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tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

万博も開幕し、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

飯豊(いいとよ)天皇「忍海角刺宮(おしみつのさしのみや)跡」の角刺神社(葛城市忍海)/毎日新聞「やまとの神さま」第119回

2025年04月19日 | やまとの神さま(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「やまとの神さま」を連載している。今週(2025.4.17)掲載されたのは〈飯豊青皇女(いいとよあおのひめみこ)ゆかりの地/角刺神社(葛城市)〉、執筆されたのは安堵町在住の西川誠さんだった。
※トップ写真は、角刺神社拝殿=葛城市で

難しい漢字が並ぶが、飯豊青皇女は、飯豊青命(いいとよあおのみこと)とも飯豊天皇とも呼ばれる女性(履中天皇の孫)で、角刺神社は、その宮跡(忍海角刺宮跡)にある。タレントの飯豊まりえ(結婚前の本名は飯豊万理江)さんとの関係は、よく分からないが…。では、記事全文を紹介する。

飯豊青皇女ゆかりの地/角刺神社(葛城市)
角刺神社(葛城市)は、祭神の飯豊青命(いいとよあおのみこと=飯豊青皇女)が住んでいた忍海角刺宮(おしみつのさしのみや)跡に創建されたと伝えられています。

『日本書紀』には、この宮が「倭辺(やまとべ)に見が欲しものは忍海(おしぬみ)のこの高城(たかき)なる角刺の宮」と書かれ、大層立派な建物だったことがうかがわれます。

なぜ、その様に立派な宮だったのでしょうか。諸説はありますが、飯豊青皇女は第17代履中(りちゅう)天皇の孫に当たります。第22代清寧(せいねい)天皇は皇子がないままに亡くなりましたが、皇女の弟である億計(おけ)皇子と弘計(をけ)皇子は譲り合い、なかなか皇位に就きませんでした。

天皇が空位の間、政務を執ったのが飯豊青皇女です。「飯豊天皇」とする書物も複数あり、ここが宮と呼ばれる由縁です。また、当社の北にある北花内(きたはなうち)大塚古墳は、宮内庁が飯豊天皇埴口丘陵(はにくちのおかのみささぎ)として管理しています。

飯豊青皇女が政務を執った後、兄弟のうち弟の弘計が第23代顕宗(けんぞう)天皇、兄の億計が第24代仁賢(にんけん)天皇になりました。境内には、平安時代に神宮寺として建立された忍海寺(にんかいじ)が残り、本尊の十一面観音立像は飯豊青皇女の顔を写したものと伝えられます。

拝殿前の鏡池には、中将姫が當麻曼荼羅(まんだら)を織った糸をこの池の蓮から採ったとの伝説が残ります。(奈良まほろばソムリエの会会員 西川誠)

(住 所)葛城市忍海322
(祭 神)飯豊青命
(交 通)近鉄御所線忍海駅から徒歩約5分
(拝 観)境内自由
(駐車場)なし
(電 話)なし


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ワカメの味噌汁で蛇を封じ込め。御所市蛇穴(さらぎ)の「野口神社」/毎日新聞「やまとの神さま」第118回

2025年04月12日 | やまとの神さま(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「やまとの神さま」を連載している。一昨日(2025.4.10)掲載されたのは〈悲恋の娘 供養の「汁かけ」/ 野口神社(御所市)〉、執筆されたのは同会会員で香芝市在住の平越真澄さんだった。
※トップ写真は、野口神社拝殿と蛇綱(じゃづな)=御所市蛇穴で(平越さんの撮影)


以下の写真は、私が撮影(2024.5.5)

昨年の祭礼の日(5/5)、私は偶然、彼女と神社で遭遇した。「取材に来ています」とのことで、ご関係者に熱心にヒアリングしておられた。私が撮影したお祭りの写真も、貼っておく。では、以下に彼女の記事全文を紹介する。



