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tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

万博も開幕し、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

毎年7月に福住氷まつり、氷の神さまを祭る「都祁氷室神社」(天理市福住町)/毎日新聞「やまとの神さま」第121回

2025年05月19日 | やまとの神さま(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「やまとの神さま」を連載している。先週(2025.5.15)掲載されたのは〈今年は何キロ? 夏の風物詩/氷室神社(天理市)〉、執筆されたのは同会理事で香芝市在住の柏尾信尚さんだった。
※トップ写真は、都祁氷室神社の拝殿=天理市で

柏尾さんは、奈良のガイド名人を選ぶ「第1回Nara観光コンシェルジュアワード」で、見事、優秀賞に輝いた。今も、斑鳩の里観光ボランティアの会に所属し、法隆寺などのガイド活動に従事されている。ところでこの「氷室神社」、奈良県内に2ヵ所あり、全国では10社の氷室神社がある(県内の2社を含む。詳しくはWikipedia ご参照)。以下、記事全文を紹介する。

今年は何キロ? 夏の風物詩/氷室神社(天理市)
氷室神社(天理市)は氷の神さまを祭る珍しい神社として、親しまれており、鬱蒼(うっそう)とした木立に覆われ夏でもヒンヤリとするような杜(もり)に鎮座しています。他の氷室神社と区別して都祁氷室神社と呼ばれることもあります。

『日本書紀』によると、仁徳天皇の異母兄弟の額田大中彦皇子(ぬかたのおおなかひこのみこ)がこの地に来た時、小屋のようなものを見つけ、それが氷室であり、冬に氷を納め、夏に取り出して酒に浸して飲むとおいしいということでした。そこでその氷を持ち帰り、天皇に献上すると大変喜ばれ、以後毎年献上することになったとされています。

その後、414(允恭(いんぎょう)天皇3)年、氷室神社が創建されたそうです。現在も社殿後方の室山には、献上する氷を作ったという池の跡とそれを保管した氷室の遺構と伝わる大きな窪みが二十数か所残っています。

現在、1998年に地元有志が復元した茅葺の氷室に毎年2月、約3㌧の氷を搬入し、7月に溶けずに残った氷の重さを計るイベント「福住氷まつり」が行われています。

その重さは平均744・4㌔(24・8%)で2000年と02年の2・1㌧が最高で、最低は16年の13・6㌔でした。近年は残量が減少しており、24年は243㌔しか残りませんでした。(奈良まほろばソムリエの会理事 柏尾信尚)

(住 所)天理市福住町1841
(祭 神)闘鶏稲置大山主命(つげいなぎおおやまぬしのみこと)、大鷦鷯命(おおささぎのみこと)、額田大中彦命(ぬかたおおなかひこのみこと)
(交 通)JR・近鉄天理駅から奈良交通バスで「国道福住バス停」下車徒歩約10分
(拝 観)境内自由
(駐車場)有(無料)
(電 話)0743・69・2971



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大和国四所水分(みくまり)神社の1つ、都祁󠄀(つげ)水分神社(奈良市都祁友田町)/毎日新聞「やまとの神さま」第120回

2025年05月11日 | やまとの神さま(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「やまとの神さま」を連載している。おかげさまで2022年4月にスタートしたこの連載も、先週(2025.5.8 付)で、120回を迎えた。
※トップ写真は、都祁水分神社の拝殿=奈良市で

今回の見出しは〈古都の清流司る式内大社/都祁󠄀水分神社(奈良市)〉。3年前の初回は吉野水分神社だったが、今回は都祁󠄀水分神社。ともに「大和国四所水分神社」と称されている。なお同神社のHPには〈祭神は速秋津彦神・天水分神・国水分神の三柱の神で、古く本地垂迹説によると阿弥陀三尊と称せられています〉とある。

記事を執筆されたのは、奈良市にお住まいの坂口隆信さんだった。なお、この神社名は、「示」(祁)ではなく「礻」(祁󠄀)だそうだ。では、以下に全文を紹介する。

古都の清流司る式内大社/都祁󠄀水分神社(奈良市都祁友田町)
都祁󠄀水分(つげみくまり)神社は、奈良市の南東部に鎮まります。大和高原から流れ出す木津川上流の布目(ぬのめ)川や大和川上流の初瀬(はせ)川の水を司る神社で、平安時代の「延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)」に記載された式内大社(しきないたいしゃ)で、「大和四水分」の一つとされます(他は吉野、葛木、宇太)。

社伝によりますと、飛鳥時代に創建され、最初の鎮座地は、ここより3㌔南に鎮まる都祁󠄀山口神社の地でした。平安時代の971(天禄2)年に現在地へ遷座しました。祭神は、速秋津彦神(はやあきつひこのかみ)、天水分神(あめのみくまりのかみ)、国水分神(くにのみくまりのかみ)の3柱で、杉木立に囲まれたこぢんまりとした境内に鎮座しています。

鳥居をくぐると、緩やかで真っ直ぐな坂道の参道の正面に能舞台があり、その先に拝殿があります。本殿(重文)は、室町時代の1499(明応8)年に造営された、檜皮葺、総丹塗りの一間社春日造(正面の柱間がひとつの切妻屋根で棟と直角な面に入口がある建築様式)です。

