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tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

万博も開幕し、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

72歳の 中学クラス会

2025年03月31日 | 日々是雑感
中学校のクラス会(九度山中学校第22期生同級会)が先週の土曜日(2025.3.29)、和歌山県橋本市神野々(このの)の「ゆの里」で開催された。参加者は45人(A~D組までの4クラス)。年齢は概ね72歳だ。
※トップ写真中央は岡本章(あきら)くん(九度山町長)。冒頭挨拶し、乾杯の音頭を取った

出席者はそれなりに元気ではあるが、特に男性は老けて見える。頭髪が白くなったり寂しくなった人が多いのと、あとは肥満。それに比べて女性たちは若々しいし、活発な人が多い。お洒落もしている。それらの結果が、寿命に影響するということなのだろう。

しかも配られた名簿を見て、驚いた。物故者が10人もいたのである(男性7人、女性3人)。そのうち5人は比較的最近亡くなったようであるが、故郷を飛び出した私は、全く知らなかった。前回のクラス会からは10年以上が経過しているので、やはり60歳を超えると、物故者も増えるのだ。そういえば私の会社の同僚も昨年、不摂生な生活を続け、67歳で心筋梗塞のため急逝した。

当日の欠席者からはコメントが届いていて、そこには「体調が芳しくありません」「足腰が痛くなって」「気持ちは若いですが、体は80歳代です」「メニエール病(内耳が原因のめまい)で体調不良のため」「腰の具合が良くないので」等々。

昨日(2025.3.30)は当ブログで、田中利典師の「死生観」を紹介したが、やはりこのトシになると、「死」が近づいていることを実感する。だから次回のクラス会は「2年後」に開催するそうだ。私は「隔日断酒」のおかげで肝機能がV字回復したので、まあ2年は大丈夫だろう。

この日は私が編集に関与した共著書をお1人に1冊ずつ進呈したが、次回が2年後なら今、着手している新著を早く仕上げなければ…。その「時間との戦い」がボケ防止になるのなら、頑張り甲斐もあるというものだ。

同級生の皆さん、2年後の再会を楽しみにしています!
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田中利典師、「死」について考える

2025年03月30日 | 田中利典師曰く
今日の「田中利典師曰く」は、〈わが死の話〉(師のブログ 2018.10.5 付)。この年(2018年)、利典師はまだ63歳。〈本当の意味では、身につまされるような切迫感はないわけで、切迫感が無いからこそ、自分の死をある意味自由に、そしてまあ楽しげに考えられそうな気がする〉とお書きである。
※トップ写真は、ウチの近隣公園の桜(2020.3.30 撮影)

末尾には〈これが遺言にならないようにしなくちゃ。きっと10年も経つと違う「死生観」になっているはずだから‥〉。それから7年が経過し、利典師は今年(2025年)、古稀をお迎えになる。今の師の死生観をうかがいたいものである。では、以下に全文を紹介する。

「わが死の話」
古い文章を調べていて、自分で書いた「死」の話を見つけた。まあまあ面白いと思うので、掲載する。

1.友人が自分の死について書いていた。それを読んで、私も、ちょっと自分の死について考えてみて、一文を書いてみたくなった。友人も私も互いにそういう歳なんだろう‥。ところで、死を考えるといっても、まだ本当の意味では、身につまされるような切迫感はないわけで、切迫感が無いからこそ、自分の死をある意味自由に、そしてまあ楽しげに考えられそうな気がする。

2.そりゃもう目の前に死が迫ってしまっていると、自分の死を優雅に語ることなどというようなことは間違いなく出来なくなっていて、きっと必死でもがいているか、余裕が無くオタオタしているに違いないだろう。まだまだどこか死が少し遠くて、でも、そろそろ人ごとではないくらいという、身近さにある今のうちに、ちょこっと考えるのも悪くはないかもしれないだろう。