悲恋の娘 供養の「汁かけ」 野口神社(御所市)
葛城山の東麓(とうろく)、葛城川の東、今も清水が豊かに流れる蛇穴(さらぎ)という集落に、野口神社は鎮座します。 祭神は神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと=神武天皇)とその皇子の彦八井命(ひこやいのみこと)です。



社伝によると彦八井命の子孫の茨田連(まんだのむらじ)は仁徳天皇の時代、茨田堤を築き、後に蛇穴村へ移住し、祖神を祭ったといわれます。また蛇穴の野口家の先祖は茨田氏ともいわれます。野口神社には、野の神に豊作と農耕の無事を祈る野神信仰が残っています。



毎年5月5日の朝、境内に氏子たちが集まり、前日に作った蛇の頭部に、餅米のわらで約14㍍の蛇体を編みこんで完成。蛇綱は拝殿で祈祷(きとう)の後、ワカメの味噌(みそ)汁をかけられ、参拝者にも味噌汁が振舞われます。



その後、子らを交えて「蛇綱曳(じゃづなひ)き」が始まり集落を巡行、 神社に戻ると、蛇綱は蛇塚に巻かれ、お供えされます。この「汁かけ祭り」は、御所市の無形民俗文化財です。



祭りの由来として、次のような伝説があります。茨田長者の娘が葛城山に修行に通う役行者に恋をしたが、見向きもされず、 蛇に化けて追いかけ火を噴いた。村人は味噌汁をぶっかけ、古井戸の中に蛇を追い込み、岩で封じ込めた。その娘の供養のため、祭事が行われたといわれています。(奈良まほろばソムリエの会会員 平越真澄)



(住 所)御所市蛇穴540
(祭 神)神倭伊波礼毘古命、彦八井命
(文化財)「蛇穴の蛇綱曳き」(汁かけ祭り)御所市無形民俗文化財
(交 通)JR和歌山線玉手駅から徒歩約10分
(拝 観)境内自由
(駐車場)祭事日は臨時駐車場あり・無料


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氷をお供えし、豊作を祈願する「献氷祭」の氷室神社(奈良市春日野町)/毎日新聞「やまとの神さま」第117回

2025年04月09日 | やまとの神さま(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「やまとの神さま」を連載している。先週(2025.4.3)掲載されたのは〈全国から「氷業繁栄」祈願 氷室神社(奈良市)〉、執筆されたのは、同会会員の八尾鈴子(れいこ)さんだった。
※トップ写真は、氷室神社の本殿=奈良市で

八尾さんは、奈良の観光ボランティアガイド名人を選ぶ「第4回 Nara観光コンシェルジュアワード」(日本語ガイドの部 2019.2.16実施)で見事、最優秀賞に輝いた。


氷室神社の「献氷祭」。同神社のHPから、拝借した

氷室神社は奈良県内に2ヵ所(奈良市と天理市)あるほか、京都市内にも1ヵ所ある(京都市北区西賀茂氷室町)。『日本歴史地名大系』によると、

鷹ヶ峰の北西約五キロ、氷室山山中の集落の西方にある。旧村社。栗栖野(くるすの)氷室近くに祀られた氷室神社の一。栗栖野氷室は「延喜式」主水司にみえ、当社は禁裏に供御する蔵氷にたずさわった清原家が勧請したと伝えるが、成立年代は不詳。

奈良春日野の氷室神社同様、仁徳天皇時代額田大中彦皇子に初めて氷をつくって献上したと伝える稲置大山主(いなきおおやまぬし)神を祀る。


では、以下に記事全文を紹介する。

全国から「氷業繁栄」祈願 氷室神社(奈良市)
古代以来、皆が豊かになれるようにという理想を掲げた私たちの国柄(くにがら)始まりの奈良では、稲作を中心とした農耕を大切にして豊作を祈る氷室(ひむろ)神社が、奈良市と天理市に鎮座しています。厳寒の氷の厚さが、その年の豊作不作を占う重要な目安となっていました。 

