tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

国の始まりは大和の国、奈良県には魅力がいっぱいです。ぜひお訪ねください!

明日香村ボランティアガイド養成講座の受講生を募集中、12月9日(金)締切!(2022 Topic)

2022年11月26日 | お知らせ
飛鳥観光協会が、ボランテイアガイドを募集している。募集人数は20人程度で、申し込み時点で満70歳以下が条件だ。全9回(うち3回は現地訪問)の充実した講座が受講できる。お申し込みの締め切りは、12月9日(金)まで。同協会のHPによると、

飛鳥観光協会ボランティアガイド養成講座・受講生募集
◇明日香村の歴史や遺跡について勉強しませんか?
◇飛鳥地方の民俗や自然等について心のこもった案内をしてみませんか?

飛鳥観光協会では、観光ボランティアガイドをやってみたい!と思われる方を対象に、「養成講座」を開催します。明日香村に興味を持ち、観光ボランティアガイドとしての活動を希望される方々のお申し込みを、心よりお待ちしております。このPDFファイルから受講資格をご覧頂き、飛鳥観光協会までお電話ください。

<一般社団法人 飛鳥観光協会>
TEL:0744-54-3240
営業時間:8時半~17時(年中無休)
==========================
■申込期間:令和4年11月25日(金)~12月9日(金)
■講座期間:12月16日(金)~令和5年3月10日(金)[全9回]
■年齢:申し込み時点で満70歳以下の方
■受講費用:6000円
※その他、講座の詳細や受講資格についてはこのPDFファイルをご覧ください


たくさんのお申し込みをお待ちしています!
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五條の恵みを凝縮!ミシュラン一つ星「お料理 ひろ岡」(旧五條市役所向かい)

2022年11月25日 | グルメガイド
先週の土曜日(2022.11.19)のランチタイム、会社の先輩だった藤井謙昌(よしまさ)さんご夫妻と一緒に、ひろ岡(五條市本町1-7-1)を訪ねた。藤井さんは御所市在住だが五條高校のご出身なので、五條のことにはとても詳しい。
※トップ写真は倭鴨のロースト。この日の料理は「月替わり10品」8,800円(税込み)


写真向かって左手に旧市役所がある。道をはさんだ右手が専用駐車場





ひろ岡は、旧五條市役所(五條代官所跡)のお向かいにあった。JR五条駅からだと、600mと少し。このたび『ミシュランガイド奈良2022特別版』で、堂々の一つ星を獲得された。おめでとうございます!ミシュランのサイトには、


いきなりのパンチライン!スッポンのスープ


海の幸をふんだんに使った押し寿司、これは手間がかかっている!柿の紅葉に寿司が映える

地元育ちの廣岡信行氏が伝える五條の恵み。献立に朝採れ五條野菜を欠かさず、魚や肉を合わす。お凌ぎの押しずしは名物。春は桜鯛、夏は鮑を柿の葉で包み、奈良と大阪のすし文化を融合させた。


鮮やかな緑色は、オカヒジキという野菜だった


具材は白みる貝にイカ

七月は七夕にちなみ、葛そうめんで天の川を、白星笛鯛を彦星に例えるなど、物語を紡ぐような流れに独自性がある。


大間の本マグロ、なかでも最も美味な背中の部分、卵黄が味を引き立てる


ピンクのツブツブは、フィンガー・ライムという柑橘。鰆(サワラ)は秋でもうまい!


お芋は、大和伝統野菜「味間いも」。トッピングは、うに牧場(岩手県洋野町)のウニの塩辛

「味間(あじま)いも」は、初めていただいた(味間は田原本町にある地名)。とてもホクホクしていて美味しい。ご主人曰く「日本一のサトイモです」。「植えたことがありますが、なかなか、こんなに大きくならないんですよ」と藤井さん。


セコガニ(香箱ガニ)のほぐし身を使っている、これは手間がかかっただろうなぁ

凝りに凝った繊細な料理の数々には驚く。お店のHPには、

スッキリと洗練された店内にて、地元の食材と旬の食材を使った料理と厳選したお酒を楽しんでいただけます。厨房をぐるりと囲んで設計されたカウンター席は、店主の調理風景を間近で見て楽しんでいただける特等席となっております。


八寸。手前は宇和島産モンゴウイカのイクラ醤油がけ、奥は朝獲れの小カブラ

カウンター席の他に、ゆっくりとお過ごしいただけるテーブル席もございますので、お一人様はもちろん、デートや女子会、観光でお越しの方など、様々なシーンでご利用いただけます。