3.ちょっと前になるが、大学の同級生が胃ガンで摘出手術をした。後から聞いて、見舞いにいくと連絡をしたが、元気になってから会いたいというので、返事を待っている。でもなかなか言ってこないので心配である。ガンはやはり人ごとではない歳なのだと思う。同情ではなく、自分の事として、彼には会いたいと思う。

4.私には家族もいるし、支えてくれる友人も多い…いや、多いかどうかははなはだ怪しいが、自分では多いと思っている、ということである。で、もし身体が衰えたら、たくさんの人に心配をかけたり、やっかいになったりすることになるが、それはやはりいやだなあと思う。

もう何年も前になるが、母がお正月明けに重篤になり、10ヵ月入院して結局一度も退院出来ないまま亡くなったが、日々衰えている母を見ながら、さぞかし辛いだろうなあと痛感した。いずれ私も行く道…なのだろうが、母は入院生活によく耐えて、最後は「ありがとう、ありがとう」とお礼ばかりを言っていた。

5.私は母のようにはなれそうにないし、過度に妻や子どもに世話になるのも、なんだか辛い。かといって知らない人にお世話になるのももっと寂しいような…。だとすれば「突然死」が理想といえば理想のようにも思うだが、といってどういう「突然死」がいいのかは皆目見当がつかない。とにもかくにも、たくさんの人に迷惑をかけるようなことも出来たら避けたい。

6.死について書いていた友人曰く、「断食死」がいいと言っていた。まあ、それも悪くないと思う。ただ少しずつ食事の量を減らし、五穀を立ち、断食死に至るというのは、そうとう覚悟と気力がないと無理なような気がする。断食は以前から「三日断食道場」を寺内で開いていて、私も10数度やったが、たかが三日くらいの断食経験ではたぶん「断食死」は無理だろう。

7.じゃあ、いったいどんな死に方がいい…って改めて問うてみるが、やはり最後はお任せしかないのかもしれない。ちょくちょく本などにも書いたことがあるが、大峯奥駈修行中に、死をイメージした経験がある。目を閉じると、頭上から白い大きな光が降りてきて、包み込まれるような気持ちになった。あぁ、こういう感じで死を迎えられたらと思ったのであった。

8.「白い高貴な光に包まれるような死に方」をするのには、それこそ生きている間にそれに相応しい生活や人生を送らなければならないと、そのときの体験で痛切に感じたが、そういう死に方はきっとなかなか自らの毎日を顧みるとき、自信がない。やはりみんなに迷惑をかけまくって、のたうち回るような臨終が関の山なのかもしれない。

9.過去に書いた「死について」の連続ツイートでした。これが遺言にならないようにしなくちゃ。きっと10年も経つと違う「死生観」になっているはずだから‥。
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あなたの声が公式音源に!奈良県立医大の校歌(学歌)レコーディング、4月13日(日)13時から、県立橿原文化会館 大ホールで実施!(2025 Topic)

2025年03月29日 | お知らせ
奈良県立医科大学の総務広報課に勤務する知人から、こんな案内をいただいた。開学80周年を迎え、またこの4月に新キャンパス(畝傍山キャンパス)がオープンする県立医大が、新たな校歌(学歌)を作り、その合唱の公式レコーデイングをするというのだ。
※トップ写真は、同大学の「畝傍山キャンパス」。毎日新聞(2/14付)から拝借

合唱の先生によると、コーラスは「ちゃんと伴奏がつき、大人数で歌うので、カラオケより気楽ですし、何よりハーモニーが美しくて楽しいですよ」とのこと。とにかくあなたの声が、公式音源として残るのだ。ぜひ、ご参加ください!以下、同大学の公式HPより。



「学歌」公式音源の合唱録音 参加者大募集
《1000人の大合唱レコーディング》~奈良から響け、未来への歌~
奈良県立医科大学「学歌-奈良から世界へ-」
開学80周年に合わせて新たに制作された「学歌」


NHK大河ドラマ「どうする家康」の音楽も担当された稲本響さんによる今までにない壮大なオーケストラとピアノでの楽曲 皆様の歌声を録音して、一緒に学歌を完成させましょう!