奈良市の氷室神社は、平城遷都に伴い、710(和銅3)年に春日野の氷池(製氷施設)や御蓋山麓(みかささんろく)に営まれた氷室(貯氷施設)の守護神として山麓に鎮座し、平安時代の始め頃に現在地に移されたと伝えられています。

豊かな氷は、豊作の証しとして天皇に献上し、そのお下がりを配り、豊作を祈願するのが献氷の本来的な意味です。奈良時代に編纂(へんさん)された『日本書紀』には、仁徳天皇62年に初めて典礼が行われたと書かれています。

毎年5月1日には、全国の製氷・販売業界関係者が、鯛(たい)・鯉(こい)の大型氷柱や花氷をお供えして、業界の繫栄を祈願して献氷祭が行われています。

例大祭は、10月1日で朝座、渡御(とぎょ)、夕座のお祭りの後、夕闇が迫る頃、篝火(かがりび)が焚(た)かれるなか舞楽奉納が行われます。当社は、平安中期以降明治の初めまで、宮廷の雅楽・舞楽を担う近衛府の官人によって維持されてきました。(奈良まほろばソムリエの会会員 八尾鈴子)

(住 所)奈良市春日野町1の4
(祭 神)大鷦鷯命(おおささぎのみこと) 、闘鶏稲置大山主命(つげのいなぎおおやまぬしのみこと)、額田大仲彦命(ぬかたのおおなかつひこのみこと)
(交 通)JR奈良駅・近鉄奈良駅から市内循環バス「氷室神社・国立博物館前」下車すぐ
(拝 観)境内自由
(駐車場)あり(有料)
(電 話)0742・23・7297


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家康の鎧(よろい)と饅頭の神さま「漢国(かんごう)神社」(奈良市漢国町)

2025年03月28日 | やまとの神さま(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は毎週水曜日、毎日新聞奈良版に「やまとの神さま」を連載している。今週(2025.3.26)掲載されたのは〈家康 敗戦で隠れ 命拾い/漢国神社(奈良市)〉、執筆されたのは、同会会員で大阪府池田市にお住まいの鶴田吉範さんだった。
※トップ写真は、漢国神社の拝殿=奈良市漢国町で

今日は近鉄奈良駅前にある漢国神社と、境内摂社・林(りん)神社の話である。漢国神社には、徳川家康の鎧(よろい)が残る(現物は奈良国立博物館に寄託)。大坂冬の陣の「木津の戦い」に敗れた家康は、命からがら、この神社に逃げ込み、九死に一生を得たという伝承がある。のちに家康がお礼として、この鎧を奉納したという。

また南北朝時代、中国(元)からここに来て、饅頭を伝えた林浄因(りん・じょういん)を「菓祖神(かそじん)」として祭る林神社が境内にある。林浄因のことは、司馬遼太郎の短編小説「饅頭伝来記」や、藤林文和さんの労作『まんじゅう忘れた太左衛門 南都林家の六百八十年』に詳しい。では、今回の記事全文を紹介する。

家康 敗戦で隠れ 命拾い/漢国神社(奈良市)
漢国(かんごう) 神社は593年(推古天皇元)、勅命により大神君白堤(おおみわのきみしらつつみ)が大物主命(おおものぬしのみこと)を、その後、717年(養老元)に藤原不比等が大己貴命(おおなむ ちのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)を合祀(ごうし)し、古くは春日率川坂岡社(かすがいさがわさかおかしゃ)と称していました。

本殿は三間社流造(さんげんしゃながれづくり=正面柱間が3つ、屋根が前に伸びる様式)・檜皮葺(ひわだぶき)で桃山時代の建造物です。神社には大阪の陣の際、徳川家康が戦に破れ境内の桶屋に忍び、九死に一生を得た伝承があります。

家康は後にお礼参りの参拝をし、鎧(よろい)一領「茶糸威胴丸具足(ちゃいとおどしどうまるぐそく)」を奉納。鎧は奈良国立博物館に寄託され、神社には複製が置かれています。