鴨肉は御所市特産「鴨重(かもじゅう)」の倭鴨(やまとがも)。これを2時間かけてロースト


炊いたご飯に肉のカワイ(桜井市)の山形牛の薄切りを載せた。上からもう一度加熱する

事前にご相談があれば、貸切にもお応えいたします。奈良の魅力を知っていただけるおもてなしをご用意して、皆様のお越しを心よりお待ちしております。


ダシで味をつけて炊いたご飯の上に、トンブリというホウキギ(箒木)の実をトッピング


お代りすると、こんどはトロロをかけてくれた!米は、五條産のヒノヒカリ

器にも凝っている。型にはまらないユニークな器が次々に出てきて、飽きさせない。これは「作家もの」の器を使っているな。お店のHPには、

お料理を美しく見せるひろ岡の「器」
現代作家の作品から、時代を生き抜いた骨董の器まで、お料理に合わせて使い分けております。奈良が誇る陶芸家、辻村史朗氏の作品が最高の一品をつくりだします。



やはり出てきた!五條特産の柿がトッピングされている


こちらも五條産のラ・フランス

辻村史朗氏の器、鴨重の倭鴨をはじめ、果物は川崎ぶどう園(五條市西吉野町)のものを使うなど、地元産にこだわっているところがいい。「食べログ」などの投稿写真を見ると、料理のバラエティが豊かで、毎月、自由自在に変化させて提供されていることがうかがえる。HPには「月替わり10品」とあったが、10品以上出てきた。これはスゴい店だ。

オーナーシェフの廣岡信行さんは、「外で修業したことがないのです」とおっしゃる。もともとお父さまがここで居酒屋を営んでおり、それを手伝ううちに料理の腕を身につけられたということのようだ。それでこのレベルに到達するとは…。

私は酒好きなので、「次は五條に泊まってでも、夜の部に行きたいな」、そんなことを考えながらお店を後にした。藤井さん、良いお店にお連れいただき、ありがとうございました。皆さん、ここはお薦めです、ぜひお訪ねください!
※食べログは、こちら
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『修験道という生き方』新潮選書(13)/密教と修験道の深い関わり

2022年11月24日 | ブック・レビュー
金峯山寺長臈(ちょうろう)田中利典師は、ご自身のFacebookに、新潮選書『修験道という生き方』(宮城泰年氏・ 内山節氏との共著)のうち、師の発言部分をピックアップして、〈シリーズ『修験道という生き方』〉のタイトルで連載されている。心に響くとてもいいお話なので、私はこれを追っかけて拙ブログで紹介している。
※トップ写真は、般若寺(奈良市般若寺町)のコスモス(2022.10.5 撮影)

第13回は「修験の歴史を難しくしたのは…」。空海が登場する前に伝わっていた雜密(ぞうみつ)の時代から、密教と修験道は深い関わりを持っていた。東密(真言密教)と台密(天台密教)が成立して以降も、この関係は維持されていた。しかし密教の僧侶を修験者とは言わないので、話がややこしくなった…。では、全文を師のFacebook(10/17付)から抜粋する。

シリーズ『修験道という生き方』⑬「修験の歴史を難しくしたのは…」
真言宗を開いた空海(774~835)は、若い頃、四国で山林修行をしていたことはよく知られています。南都(奈良)の大学での勉強をやめて、四国の山岳に入って山林修行をしていた。その後に遣唐使として中国に渡り、密教を学んで帰国し、真言密教を日本にもたらし、そして最後は根本道場として高野山を開山した。

この高野山開山については、さまざまな伝承があるのですが、最近になって、南都にいる若い頃に吉野で山林修行をし、高野山を見出したということが明らかになってきた。『性霊集』(空海が書いた漢詩集)に次のような文があるのです。

空海少年の日、好んで山水を渉覧せしに/吉野より南に行くこと一日にして/西に向かって去ること両日程、平原の幽地有り/名付けて高野(たかの)という

文章にあるとおり、吉野という役行者の伝統を受け継ぐ山で、空海さんは山林修行をしていた。いわばその修行には修験者の一面があったといってもかまわないのではないでしょうか。もともと空海さんは優婆塞僧だったわけで、その後、入唐求法ののち、恵果阿闍梨の元で真言僧になっていかれますが。

