田中利典師は、FMいかる(京都府綾部市)の「情報キャッチ!とれたてワイド763」に、コメンテーターとして出演されている。パーソナリティは、同局の光枝明日香さんである。番組の中の「神と仏のオープンカレッジ」コーナーでは利典師が、修験道や仏教をはじめ、神仏に関する話題を分かりやすく解説されている。
先週と今週は「神道について」というタイトルで、2回にわたり神道の歴史などをお話しされた。音源をメッセンジャーでお送りいただいたので、以下、簡単にその概要を書いておく。
PARI 1.
神道は日本独特の宗教で、開祖も聖典も教義もない。しかし人々の生活に溶け込み、全国に広まっている(弥生時代、稲作の普及とともに広まったか=自然を神と一体とみる自然信仰、アニミズム、原始神道)。自然の中のあらゆるものに、神や霊魂が宿っていると見る。律令体制が成立すると、祭祀制度などが整備された。
PARI 2.
弥生時代の遺跡からは祭祀具などが出土するので、神祭りが行われていたことがわかる。律令国家においては神祇令が定められ、行政機関として神祇官が置かれた。また仏教伝来により、神殿や神像が作られるようになる。
平安時代には「本地垂迹説」(鎌倉時代には逆の「神本仏迹説」も)、江戸時代には儒学者により「儒家神道」(神儒一致思想)、幕末には「国家神道」(祭政一致、王政復古)が唱えられるようになる。第二次大戦の敗戦後、GHQの神道指令により国家神道は解体されたが、日本の年中行事や人生儀礼の中で、神道は今も根付いている。
このように利典師は、弥生時代頃に始まった神道の歴史を、短時間に要約してお話しになった。私は学生時代、「西洋哲学史」の授業で、スピノザの「汎神論」を知った。〈自然が神であり、すべての現象は神の現われ〉〈神は1つ、しかしその現れは多様〉とする考え方で、「おお、これは神道の考え方と同じではないか」と思ったが、それは間違っていなかったようだ。
開祖も聖典も教義もないが、日本人の暮らしに溶け込んだ神道、時々は神さまに手を合わせ、健康に生かされていることの感謝の気持ちを表したいと思う。
先週と今週は「神道について」というタイトルで、2回にわたり神道の歴史などをお話しされた。音源をメッセンジャーでお送りいただいたので、以下、簡単にその概要を書いておく。
PARI 1.
神道は日本独特の宗教で、開祖も聖典も教義もない。しかし人々の生活に溶け込み、全国に広まっている(弥生時代、稲作の普及とともに広まったか=自然を神と一体とみる自然信仰、アニミズム、原始神道)。自然の中のあらゆるものに、神や霊魂が宿っていると見る。律令体制が成立すると、祭祀制度などが整備された。
PARI 2.
弥生時代の遺跡からは祭祀具などが出土するので、神祭りが行われていたことがわかる。律令国家においては神祇令が定められ、行政機関として神祇官が置かれた。また仏教伝来により、神殿や神像が作られるようになる。
平安時代には「本地垂迹説」(鎌倉時代には逆の「神本仏迹説」も)、江戸時代には儒学者により「儒家神道」(神儒一致思想)、幕末には「国家神道」(祭政一致、王政復古)が唱えられるようになる。第二次大戦の敗戦後、GHQの神道指令により国家神道は解体されたが、日本の年中行事や人生儀礼の中で、神道は今も根付いている。
このように利典師は、弥生時代頃に始まった神道の歴史を、短時間に要約してお話しになった。私は学生時代、「西洋哲学史」の授業で、スピノザの「汎神論」を知った。〈自然が神であり、すべての現象は神の現われ〉〈神は1つ、しかしその現れは多様〉とする考え方で、「おお、これは神道の考え方と同じではないか」と思ったが、それは間違っていなかったようだ。
開祖も聖典も教義もないが、日本人の暮らしに溶け込んだ神道、時々は神さまに手を合わせ、健康に生かされていることの感謝の気持ちを表したいと思う。