本殿の前には、一対の狛犬があります。頭が小さく、どっしりとした体つきで、鎌倉時代末期の作とされています。社地は、奈良時代に聖武天皇が行幸した堀越頓宮(ほりこしのとんぐう)の伝承地で、鳥居の左方にその石碑があります。平安時代には、伊勢斎宮の皇女が宿った都介(つげ)頓宮の跡でもあります。(奈良まほろばソムリエの会会員 坂口隆信)

(住 所)奈良市都祁友田町182
(祭 神)速秋津彦神、天水分神、国水分神
(交 通)名阪国道「道の駅針テラス」から車で南西に約10分
(拝 観)境内自由
(駐車場)有(お問い合わせください)
(電 話)0743・82・0097


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飯豊(いいとよ)天皇「忍海角刺宮(おしみつのさしのみや)跡」の角刺神社(葛城市忍海)/毎日新聞「やまとの神さま」第119回

2025年04月19日 | やまとの神さま(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「やまとの神さま」を連載している。今週(2025.4.17)掲載されたのは〈飯豊青皇女(いいとよあおのひめみこ)ゆかりの地/角刺神社(葛城市)〉、執筆されたのは安堵町在住の西川誠さんだった。
※トップ写真は、角刺神社拝殿=葛城市で

難しい漢字が並ぶが、飯豊青皇女は、飯豊青命(いいとよあおのみこと)とも飯豊天皇とも呼ばれる女性(履中天皇の孫)で、角刺神社は、その宮跡(忍海角刺宮跡)にある。タレントの飯豊まりえ(結婚前の本名は飯豊万理江)さんとの関係は、よく分からないが…。では、記事全文を紹介する。

飯豊青皇女ゆかりの地/角刺神社(葛城市)
角刺神社(葛城市)は、祭神の飯豊青命(いいとよあおのみこと=飯豊青皇女)が住んでいた忍海角刺宮(おしみつのさしのみや)跡に創建されたと伝えられています。

『日本書紀』には、この宮が「倭辺(やまとべ)に見が欲しものは忍海(おしぬみ)のこの高城(たかき)なる角刺の宮」と書かれ、大層立派な建物だったことがうかがわれます。

なぜ、その様に立派な宮だったのでしょうか。諸説はありますが、飯豊青皇女は第17代履中(りちゅう)天皇の孫に当たります。第22代清寧(せいねい)天皇は皇子がないままに亡くなりましたが、皇女の弟である億計(おけ)皇子と弘計(をけ)皇子は譲り合い、なかなか皇位に就きませんでした。

天皇が空位の間、政務を執ったのが飯豊青皇女です。「飯豊天皇」とする書物も複数あり、ここが宮と呼ばれる由縁です。また、当社の北にある北花内(きたはなうち)大塚古墳は、宮内庁が飯豊天皇埴口丘陵(はにくちのおかのみささぎ)として管理しています。

飯豊青皇女が政務を執った後、兄弟のうち弟の弘計が第23代顕宗(けんぞう)天皇、兄の億計が第24代仁賢(にんけん)天皇になりました。境内には、平安時代に神宮寺として建立された忍海寺(にんかいじ)が残り、本尊の十一面観音立像は飯豊青皇女の顔を写したものと伝えられます。

拝殿前の鏡池には、中将姫が當麻曼荼羅(まんだら)を織った糸をこの池の蓮から採ったとの伝説が残ります。(奈良まほろばソムリエの会会員 西川誠)

(住 所)葛城市忍海322
(祭 神)飯豊青命
(交 通)近鉄御所線忍海駅から徒歩約5分
(拝 観)境内自由
(駐車場)なし
(電 話)なし


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ワカメの味噌汁で蛇を封じ込め。御所市蛇穴(さらぎ)の「野口神社」/毎日新聞「やまとの神さま」第118回

2025年04月12日 | やまとの神さま(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「やまとの神さま」を連載している。一昨日(2025.4.10)掲載されたのは〈悲恋の娘 供養の「汁かけ」/ 野口神社(御所市)〉、執筆されたのは同会会員で香芝市在住の平越真澄さんだった。
※トップ写真は、野口神社拝殿と蛇綱(じゃづな)=御所市蛇穴で(平越さんの撮影)


以下の写真は、私が撮影(2024.5.5)

昨年の祭礼の日(5/5)、私は偶然、彼女と神社で遭遇した。「取材に来ています」とのことで、ご関係者に熱心にヒアリングしておられた。私が撮影したお祭りの写真も、貼っておく。では、以下に彼女の記事全文を紹介する。



悲恋の娘 供養の「汁かけ」 野口神社(御所市)
葛城山の東麓(とうろく)、葛城川の東、今も清水が豊かに流れる蛇穴(さらぎ)という集落に、野口神社は鎮座します。 祭神は神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと=神武天皇)とその皇子の彦八井命(ひこやいのみこと)です。



