NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は、毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「ディスカバー!奈良」を連載しています。前回(12/7)掲載されたのは「遍昭と小町の歌碑 天理市の厳島神社」、筆者は広島県ご出身・生駒市在住の田原敏明さん。70歳代の半ばとはいえ、元気いっぱいにガイド活動に取り組んでおられる。
※トップ写真は厳島神社
田原さんとは3年前の2014年、天理市制60周年記念「天理再発見バスツアー(秋)」でご一緒した。天理市が公募し、奈良まほろばソムリエの会が応募して選ばれたバスツアーで、春と秋の2コース、それぞれ2回実施しご好評いただいた。秋のコースで訪ねたのが厳島神社(良因寺跡)だった。
私はここを全く知らず、コースの下見の時に田原さんに連れられて訪ねた。「へぇー、こんなに狭いところに、そんな逸話があったのか」と驚いた。今も知る人は少ないだろう。では記事全文を紹介する。
厳島神社境内の歌碑
厳島神社と名の付く神社は数多くあります。天理市布留(ふる)町の石上神宮に近いこの厳島神社は、古くは石上寺伝承地とも、僧正遍昭が住んだ良因寺跡とも伝わります。狭い境内に遍昭が六歌仙仲間の小野小町と交わした歌碑があります。
宮廷生活を辞した小町が石上寺に詣でた際、日が暮れ近くに住む遍昭に一夜の宿を求めた歌です。
(小町)「いそのかみ旅寝をすれば いと寒し 苔(こけ)の衣をわれにかさなむ」
(遍昭)「世をそむく苔の衣はただ一重 かさねばうとし いざ二人ねむ」
美女の誉れ高かった小町と、桓武天皇の孫で蔵人頭を辞して出家した遍昭。夜を徹して来し方・行く末を語り合う二人の世界にしばし思いをはせる。
もうすぐ正月。小学4年生の孫娘は学校で百人一首の暗唱に夢中です。「わかみよにふる なかめせしまに」「をとめのすかた しはしととめむ」の意味が分かる年齢かな?
メモ:JR・近鉄天理駅前の商店街を抜けて石上神宮方面へ徒歩20分、布留交差点すぐ。(奈良まほろばソムリエの会 田原敏明)
※トップ写真は厳島神社
田原さんとは3年前の2014年、天理市制60周年記念「天理再発見バスツアー(秋)」でご一緒した。天理市が公募し、奈良まほろばソムリエの会が応募して選ばれたバスツアーで、春と秋の2コース、それぞれ2回実施しご好評いただいた。秋のコースで訪ねたのが厳島神社(良因寺跡)だった。
私はここを全く知らず、コースの下見の時に田原さんに連れられて訪ねた。「へぇー、こんなに狭いところに、そんな逸話があったのか」と驚いた。今も知る人は少ないだろう。では記事全文を紹介する。
厳島神社境内の歌碑
厳島神社と名の付く神社は数多くあります。天理市布留(ふる)町の石上神宮に近いこの厳島神社は、古くは石上寺伝承地とも、僧正遍昭が住んだ良因寺跡とも伝わります。狭い境内に遍昭が六歌仙仲間の小野小町と交わした歌碑があります。
宮廷生活を辞した小町が石上寺に詣でた際、日が暮れ近くに住む遍昭に一夜の宿を求めた歌です。
(小町)「いそのかみ旅寝をすれば いと寒し 苔(こけ)の衣をわれにかさなむ」
(遍昭)「世をそむく苔の衣はただ一重 かさねばうとし いざ二人ねむ」
美女の誉れ高かった小町と、桓武天皇の孫で蔵人頭を辞して出家した遍昭。夜を徹して来し方・行く末を語り合う二人の世界にしばし思いをはせる。
もうすぐ正月。小学4年生の孫娘は学校で百人一首の暗唱に夢中です。「わかみよにふる なかめせしまに」「をとめのすかた しはしととめむ」の意味が分かる年齢かな?
メモ:JR・近鉄天理駅前の商店街を抜けて石上神宮方面へ徒歩20分、布留交差点すぐ。(奈良まほろばソムリエの会 田原敏明)