また、境内には、日本で初めて餡(あん)入り饅頭(まんじゅう)を伝えた林浄因命(りんじょういんのみこと)を祭る我が国唯一の饅頭の社・林(りん)神社があります。林浄因は中国浙江省の人で1349年(貞和5)に来朝して漢国神社の社頭に住み、故国で習い覚えた饅頭を作り、好評を博しました。その後、足利将軍家を経て宮中に献上するに至りました。

毎年4月19日には、菓祖神(かそじん)・林浄因命の偉業をたたえ、菓業界の繁栄を祈願する「饅頭まつり」がにぎやかに行なわれ、全国からたくさんの饅頭が献上されます。当日限定の「復刻奈良饅頭」の販売もおまつりの楽しみの一つとなっています。(奈良まほろばソムリエの会会員 鶴田吉範)

(住 所)奈良市漢国町二番地
(祭 神)大物主命、大己貴命、少彦名命
(交 通)近鉄奈良駅から徒歩約5分、JR奈良駅から徒歩約15分。
(拝 観)境内自由
(駐車場)あり(無料)
(電 話)0742・22・0612


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源義経、後醍醐天皇、豊臣秀吉ゆかり「吉水神社」(吉野町吉野山)

2025年03月26日 | やまとの神さま(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は毎週水曜日、毎日新聞奈良版に「やまとの神さま」を連載している。先週(2025.3.19)掲載されたのは〈南朝の皇居 義経、秀吉も縁(ゆかり) /吉水神社(吉野町)〉、執筆されたのは、同会会員で、大和高田市在住の福岡康浩さんだった。
※トップ写真は、吉水神社本殿(もと吉水院護摩堂)=吉野町吉野山で

福岡さんは明日香村内で勤務されていて、飛鳥・藤原の歴史や文化には、めっぽうお詳しい。吉水神社は写真を見てのとおり、神社ではなく「寺院」である。明治初年の「神仏分離令」により、「吉水院」から「吉水神社」となった(明治8年)。境内(本殿の手前)からは、写真のような「一目千本」の絶景が拝める(2024.4.5 撮影)。では、記事全文を紹介する。



南朝の皇居 義経、秀吉も縁 /吉水神社(吉野町)
吉野町吉野山にある吉水(よしみず)神社は、天武天皇時代に役行者に創建された修験宗の僧坊で、「吉水院」と呼ばれていました。

1336年(延元元)、後醍醐天皇が吉野に潜幸(せんこう)した際、吉水宗信法印(よしみずそうしんほういん)の援護で、この吉水院を南朝の皇居として南朝四代の歴史がはじまります。

現存する南朝の宮として、当時の貴重な品々がこの書院に残されています。1875年(明治8)に「吉水神社」と改め、後醍醐天皇、楠木正成、吉水宗信法印を祭神とする神社となりました。

後醍醐天皇の潜幸より約150年も前の1185年(文治元)、源義経と静御前が弁慶とともに源頼朝の追手から逃れ、ここで過ごしています。さらに1594年(文禄3)には豊臣秀吉が吉水院を花見の本陣として、盛大な吉野の花見をしたことでも知られています。

このように数々の歴史の中で名をはせ、義経や後醍醐天皇や豊臣秀吉に縁の数々の文化財が今も保管されている吉水神社は、現在では世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産の一つになり、世界中から多くの参拝者が訪れています。

桜や紅葉の名所としてだけでなく、ペットの祈とうや参拝もできるため、ペットに優しい神社としても知られるようになっています。(奈良まほろばソムリエの会会員 福岡康浩)

(住 所)吉野町吉野山579
(祭 神)後醍醐天皇、楠木正成、吉水宗信法印
(交 通)近鉄吉野駅から 徒歩約30分
(拝 観)書院 一般600円、中高生400円、小学生300円
(駐車場)有。桜の季節利用不可
(電 話)0746-32-3024


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