NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「やまとの神さま」を連載している。先週(2025.5.15)掲載されたのは〈今年は何キロ? 夏の風物詩/氷室神社(天理市)〉、執筆されたのは同会理事で香芝市在住の柏尾信尚さんだった。
※トップ写真は、都祁氷室神社の拝殿=天理市で
柏尾さんは、奈良のガイド名人を選ぶ「第1回Nara観光コンシェルジュアワード」で、見事、優秀賞に輝いた。今も、斑鳩の里観光ボランティアの会に所属し、法隆寺などのガイド活動に従事されている。ところでこの「氷室神社」、奈良県内に2ヵ所あり、全国では10社の氷室神社がある(県内の2社を含む。詳しくはWikipedia ご参照)。以下、記事全文を紹介する。
今年は何キロ? 夏の風物詩/氷室神社(天理市)
氷室神社(天理市)は氷の神さまを祭る珍しい神社として、親しまれており、鬱蒼(うっそう)とした木立に覆われ夏でもヒンヤリとするような杜(もり)に鎮座しています。他の氷室神社と区別して都祁氷室神社と呼ばれることもあります。
『日本書紀』によると、仁徳天皇の異母兄弟の額田大中彦皇子(ぬかたのおおなかひこのみこ)がこの地に来た時、小屋のようなものを見つけ、それが氷室であり、冬に氷を納め、夏に取り出して酒に浸して飲むとおいしいということでした。そこでその氷を持ち帰り、天皇に献上すると大変喜ばれ、以後毎年献上することになったとされています。
その後、414(允恭(いんぎょう)天皇3)年、氷室神社が創建されたそうです。現在も社殿後方の室山には、献上する氷を作ったという池の跡とそれを保管した氷室の遺構と伝わる大きな窪みが二十数か所残っています。
現在、1998年に地元有志が復元した茅葺の氷室に毎年2月、約3㌧の氷を搬入し、7月に溶けずに残った氷の重さを計るイベント「福住氷まつり」が行われています。
その重さは平均744・4㌔(24・8%)で2000年と02年の2・1㌧が最高で、最低は16年の13・6㌔でした。近年は残量が減少しており、24年は243㌔しか残りませんでした。(奈良まほろばソムリエの会理事 柏尾信尚)
(住 所)天理市福住町1841
(祭 神)闘鶏稲置大山主命(つげいなぎおおやまぬしのみこと)、大鷦鷯命(おおささぎのみこと)、額田大中彦命(ぬかたおおなかひこのみこと)
(交 通)JR・近鉄天理駅から奈良交通バスで「国道福住バス停」下車徒歩約10分
(拝 観)境内自由
(駐車場)有(無料)
(電 話)0743・69・2971

※トップ写真は、都祁氷室神社の拝殿=天理市で
柏尾さんは、奈良のガイド名人を選ぶ「第1回Nara観光コンシェルジュアワード」で、見事、優秀賞に輝いた。今も、斑鳩の里観光ボランティアの会に所属し、法隆寺などのガイド活動に従事されている。ところでこの「氷室神社」、奈良県内に2ヵ所あり、全国では10社の氷室神社がある(県内の2社を含む。詳しくはWikipedia ご参照)。以下、記事全文を紹介する。
今年は何キロ? 夏の風物詩/氷室神社(天理市)
氷室神社(天理市)は氷の神さまを祭る珍しい神社として、親しまれており、鬱蒼(うっそう)とした木立に覆われ夏でもヒンヤリとするような杜(もり)に鎮座しています。他の氷室神社と区別して都祁氷室神社と呼ばれることもあります。
『日本書紀』によると、仁徳天皇の異母兄弟の額田大中彦皇子(ぬかたのおおなかひこのみこ)がこの地に来た時、小屋のようなものを見つけ、それが氷室であり、冬に氷を納め、夏に取り出して酒に浸して飲むとおいしいということでした。そこでその氷を持ち帰り、天皇に献上すると大変喜ばれ、以後毎年献上することになったとされています。
その後、414(允恭(いんぎょう)天皇3)年、氷室神社が創建されたそうです。現在も社殿後方の室山には、献上する氷を作ったという池の跡とそれを保管した氷室の遺構と伝わる大きな窪みが二十数か所残っています。
現在、1998年に地元有志が復元した茅葺の氷室に毎年2月、約3㌧の氷を搬入し、7月に溶けずに残った氷の重さを計るイベント「福住氷まつり」が行われています。
その重さは平均744・4㌔(24・8%)で2000年と02年の2・1㌧が最高で、最低は16年の13・6㌔でした。近年は残量が減少しており、24年は243㌔しか残りませんでした。(奈良まほろばソムリエの会理事 柏尾信尚)
(住 所)天理市福住町1841
(祭 神)闘鶏稲置大山主命(つげいなぎおおやまぬしのみこと)、大鷦鷯命(おおささぎのみこと)、額田大中彦命(ぬかたおおなかひこのみこと)
(交 通)JR・近鉄天理駅から奈良交通バスで「国道福住バス停」下車徒歩約10分
(拝 観)境内自由
(駐車場)有(無料)
(電 話)0743・69・2971
