間がとれそうなので、一昨日の昼以降、法務の傍ら、2度目の本断食に入っています。今朝は自坊の脳天堂の月例護摩。9時から行じて、午前中は新車加持祈祷などの法務をこなし、今日の午後、50時間が満ちるのをメドに断食明けをします。

本当は本断食というと3日間の断食がメドなので、ちょっと足りないプチ断食です。本断食は1度すると、3ヶ月以内にもう一度、そして半年以内に3度目の断食をすると、宿便退治の効果があがると聞いています。

今朝の体重は76キロちょうど。身長177センチの私の、理想健康体重に近づきました。かつての20代前半の体重です。でも、腹減ったなあ…(^_^;)
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