社伝によると彦八井命の子孫の茨田連(まんだのむらじ)は仁徳天皇の時代、茨田堤を築き、後に蛇穴村へ移住し、祖神を祭ったといわれます。また蛇穴の野口家の先祖は茨田氏ともいわれます。野口神社には、野の神に豊作と農耕の無事を祈る野神信仰が残っています。



毎年5月5日の朝、境内に氏子たちが集まり、前日に作った蛇の頭部に、餅米のわらで約14㍍の蛇体を編みこんで完成。蛇綱は拝殿で祈祷(きとう)の後、ワカメの味噌(みそ)汁をかけられ、参拝者にも味噌汁が振舞われます。



その後、子らを交えて「蛇綱曳(じゃづなひ)き」が始まり集落を巡行、 神社に戻ると、蛇綱は蛇塚に巻かれ、お供えされます。この「汁かけ祭り」は、御所市の無形民俗文化財です。



祭りの由来として、次のような伝説があります。茨田長者の娘が葛城山に修行に通う役行者に恋をしたが、見向きもされず、 蛇に化けて追いかけ火を噴いた。村人は味噌汁をぶっかけ、古井戸の中に蛇を追い込み、岩で封じ込めた。その娘の供養のため、祭事が行われたといわれています。(奈良まほろばソムリエの会会員 平越真澄)



(住 所)御所市蛇穴540
(祭 神)神倭伊波礼毘古命、彦八井命
(文化財)「蛇穴の蛇綱曳き」(汁かけ祭り)御所市無形民俗文化財
(交 通)JR和歌山線玉手駅から徒歩約10分
(拝 観)境内自由
(駐車場)祭事日は臨時駐車場あり・無料


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氷をお供えし、豊作を祈願する「献氷祭」の氷室神社(奈良市春日野町)/毎日新聞「やまとの神さま」第117回

2025年04月09日 | やまとの神さま(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「やまとの神さま」を連載している。先週(2025.4.3)掲載されたのは〈全国から「氷業繁栄」祈願 氷室神社(奈良市)〉、執筆されたのは、同会会員の八尾鈴子(れいこ)さんだった。
※トップ写真は、氷室神社の本殿=奈良市で

八尾さんは、奈良の観光ボランティアガイド名人を選ぶ「第4回 Nara観光コンシェルジュアワード」(日本語ガイドの部 2019.2.16実施)で見事、最優秀賞に輝いた。


氷室神社の「献氷祭」。同神社のHPから、拝借した

氷室神社は奈良県内に2ヵ所(奈良市と天理市)あるほか、京都市内にも1ヵ所ある(京都市北区西賀茂氷室町)。『日本歴史地名大系』によると、

鷹ヶ峰の北西約五キロ、氷室山山中の集落の西方にある。旧村社。栗栖野(くるすの)氷室近くに祀られた氷室神社の一。栗栖野氷室は「延喜式」主水司にみえ、当社は禁裏に供御する蔵氷にたずさわった清原家が勧請したと伝えるが、成立年代は不詳。

奈良春日野の氷室神社同様、仁徳天皇時代額田大中彦皇子に初めて氷をつくって献上したと伝える稲置大山主(いなきおおやまぬし)神を祀る。


では、以下に記事全文を紹介する。

全国から「氷業繁栄」祈願 氷室神社(奈良市)
古代以来、皆が豊かになれるようにという理想を掲げた私たちの国柄(くにがら)始まりの奈良では、稲作を中心とした農耕を大切にして豊作を祈る氷室(ひむろ)神社が、奈良市と天理市に鎮座しています。厳寒の氷の厚さが、その年の豊作不作を占う重要な目安となっていました。 

奈良市の氷室神社は、平城遷都に伴い、710(和銅3)年に春日野の氷池(製氷施設)や御蓋山麓(みかささんろく)に営まれた氷室(貯氷施設)の守護神として山麓に鎮座し、平安時代の始め頃に現在地に移されたと伝えられています。

豊かな氷は、豊作の証しとして天皇に献上し、そのお下がりを配り、豊作を祈願するのが献氷の本来的な意味です。奈良時代に編纂(へんさん)された『日本書紀』には、仁徳天皇62年に初めて典礼が行われたと書かれています。

毎年5月1日には、全国の製氷・販売業界関係者が、鯛(たい)・鯉(こい)の大型氷柱や花氷をお供えして、業界の繫栄を祈願して献氷祭が行われています。

例大祭は、10月1日で朝座、渡御(とぎょ)、夕座のお祭りの後、夕闇が迫る頃、篝火(かがりび)が焚(た)かれるなか舞楽奉納が行われます。当社は、平安中期以降明治の初めまで、宮廷の雅楽・舞楽を担う近衛府の官人によって維持されてきました。(奈良まほろばソムリエの会会員 八尾鈴子)

(住 所)奈良市春日野町1の4
(祭 神)大鷦鷯命(おおささぎのみこと) 、闘鶏稲置大山主命(つげのいなぎおおやまぬしのみこと)、額田大仲彦命(ぬかたのおおなかつひこのみこと)
(交 通)JR奈良駅・近鉄奈良駅から市内循環バス「氷室神社・国立博物館前」下車すぐ
(拝 観)境内自由
(駐車場)あり(有料)
(電 話)0742・23・7297


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