奈良県立医科大学は、令和7年度に開学80周年を迎えます。また、令和7年4月1日より、畝傍山キャンパスがオープンいたします。この、記念すべき年に際し、奈良医大の歴史と伝統を受け継ぎながら、未来へ向かって挑戦を続ける医療人・研究者の姿を讃える「学歌-奈良から世界へ-」を制作いたしました。

作詞は、奈良県立医科大学細井裕司理事長・学長が担当いたしました。作曲は、国内外で活躍されている、ピアニスト・作曲家である稲本響氏に担当していただきました。稲本響氏は、NHK大河ドラマ「どうする家康」の音楽も担当され、映画・ドラマ・舞台・CM等の作曲・音楽監督を数多く務められ、その作品は国内外において数々の賞を獲得されています。

この、記念すべき年に制作した「学歌-奈良から世界へ-」の歌詞に込めた奈良医大を知っていただく機会として、下記のとおり、《1000人の大合唱レコーディング》~奈良から響け、未来への歌~を開催いたします。当日、参加の皆様には学歌を歌っていただき、公式音源として録音を行います。イベント当日は、山下真奈良県知事にも参加いただきます。

ご参加いただく皆様には参加賞として、本学免疫学講座研究グループと、UHA味覚糖株式会社との共同研究の成果による「UHA味覚糖濃い柿渋のど飴」をお渡しいたします。あわせて、豪華賞品があたる抽選会を実施いたします。県内外在住を問わず、どなたでもご参加いただけますので、ご家族、ご近所、お友達等、お誘い合わせのうえ、ぜひご応募ください。

開催日時 令和7年4月13日(日曜日)13:00~15:00(開場12:00)
開催場所 奈良県立橿原文化会館 大ホール(橿原市北八木町65-5)
参加申込 参加申し込みフォームはこちら(外部サイトへリンク)
※練習用カラオケ音源もありますので、楽譜をダウンロードして、ぜひ挑戦してください!

カラオケ音源はこちら(外部サイトへリンク)
公式楽譜はこちら(PDF:452KB)
コード付き公式楽譜はこちら(PDF:957KB)
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家康の鎧(よろい)と饅頭の神さま「漢国(かんごう)神社」(奈良市漢国町)

2025年03月28日 | やまとの神さま(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は毎週水曜日、毎日新聞奈良版に「やまとの神さま」を連載している。今週(2025.3.26)掲載されたのは〈家康 敗戦で隠れ 命拾い/漢国神社(奈良市)〉、執筆されたのは、同会会員で大阪府池田市にお住まいの鶴田吉範さんだった。
※トップ写真は、漢国神社の拝殿=奈良市漢国町で

今日は近鉄奈良駅前にある漢国神社と、境内摂社・林(りん)神社の話である。漢国神社には、徳川家康の鎧(よろい)が残る(現物は奈良国立博物館に寄託)。大坂冬の陣の「木津の戦い」に敗れた家康は、命からがら、この神社に逃げ込み、九死に一生を得たという伝承がある。のちに家康がお礼として、この鎧を奉納したという。

また南北朝時代、中国(元)からここに来て、饅頭を伝えた林浄因(りん・じょういん)を「菓祖神(かそじん)」として祭る林神社が境内にある。林浄因のことは、司馬遼太郎の短編小説「饅頭伝来記」や、藤林文和さんの労作『まんじゅう忘れた太左衛門 南都林家の六百八十年』に詳しい。では、今回の記事全文を紹介する。

家康 敗戦で隠れ 命拾い/漢国神社(奈良市)
漢国(かんごう) 神社は593年(推古天皇元)、勅命により大神君白堤(おおみわのきみしらつつみ)が大物主命(おおものぬしのみこと)を、その後、717年(養老元)に藤原不比等が大己貴命(おおなむ ちのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)を合祀(ごうし)し、古くは春日率川坂岡社(かすがいさがわさかおかしゃ)と称していました。