その後も聖宝(832~909、平安前期の真言宗の僧侶。伏見の醍醐寺の開祖。後に当山派修験道の祖とも言われるようになる)や浄蔵(891~964、平安中期の天台宗僧侶。高い祈祷能力をもっていたとされる)など、修験者という一面をもった密教僧が続々出てくる。修験者には、密教の学僧と重なりあう人がいっぱいいるのです。

穿ったいいかたになるかもしれませんが、山林修行をしていた人はみな修験者だとみることもできる、と私は思っています。また、そういう方とは違う山林修行をしていたに人々もいて、そのなかには、道教の修行をしていた行者などたくさん人がいたのも事実です。そういう曖昧さをもちながら、聖や行者の世界は展開していたということなのではないでしょうか。

空海や最澄・円仁・円珍らの大学僧たちによって真言密教と天台密教のかたちができて、いわゆる東密(真言密教)と台密(天台密教)が確立されていったわけですが、このような密教的世界観ができる前に伝わった密教を、雜密と呼ぶわけです。しかし、雜密とは何かというと、やっぱり密教ですよね。大乗仏教の深遠な教理、論理をまだもっていないかたちで入ってきた密教です。それは大系化されていない密教だったと言ってもよい。

修験はその雜密と深い関係をもって生まれてきたのだと私は思いますが、その後に東密、台密が確立されていくに従って、その流れも修験の中に取り込まれ、受け継がれていく。

修験の行をした人たちには、増誉(1032~1116、天台宗僧侶、葛城山や吉野大峯で修験道の修行をした。後に園城寺〈三井寺〉の最高位である長史となる。一時期天台座主を務める。聖護院を開山)や行尊(平安中期の天台宗僧侶)や、先に述べた聖宝とか、大乗仏教の学僧でもあり、修行僧であった人たちがいて、修験の行を行じて修験道の本流を確立していく。

にもかかわらず、修験者でもあったその人たちを、あまり、修験者とは普通は言わない。それは修験や教団の側が修験者として扱っていないだけであって、私は正統な修験者だと言ってもいいんだと思っています。

さらに例をあげれば、相応和尚(831~918,天台宗僧侶)は比叡山の回峰行の開祖みたいな方ですが、相応もまた若い頃には大峯修行をしている。相応は天台の不動明王信仰の元締めみたいな人でもあります。その相応和尚さえ、修験側からいうなら、山伏だったと言うこともできると私は思います。山伏修行の時代があったわけですからねえ。

いわばプロの修験者の世界でも、そういう広がりや重なり合いがあって展開してきたのが修験の歴史なので、それがまた修験道のとらえ方を難しくさせているのかもしれません。

*******************

哲学者内山節先生、聖護院門跡宮城泰年猊下と、私との共著『修験道という生き方』(新潮選書)は3年前に上梓されました。ご好評いただいている?著作振り返りシリーズは、今回、本書で私がお話ししている、その一節の文章をもとに、加除修正して掲載しています。
私の発言にお二人の巨匠がどういう反応をなさって論議が深まっていったかについては、是非、本著『修験道という生き方』をお読みいただければと思います。
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祈れば命がよみがえるという畝尾都多本神社(橿原市)/毎日新聞「やまとの神さま」第24回

2022年11月23日 | やまとの神さま(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「やまとの神さま」を連載している。先々週(2022.11.10)に掲載されたのは〈イザナギの涙 井戸がご神体/畝尾都多本神社(橿原市)〉、執筆されたのは同会広報グループのメンバーで、大和高田市在住の福岡康浩さんだった。
※トップ写真は、玉垣に囲まれたご神体の井戸=橿原市木之本町で

畝尾都多本(うねおつたもと)神社のご祭神は泣沢女神(なきさわめのかみ)。古事記に登場する神さまのなかで、「奈良県内で祭られている神さま」としては一番最初に登場する神さまである。では全文を紹介する。

畝尾都多本神社(橿原市)
畝尾都多本(うねおつたもと)神社は藤原宮跡東側の橿原市木之本(きのもと)町にあります。大和三山の中で最も多く万葉集に歌われ、天降(あも)りついたと伝承されている天香久山の西麓(せいろく)に鎮座しています。祭神は泣沢女神(なきさわめのかみ)で、泣沢神社とも呼ばれます。本殿はなく拝殿の奥に玉垣で囲んだ井戸がご神体として祭られています。