本殿は三間社流造(さんげんしゃながれづくり=正面柱間が3つ、屋根が前に伸びる様式)・檜皮葺(ひわだぶき)で桃山時代の建造物です。神社には大阪の陣の際、徳川家康が戦に破れ境内の桶屋に忍び、九死に一生を得た伝承があります。

家康は後にお礼参りの参拝をし、鎧(よろい)一領「茶糸威胴丸具足(ちゃいとおどしどうまるぐそく)」を奉納。鎧は奈良国立博物館に寄託され、神社には複製が置かれています。

また、境内には、日本で初めて餡(あん)入り饅頭(まんじゅう)を伝えた林浄因命(りんじょういんのみこと)を祭る我が国唯一の饅頭の社・林(りん)神社があります。林浄因は中国浙江省の人で1349年(貞和5)に来朝して漢国神社の社頭に住み、故国で習い覚えた饅頭を作り、好評を博しました。その後、足利将軍家を経て宮中に献上するに至りました。

毎年4月19日には、菓祖神(かそじん)・林浄因命の偉業をたたえ、菓業界の繁栄を祈願する「饅頭まつり」がにぎやかに行なわれ、全国からたくさんの饅頭が献上されます。当日限定の「復刻奈良饅頭」の販売もおまつりの楽しみの一つとなっています。(奈良まほろばソムリエの会会員 鶴田吉範)

(住 所)奈良市漢国町二番地
(祭 神)大物主命、大己貴命、少彦名命
(交 通)近鉄奈良駅から徒歩約5分、JR奈良駅から徒歩約15分。
(拝 観)境内自由
(駐車場)あり(無料)
(電 話)0742・22・0612


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田中利典師の「63歳のお誕生日」

2025年03月27日 | 田中利典師曰く
今日の「田中利典師曰く」は、〈祝!誕生日〉(師のブログ 2018.8.27 付)。利典師は60歳の還暦の年、自坊(京都府綾部市の林南院)に戻られた。この年は、はや3年目になるのだ。
※トップ写真は、ウチの近隣公園のソメイヨシノ(2020.3.30 撮影)

ということは、今年(2025年)8月、師は70歳の古稀をお迎えになる。時の経つのは、早いものだ。師は〈敵も味方も、「みんな大好き!」です〉とお書きだ。これは師の「外向的」「向日的」なご性格の表われだろうが、なかなか常人ではこうは行かないとも思う。では、以下に全文を紹介する。

「祝!誕生日」
人間は生まれた瞬間から、誰でも、死ぬまで生きる。今日で私はなんと63回目の誕生日を迎えた。確実に死に向かって歩みを始めて、もう63年…。長い63年。短かったかもしれない63年。いずれにしろ、ホントにありがたい63年である。

「お誕生日には親に感謝を言いましょう。親がすでにいない人はお墓に言いに行きましょう…」とは誕生日の人に対して、ずっと私が伝えてきた言葉である。そんなわけで、私も今朝はまず、父母のお墓へ行ってきました。で、もうすでに朝から大変たくさんの方々に、お誕生日祝いのメールや書き込みをいただきました。厚く厚く厚く御礼を申し上げます。

還暦を過ぎて、このところ、体調が悪かったり、肺炎や怪我をして不具合だったり、その都度、なにやかやと心が折れたりして、まあ、ろくでもないような時間を耐えていますが、だからこそ、ありがたいと思えることや、申し訳ないと気づくことが多くて、それはそれで人生の中で、大切な時間を過ごさせて頂いていると思っています。

「こんな人間なのに…」と今までの自分を省みて、己のことを知れば知るほど、本当に周りの人たちには感謝と懺悔しかありませぬ。敵も味方も、「みんな大好き!」です。

で、で、こんな人生を誰が予想したのでしょうか…。そして、これからの人生を誰が知っているのでしょうか…。などと、今さらながら思い煩う毎日なのです。

でも、ともかくも、63回目の誕生日に、あらためてみなさんの交情と友情に深く感謝をします。ありがとうございました。これからもよろしくお願いいたします。。
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