古事記によると、男神イザナギと女神イザナミの国生みの最後のとき、火神ヒノカグツチを生む際にイザナミが大火傷(やけど)で死んでしまいました。妻を亡くしたイザナギが悲しみ泣き叫んだ涙から生まれたのが泣沢女神と言われています。

社伝では、江戸時代の国学者、平田篤胤(あつたね)が「(この神は)命乞いの神なり」と、本居宣長は「雨に通ずる水神」と記し、古代からの信仰を伝えています。

また、飛鳥時代、高市皇子(たけちのみこ)が亡くなったときに桧隈女王(ひのくまのおおきみ)が詠んだ歌の碑が境内にあります。「泣沢の神社(もり)に神酒(みわ)すえ 祈れども わご大君は 高日しらしぬ(命乞いの泣沢神社に祈ったけれど高市皇子は天に行ってしまわれた)」と万葉集で歌われています。神話のイザナギの泣き叫ぶ感情や、桧隈女王の嘆きなど、境内は豊かな感情や情緒が満ちあふれている気がします。(奈良まほろばソムリエの会会員 福岡康浩)

(住 所)橿原市木之本町114
(祭 神)泣沢女神
(交 通)近鉄耳成駅 徒歩約20分、JR香久山駅 徒歩約20分
(拝 観)境内自由
(駐車場)無
(電 話)0744・48・0155(天香山神社)


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おかげさまで、69歳の誕生日を迎えました!

2022年11月22日 | 日々是雑感
本日(2022.11.22)無事、69歳の誕生日を迎えることができました。早速、私のFacebookに、たくさんのお祝いのメッセージをいただいています。この場で御礼申し上げます、ありがとうございました。昔風に数え年で数えますと「古稀」、つまり「人生七十古来稀(まれ)なり」(杜甫)ということになりますが長寿社会の今、全く稀ではなくなりました。
※トップ写真は奈良テレビ放送「ゆうドキッ!」。この回は、奈良なつかしの味BEST3!

サラリーマン時代、50歳が近づいたとき、定年後(当時は60歳定年)のことを考え始めました。私は40歳を過ぎたあたりから、一回りほど上の会社の先輩たちとお付き合いするようになり(京都食べ歩き同好会)、「皆さん、やけに元気だな」と気づきました。その頃は「人生100年時代」などという言葉はありませんでしたが、うすうす「これからは、元気な高齢者の時代になるぞ」と思い始めました。

「定年後にやることを決めておかないといけないな」と思っていた矢先、奈良検定(奈良まほろばソムリエ検定)が始まりました。第1回試験は2007年で、私は53歳でした。「これは面白い!」と飛びつき、同僚たちにも受験を薦めました。2010年「平城遷都1300年祭」の年、最上級の「ソムリエ」に合格。この年はボランティアとして、平城宮跡のツアーガイドもやりました。

2011年4月には有志たちと、「奈良まほろばソムリエ友の会」を結成(会員数は153人)しました(のちNPO法人「奈良まほろばソムリエの会」に改組)。当初は事務局長、のち専務理事に就任。この時から私の生活は、ソムリエの会を中心として動くようになりました。講演やガイドや会の実務に追われる日々が続きましたが、そのなかで会から4冊の書籍を刊行することができました。


信貴山上の「柿本家」さんの前で

昨年11月、68歳の誕生日を目前にして、43年間働いてきた会社を定年退職しました。「退職して時間ができれば、奈良に関する本を書こう」と思っていましたが、相変わらず会の実務など追われ、まだ実現していません。

よく先輩たちから「会社を退職したら、名刺が要らなくなる」(私製の名刺を作っても、使わない)と聞かされてきましたが、私の名刺(ソムリエの会)は、たくさん作って、どんどん減っています。以前、当ブログで「会社を退職して友だちが増えた」と書きましたが、今もその状態が続いています。これはレアケースかも知れませんが、とても有り難いことです。

おかげさまで健康に恵まれ、相変わらず食べ歩きを続けています。これは「ゆうドキッ!」(奈良テレビ放送)の取材を兼ねていますので、欠かすことはできません。テレビ出演も講演も、良い刺激(ボケ防止)になっています。

コロナ禍でストップしていた講演のご依頼も、最近はたくさんいただくようになり、年末までスケジュールはびっしりと詰まっています。年が明ければ、ぼちぼちと本の執筆に取り組もうと考えています。

そんな私ですが皆さん、今後とも当ブログをご愛読いただきますよう、よろしくお願いいたします。
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